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「貴様らは今、この城から一歩も出られぬ我らの『人質』なのだよ。そろそろわが手の軍が攻め入っているころだ」
バロムの嘲笑が謁見の間に響き渡る。その言葉は、ある種の合図でもあった。
【人間領・辺境都市カレンベルク】
カレンベルクに魔族の軍勢が迫っていた。カレンベルク軍の空を裂く遠距離魔法の弾幕。魔族たちは魔法を打ち消すと、勝利を確信していた。リィザという最強の剣を失ったカレンベルクなど、容易く蹂躙できるはずだと。
しかし、魔法の煙が晴れた先で彼らが目にしたのは、異様な光景だった。
「――おいおい、随分と景気のいい挨拶じゃねえか」
土煙の中から現れたのは、ベルトランから駆けつけた筋肉隆々の冒険者たちだ。
「ケンジから、万が一に備えてカレンベルクに滞在しておいてくれって言われたけどよ。本当に来やがったな」
大剣を担いだバルガスが獰猛な笑みを浮かべて先頭に立つ。その横では、魔力感知に長けたガルスが冷静に敵の配置を読み、重戦士のボリスが盾を構えて仁王立ちしていた。
「ガルス、魔法の出所は分かったか?」
「ああ、左だ。テオ、仕掛けろ!」
ガルスの合図とともに、隠密のテオが影から飛び出し、魔族の詠唱をナイフ一本で遮断する。
魔法など不要。ケンジの論理的な指導で限界まで磨き上げられた「筋肉」が、魔族の軍勢を圧倒していた。
【魔族領・王城謁見の間】
「……今頃、カレンベルクは我が軍の炎に包まれているはずだ。貴様が何を言おうと、もう遅いのだよ!」
勝ち誇るバロムに対し、ケンジは焦るどころか、冷え切った目を向けた。
「なるほど。これがあなたの独断なのかはらないが、悪手でしたね……」
(ノア、省エネモードを解除。周囲の魔素をすべてリソースに回し、何でもいいから『無駄な演算』をぶん回せ)
『了解。……全リソース解放。魔素消費率、最大(Max)。現在、円周率を百兆桁まで同時並行で計算開始……』
その瞬間、世界の「色」が変わった。
物理的な衝撃ではない。だが、魔族にとっての酸素である「魔素」が、ケンジというブラックホールに向かって猛烈な勢いで吸い込まれ、霧散していく。
「な、なんだ……!? 力が抜けていく……!?」
魔族たちがその場に手をついた。
「人間側には魔素を急速に消費する手段がある。お忘れでしたか。……今の反応を見る限り、カレンベルクへの攻撃に合わせて、我が国が防衛システムを起動したようですね」
ケンジは苦悶に満ちた顔のバロムを冷たく見下ろした。
「俺に何かあれば、魔素の消費を止められなくなる。……俺たちを単なる人質だと考えない方がいい」
「貴様……最初から、これを……!」
ケンジは、膝をつく魔族たちの中で、ただ一人動じず自分を見つめている魔王へ視線を戻した。
「陛下。このままこの国を不毛な争いを続けるか。決めるのは、あなただ」
魔王はまだ、何も言わない。
だが、その深淵のような瞳で、ケンジを凝視していた。




