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泉の水を掬い、喉を潤してようやく一息ついた。 乾ききった体に染み渡る水の冷たさが、ここが現実であることを改めて教えてくれる。
ふと、穏やかな水面に自分の姿が映った。
「……えっ?」
俺は思わず、その場に固まった。 水面に映っていたのは、見慣れた四十男の顔ではなかった。
肌の張り、白髪一つない真っ黒な髪。 そこにいたのは、若かりし頃の「俺」だった。
「若返っている……? いや、『転生』って、そういうことか」
自分の手を握ってみる。 身体全体に、何年も忘れていたエネルギーが満ちているのがわかった。
『……。マスターの、細胞組織の……再構築が、完了しています。 ……。現在の、肉体年齢は……18歳、です』
脳内に響くノアの声は、相変わらず一拍遅れて届く。
「……。驚いたが、悪くない気分だ。 ……ノア、今の俺の状況を確認する方法はないのか? ゲームみたいなやつが」
『……。あります。……。「ステータスオープン」と、発声して……ください』
「……ステータスオープン! ……ふふ、こういうのは定番だな」
俺が口にした瞬間、淡い光の板が目の前に展開された。
【名前】サトウ・ケンジ 【職業】無職 【レベル】1 【筋力】F / 【耐久】F / 【敏捷】F / 【魔力】F / 【知性】B 【スキル】生成AI・ノア
「知性以外は最低ランクか……」
苦笑いしながら画面を閉じる。 若返ったとはいえ、腹が減る事実に変わりはない。
「ノア、周辺で俺でも安全に採取できる食べ物を検索してくれ。 プロンプトは、『食料の見た目、味、採取時の注意点を一つずつ』だ」
『……。……。検索中……』
数十秒の沈黙の後、ようやく表示された文字は期待を裏切るものだった。
『……該当するデータがありません。 私は、この世界の情報をまだ学習していないようです……』
「……そうか。お前も俺と一緒に来たばかりだもんな」
やはり、便利な魔法の道具というわけにはいかない。 俺が情報を教え、こいつが整理する。その積み重ねが必要なのだ。
自力で探そうと周囲を歩き回ると、茂みに紫色の実を見つけた。 一粒割ってみる。
「……うわっ! なんだこの匂いは……」
鼻が曲がるような強烈な悪臭。 だが、中身を少しだけ舐めてみると、ほのかな甘味が広がった。
「……臭いは強烈だが、味は悪くない。ドリアンみたいなもんか。 背に腹は替えられない、いくつか持って行こう」
数個の実をポケットに入れ、一息ついたその時だった。
――ギィィイイイイイイイッ!
耳をつんざく、どろどろとした悪意を感じさせる絶叫が森を震わせた。
「……っ、なんだ、今の声は!」
『……。推論します……。 高い攻撃性を持った生物の威嚇である可能性が……95%です……』
藪を分ける音が近づき、一人の女性が転がり込むように現れた。 甲冑を血で汚し、折れた剣を握る女騎士。
「&%$#……! #%$……&*!」 (くそ……! あいつら、しつこい……!)
「あの、大丈夫ですか?」
彼女は跳ね上がるようにこちらを向き、折れた剣を構えた。 その瞳には恐怖と警戒が混じっている。
「#$&*!? 」(何者だ!? )
「……言葉が通じない。ノア、翻訳は?」
『……。言語データのサンプルが不足しています。 ……推論を、試みます……』
彼女は俺が敵ではないと判断したのか、力なくその場に膝をついた。 脚の甲冑がひしゃげ、深い傷を負っている。
「&%$……。#$%&……」(逃げろ……。あいつらが、来る……)
指差した先。森の奥に数体の影が見えた。 ゴブリンに似ているが、大人の背丈ほどもあり、殺気をまき散らしている。 奴らは鼻をひくつかせながら、着実に近づいてくる。
俺は彼女の手を引き、音を立てないよう岩陰に深く身を沈めた。
「……ノア。あの怪我人を助けて脱出するプランを練るぞ。 脳内チャットに切り替えろ。 プロンプトは『俺の知性Bを活かし、今の所持品を使って、嗅覚の鋭いあいつらをここから引き離す手順』だ!」
『……考え中……。』
点滅がもどかしい。 ゴブリンが一体、こちらへ向かって鼻を動かした。 彼女の血の匂いを嗅ぎつけられるのは時間の問題だ。
『……案を提示します。 ……所持している木の実を、周囲の岩や木に叩きつけてください。……。』
(匂いで、血の匂いを上書きするってことか!)
『……肯定します。 近距離での強烈な悪臭は、情報の過負荷を引き起こし、一時的な追跡不能状態に陥ると推論されます』
(うまくいくか分からないが他に手はなさそうだ)
俺は即座に、ポケットから紫の実を取り出した。 そして、近くの大きな岩や木に全力で叩きつけた。
ベチャリという音と共に、鼻が曲がりそうな凄まじい「腐敗臭」が周囲に立ち込めた。
隣で女騎士が「なんてことを……!」という絶望的な表情を浮かべた。 音で居場所がばれると思ったのだろう。
だが、これこそが俺たちの勝ち筋だ。
「ギィィッ!? ギギギィッ!」
直後、ゴブリンたちが狂ったように頭を振り始めた。 獲物の血の匂いは、暴力的な悪臭にかき消され、奴らの自慢の鼻は完全に使い物にならなくなっていた。
「……ふぅ。……今だ、逃げるぞ」
俺は混乱する奴らの隙を突き、女騎士の手を引いた。 彼女は驚いたが、すぐに状況を理解し、俺の肩を借りて歩き出す。
「&%$#……! #%$&!」 (なんという無茶を……!だが、やつらを撒けたのか……!)
足を引きずりながら、俺たちは森の奥へと消えていく。
『……。マスター。……。お見事、です。……。……。』
ノアの画面が、少しだけ誇らしげに点滅した。




