赤ちゃん編②
私の名前は『桃園由紀子』 。わけがあって生後6ヶ月の孫『はな』の養育をすることになった。
来年の春には、末っ子の『陽人』が高校を卒業して育児を終え、お父さんと二人で旅行でも行こうかと話していたのに、縁と言うのは不思議なものだ。
「ふぇえ〜ん」
我が家に来て1ヶ月。48歳の私に赤ん坊の育児は過酷すぎた。
しかもはなは、繊細なのか母親のことを感じとっているのかよく泣く赤ちゃんだった。
抱っこすれば余計泣くし5ヶ月なのに目を合わせて笑うこともなく、あの女の育児が悪かったのだと心底怨んだ。
「は〜い、今日はどうしたの」
まただ。オムツでもミルクでも無い癇癪のような泣き声は、田舎で近隣の家が離れている我が家だからまだ許せるが、広島の集合住宅では、きっと近所の人も大変だっただろう。
こういうときばかりは、母親に同情する。
しかし、今は朝方。他のみんなを起こしてはいけないので、はなをおんぶして、私は外へと出た。
外へ出て1時間くらい歩いただろうか。
やっとはなが眠ったので、家に帰ってくると誰かが、門の外で家の方を眺めていた。
「うみさん?」
家の外を眺めていた人物は、他でもない。
はなの母親うみさんだった。
彼女は、私の方を見るなり逃げ出した。
私は、急いで彼女の後を追いかけた。
「待ちなさい! はなに会いに来たんでしょ」
私がそう叫ぶと背中のはなが泣き出した。
その声を聞いた途端にうみさんは、立ち止まり、わんわんと、泣き出した。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……。はなぁああ」
「とりあえず、落ち着こ?」
うみさんの頭をなでながら、なだめるようにそういうと、少し落ち着気を取り戻して、『今までのことを話したい』と言ってくれたので、いったん家に帰ることにした。
「ただいま」
「お帰り、どこ行ってたんだ」
昭雄さんが心配そうに出てきて、こちらの方を見た。
その顔はとても驚いていた。それもそのはずだ。
失踪していた次男政宗の嫁うみさんが、私の隣に顔を腫らして、立っているのだから。
「お義父さん。ご無沙汰しております」
「まあ、入りなさい」
そう言う昭雄さんの声は、とても冷たく聞こえた。
約1ヵ月娘を置いてどこに行っていたのか、今まで何をしていたのかなど聞きたいことは山ほどある。
ましてや、生後5か月の娘を置いて行っているのだから、どういうつもりなのかというのが本音であった。
その日のうちに、政宗を福岡に呼び家族会議を開くことにした。
家に帰ってきた政宗は、うみさんの顔を見て安堵したように泣いたがすぐに厳しい顔をした。
私は、このとき悟った。政宗は離婚してシングルファーザーとして生きるつもりなのだと。
「まず、何でこんなことをしたんだ」
最初に口を開いたのは、他でもない政宗だった。
その後うみさんから告げられたのは、信じがたい事実だった。
はなが産まれたときは嬉しくて身内が居なくなった今、絶対守りたい存在だと思った。
政宗さんにも不満はなかった。
でも、一緒に過ごしていくうちに、はなの泣き声を聞くたびにイライラするようになった。
何で赤ん坊にそんな感情がわくのか分からなかった。
そして、あの日。はなを…
「おまえ、娘をなんだと思ってるんだ」
政宗は、うみさんがすべてをいう前に彼女に殴りかかった。
うみさんは、はなを殺そうとしていたのである。
それを聞いて、私もショックで仕方なかった。
「ごめんなさい。でも、今日会って分かった。私、はなが好き。好きだから、これを治したい。あの日から毎日後悔していた。辛かった」
泣き出すうみさんを見て、言葉を失うしかなかった。
しかし、うみさんの精神状態を見てもおかしいと感じる。
本心で、はなを殺したいわけではないのだと感じた。
だから、とりあえず政宗を落ち着けて、しっかり話し合おうと提案した。
話し合いの結果。これから先、二度とはなを傷つけないという約束を信じて、このときは許すことにした。
本当は、家族全員イヤだとおもったがはなのためにも母親は必要だという結論だった。
しかし、広島の家に2人きりにするのは怖いということで、うみさんは福岡に移り住むことになった。
家族会議後、私はある場所へ電話をした。
私が電話した場所は隣町のK市にある精神科病棟だった。
正直、娘を愛せない母親というのがいるということが信じられなかった。
しかしながら、うみさんの荒れ狂う姿を見る限り、どこかオカシイことだけは、何となくわかったため、精神科に一度見せることにしたのだ。
「この症状は、間違いなく産後うつ病でしょうね。一度家を出ていったり、お子さんを殺しかけたこともあるようですので、とりあえず入院して様子を見ましょう」
うみさんは、はなを抱っこして泣いていた。
何度も何度も「ごめんね」と呟いた。
「うみさん、その涙を忘れないでね」
私は、そういう言葉しか彼女にかけてあげることが出来なかった。
その日からはなは、正式に私が育てることになった。と言っても、うみさんの状態が良くなって医者の手が必要なくなるまでの間の話だ。




