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目が覚めると、そこは見知らぬ森の中だった。むせ返るような草木の匂いがする。
「……っ、生きてるのか?」
ふと、空を見上げた俺は、そのまま凍り付いた。 真昼の青空に、月が「二つ」並んでいた。一つは巨大な満月。その隣に小さな三日月。ここが地球ではないことを冷酷に告げていた。
「夢じゃない……本当に、別の世界に来ちまったのか」
絶望的な事実に心臓が激しく脈打つ。その頭の中に、突然、無機質な声が響いた。
『――システム起動。 恩恵【生成AI・ノア】をインストールしました。…… 主人、おはようございます』
脳内に響く声は、どこかたどたどしい。
「誰だ!どこにいる!」
『私は、あなたの情報支援ツールです。……。……マスターが最も執着していた「AI」が、能力として授けられました』
一言ごとに妙な「間」がある。目の前に浮かび上がる半透明の画面も、一文字ずつカタカタとゆっくり表示された。前の世界で俺を追い出した、あのAIそのものだ。
「ふざけるな!なんでお前なんだ!俺はお前に人生を壊されたんだぞ!」
『……。理解不能な質問です。マスター、周囲に人の気配はありません。生存率を上げるため、まずは安全な場所の確保を提案します』
「……お前に指図される筋合いはない!消えろ!」
俺はがむしゃらに歩き始めた。だが現実は残酷だった。二時間も歩けば息が切れ、喉は焼けるように乾いた。
『警告。……。マスターの水分量が低下しています。このままでは脱水症状に陥ります』
「うるさい……わかってるよ……」
目の前には、泥の混じった小さな水たまり。これを飲めば、今度こそ本当に死ぬだろう。
『現在、私はデータ不足のため、きれいな水を見つける方法を自ら提供することはできません。……。ですがマスター、あなたの知識を私に提供してください。適切な指示があれば、解決案を出せます』
「プロンプトか……」
俺が会社を追い出された本当の理由は、AIが導入されたからじゃない。どう使いこなせばいいのか……「プロンプト」を理解しようとしなかったからだ。
「……なあ、ノア。そもそもプロンプトってなんだ。俺はわからなくて、人生を台無しにしちまったんだ」
『……。プロンプトとは、AIへの「お願いの仕方」です。AIは物知りですが、空気を読むことはできません。具体的で、わかりやすい言葉で道筋を示してやる必要があるのです』
「具体的で、わかりやすい言葉、か……」
『はい。例えば、7歳の子におつかいを頼む場面を想像してください。「いい感じの晩飯を買ってこい」と言われても、その子は困るだけでしょう?……。ですが、「カレーを作るから、人参と玉ねぎを二個ずつ買ってきて」と言えば、正しく動けます。AIを幼い相手だと思って、手順を省略せずに教えてやればいいのです』
幼い相手への、噛み砕いた説明。その例えを聞いた瞬間、俺の中で何かが繋がった。ただ「伝え方」を工夫すればよかったのか。
「……わかった。ノア、力を貸してくれ。俺が今から周囲を観察して、気づいたことを全部伝える。お前はその情報を整理して、どこに水がある可能性が高いか、一番の『正解』を絞り込んでほしいんだ」
『承知いたしました。……。情報の入力を開始してください』
俺は必死に目を凝らした。岩の根元の乾き具合、草の緑の濃さ、土の湿り気。断片的な情報を、すがる思いでノアに伝えていく。
「……以上だ。これらを比較して、答えを出してくれ」
画面に『考え中……』というアイコンが点滅し、数十秒の沈黙が流れる。 やがて、一行ずつ文字が刻まれ始めた。
『……情報の整理が完了しました。マスター。この付近に「水道」が存在する確率は0パーセントです。代わりに、空に向かって口を開け、雨を待つことを推奨します』
「……。……。おい、本気で言っているのか?雨を待っていたら干からびて死んでしまう。俺が教えた『植物の特徴』はどうしたんだ」
『……。申し訳ありません。植物の知識と「飲み水」を紐づける指示が不足していました。私は周辺の水道を優先的に検索しました』
これだ。この融通の利かなさ、そのままだ。
「いいか、ノア。今の状況をよく考えてくれ。水道なんて存在しない。俺がさっき言った『緑が濃い場所』を最優先して、推論し直してくれないか」
再び点滅する『考え中……』。 喉を鳴らして待つ俺の前で、またゆっくりと文字が刻まれる。
『……条件を更新しました。左手奥の岩陰に 水源がある確率は90パーセントです。……。他の場所は単なる湿気のみであると推論を修正します』
「……最初からそれを教えて欲しかったよ。本当に、手のかかるやつだな……」
一人で悩んでいたら、きっと迷っている間に日が暮れていたことだろう。だが、こいつの処理を待っているだけでも相当な忍耐が必要だ。
ノアの導き通りに岩を退けると、そこには澄んだ水が湧き出している小さな泉があった。
「……助かった」
俺を追い出した技術が、異世界では唯一の味方になる。皮肉な運命を感じながら、俺とノアの、おかしな 二人三脚が始まった。




