小学生編①
私の中の1番古い記憶は、小学校2年生の頃。
通っていた桜ヶ丘市立桜ヶ丘第二小学校は、創立100年以上の伝統校だ。建物は、築50年くらいかな。少し古かったのを覚えている。
北校舎は、理科室や家庭科室などの技術室が多く。教室などは、あまりなかったので、必然的に南校舎と中校舎が私達の教室エリアだった。
今年の2年生は、第二小学校の中で唯一1クラスしかない。そのため通常だと、中校舎の2階にある2年1組の教室は、今年のみ南校舎の2階。通常は、空き教室の部分にあった。
なので、隣は5年1組。そのまた隣が5年2組と、上級生と同じエリアに、例外的に配置されている。
当時の私は、勉強が大の苦手で、いつも居残り授業をしていた。
あの日も、なぜだか覚えていないが、放課後。先生と2人っきりで教室にいた。用事を終えた私は、身支度を整え、先生に帰りの挨拶をする。
ここまでは、いつもと同じだった。
「先生、さようなら」
「はい、さようなら」
担任の、山木 由美先生は、お父さんと同じ年くらい。結婚しており、私たちと同じ年の子供がいるらしい。
1年生の頃から担任だったので、私は山木先生を、とても信用していた。
その日の私は、家に帰ったら友達とゲームをする約束をしていたので、とても急いでいた。
だから走って階段を降りていき、全く前を見ていなかった。
(ドン!)
案の定。前を走っていた5年生のガキ大将、柿永 蓮先輩にぶつかってしまった。
蓮先輩は、 私の家の近所に住んでいる有名なガキ大将で、桜ヶ丘第二小学校の誰もが、おそれている先輩だ。
「ご、ごめん……」
「いってぇな! どこみてんだよ!」
「ご、ごめんなさい」
怖かったけれど精いっぱいの力を振り絞って謝った。
しかし謝ってもなお先輩の顔は、般若のように恐ろしく、絶対に許してはくれないことを子供ながらに悟った。
「あ?」
予感は見事に的中した。
当たり前と言ってもいいのだが、少し謝ったくらいでは、許しては貰えないかった。どうすれば、許してもらえるんだろう。私は、考えた末に先輩に聞こうと考えた。しかし、先輩は睨みながらこちらを見ている。
(やっぱり、何を言われるか怖いよ……)
(で、でも。聞かなきゃ許してもらえないよね……)
「あ、あの……」
意を決して私がそう言うと、今よりも更に怖い顔で怒鳴りつけてきた。
「申し訳ございませんだろ?!」
「も、申し訳ございませんでした」
深々とお辞儀をしながら、先輩の方を見るが明らかに許していない。もうダメだと思い、強引にその場をすぐに立ち去ろうとした。
すると、先輩に肩を強く捕まれ、いまにも殴りかかりそうな勢いで、こう言われた。
「いっとくけど、ここは俺たち5年生様の階段だからな。2年生は通るんじゃねぇ」
私は、ビビりで泣き虫のくせに負けず嫌いなので、その言葉が許せない。
「か、階段はみんなのものだよ」
咄嗟に出た言葉だったが、まずいことをしたと、後から冷や汗が止まらなくなった。
「あ? ケンカ売ってんのかてめぇ。こうなりゃ、意地でも通してやらねぇ。」
先輩は、拳を上げて、私におそいかかろうとした。
ぶつかったのだから、私も悪い。
しかしながら、ここにいたら先輩に殴り殺される。
私は、いったん教室へと戻ることにし、最後の力を振りしぼりその場から逃げた。
教室に戻ると、山木先生と、弓川 真紀子教頭先生がいた。
先生たちの顔を見て、安堵した私は、泣き出してしまい、それを見た教頭先生からどうしたのかと尋ねられた。
経緯を話しているうちに、少し落ち着いてきたので、山木先生の顔を見ると、先生はあきれた顔をしており、ボソリと、ひとこと。
「ほかの階段通ればよかったでしょ」
と、言った。
私は、その言葉が信じられなかった。
山木先生の顔も声も、私の知っている感じではなかったし、突き放されたような感覚に陥った。
結局その日は、違う階段を通って帰ることにした。




