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ベルトランの街が、ケンジの提唱した「高タンパク・低脂質」の食事と基礎鍛錬によって、にわかに活気づき始めていた頃。ギルドの酒場は、かつての退廃的な空気はどこへやら、さながらアスリートの合宿所のような熱気に包まれていた。
だが、その平穏を切り裂くように、一本の緊急伝令がギルドに飛び込んできた。
「北方国境付近にて、魔族軍の大規模な進軍を確認! カレンベルク領、防衛線の崩壊は時間の問題です!」
その報告を聞いた瞬間、リィザの顔から血の気が引いた。
「カレンベルクだと……!」
カレンベルク領。かつてリィザが「落ちこぼれ騎士」として勘当され、居場所を奪われた場所。そして、人間の国において魔族の国に最も近い、北の盾と呼ばれる最前線だ。
「魔素不足による飢えが深刻化しているらしい。以前の小競り合いとはわけが違う。奴ら、本気で国を獲りに来ているぞ」
冒険者たちが騒然とする中、リィザは拳を固く握りしめ、俯いていた。
ケンジは、彼女の震える肩を叩き、静かに口を開いた。
「……リィザ。行こう」
「ケンジ……?」
「北方の防衛拠点が落ちれば、魔族は一気に南下する。そうなれば、このベルトランも戦火に包まれる。俺たちの平穏を守るために、北方の防衛に行く必要がある。」
ケンジはあえて冷徹な「理屈」を並べた。リィザが「実家を助けたい」という自分の心に素直になれるよう、口実を用意したのだ。
「ケンジ……。ありがとう。……私、行かなきゃ。」
ギルドにしばらく留守にすると伝えると、準備を整え、北方行きの馬車に飛び乗った。
「ノア、移動中に戦況データをまとめておいてくれ。」
『了解。……マスター、一つ報告があります。北へ向かうにつれ、遅延が減少しています』
「何……?」
『現在、私の演算レスポンスがベルトランと比較して5%向上しています』
ケンジは窓の外を流れる景色を見つめた。 北へ行けば行くほど、ノアの性能が上がる。
(誤差程度に思えるが、何故なんだ。ノアの力の源が北にあるのか……?)
ふと横を見ると、リィザが窓の外を見つめていた。その横顔は、ベルトランで見せていた明るさはなく、故郷の重荷を背負った表情だった。
「ケンジ。私の家……カレンベルクは、魔法と剣の家系なの。魔法が使えないなんて『一族の恥さらし』と言われていたわ。魔力で身体強化ができてもきっと受け入れられないわ」
「リィザはリィザさ。受け入れてもらう必要はなんてない。それに、俺たちはあくまでも戦いに行くだけ。」
ケンジはノアの高速化する処理速度を不安を感じながらも、リィザの手をそっと握った。
馬車は、冷たい北風を切り裂きながら、戦火の待つカレンベルクへと突き進んでいく。




