ツインテール姐さん、銀橋は遠くても夢は近い
宝塚の夢の大劇場から帰ってきて以来、赤嶺美月の家のリビングは、ほぼ毎晩“開演中”だった。
主役はもちろん、美月。
観客は、しろくま先生ただ一人。
「それでは皆様……
今宵の舞台、開幕です」
照明係はいない。
オーケストラもいない。
あるのは、掛け布団を腰に巻いた即席の燕尾服風衣装と、
ソファを大階段に見立てた想像力だけ。
美月はソファの端に立ち、胸を張る。
「私は、誇り高き近衛隊長……
民のため、この身を剣とする!」
しろくま先生は無言だ。
だが、美月の脳内では、すでに万雷の拍手が鳴り響いている。
「ブラボー!
ありがとう、ありがとう……」
深々と一礼。
ツインテールがふわりと揺れる。
その様子を、少し離れた場所から両親が眺めていた。
「……毎日やってへん?」
「やってるな……しかも日に日に演技が大仰になってる」
だが、止める気にはならなかった。
美月は心から楽しそうだったからだ。
翌日も、その翌日も、美月はしろくま先生に向かって舞台を披露した。
任侠口調はすっかり影を潜め、協和語も聞こえない。
代わりにあるのは、気高く、どこか古風な男装の麗人口調だった。
「友よ……
この国は、まだ変われる」
しろくま先生は相変わらず無言。
だが、美月は真剣だった。
そんな日々がしばらく続いたあと、美月はぽつりと言った。
「……ウチな、あそこに立ちたい」
母は一瞬、言葉を失った。
「……舞台?」
「ううん。
宝塚の人」
それは冗談でも、思いつきでもなかった。
美月は本気で、タカラジェンヌを目指し始めた。
中学生になると、その“本気”はさらに具体的になる。
歌、ダンス、表現。
どれも人並み以上に努力した。
だが、鏡の前に立つたび、現実もはっきり見えてくる。
身長は低め。
体つきも華奢。
顔立ちはどう見ても童顔。
ある日、練習帰りに美月はため息をついた。
「……男役、向いてへんのかな」
誰に言うでもない、独り言だった。
しろくま先生は、昔と変わらず部屋の隅に座っている。
美月はベッドに腰かけ、先生を見た。
「なあ先生。
背ぇ低くて、童顔で……
それでも男装の麗人、できると思う?」
もちろん返事はない。
だが、美月は少し考えてから、ふっと笑った。
「……せやな。
役が変わるだけやな」
その瞬間、何かが切り替わった。
舞台に立つこと。
人の心を動かすこと。
誰かの前で、強く、凛として存在すること。
それは、必ずしも“男役”でなくてもいい。
後に、美月は気づく。
自分が惹かれたのは、性別でも衣装でもなく、
**“舞台の中央で、覚悟を持って立つ姿”**そのものだったのだと。
大学生になった頃、
美月は仲間からこう言われる。
「美月ってさ、
どこ立っても“主役感”あるよな」
美月は笑って答えた。
「昔な、
しろくま先生一人に向かって、
毎晩舞台やってたからな」
そして、さらに時が流れる。
戦隊ヒロインとして、
大勢の観客の前に立つようになった美月は、
ステージの中央で、ふとあの感覚を思い出す。
拍手。
視線。
胸を張る理由。
(ああ……これや)
掛け布団を腰に巻いていた、あの夜の延長線に、
今の自分がいる。
ツインテール姐さんは、
男装の麗人にはならなかった。
けれど――
“人の心を惹きつける存在”には、ちゃんとなっていた。
しろくま先生は、今日も部屋の隅で静かに見ている。
一番最初の観客として。




