中学生編③
その後もいじめはエスカレートしていき。私は、中学3年生になった。
3年生ともなるとみんなそれぞれの性格もわかってくるため、私への風当たりは更に冷たいものとなっていた。
私自身はというと”またかよ”という諦めでしかなかった。
しかしながら、自分の気持ちを伝えるのが苦手なため先生に見つかって、個人面談をされるといつも泣いていた。
けれど、中学時代のことは典型的ないじめを受けていたことと先述の美術事件のことくらいしか覚えていない。
そんな私でも、唯一覚えていることがある。
あれは、中学3年の二学期だっただろうか。
「はな! 歌ってみて」
突然クラスメイトのB子にそういわれた。クラスメイトに呆れていた私は、その場しのぎのつもりで、1番好きな歌を歌った。
「うまいじゃん! 音楽サイトに投稿してみなよ」
歌が上手いなんて、初めて言われた。私は、彼女の言葉をそのまま受けてしまった。彼女のなかには、別の感情があったと思うが、それに気づかなかった。それまで得意なものがなかった私は、それが驚きもあったが嬉しさのほうが勝っていたのである。
結果として、B子の言葉を信じてしまい音楽サイトに投稿するようになった。うすうす馬鹿にされている?とも思っていたので、もっと虐められるのが嫌で、投稿する度にB子に報告していた。
投稿サイトを、B子とその取り巻き以外が聞いているなんて、想像したこともなかった。
このことが、のちのち『恥ずかしいできごと』になることは中学時代の私は、まだ知るよしもない。
初めて恋をしたのもこの年だった。クラスメイトの『坂下 蓮』くん。
イケメンというわけでもなく、勉強やスポーツができるわけでもなかったけど、いじめられっ子の私に唯一優しくしてくれた。
ひとつだけ問題点をあげるとしたら、彼には軽い知的障害があった。2年生から籍を特別支援学級に移して、勉強をしていたのである。
私が、彼を好きになったのは中学1年生の時。放課後居残り授業をしていた彼(当時は、普通学級)と、初めて話した日。1年生も2年生もクラスが離れていたので、3年生で同じクラスになれて嬉しかった。
だから、結構積極的に彼に話かけていた。彼も、話しかけるたびにニコニコと、回答をしてくれる。いじめしか、受けていなかった私にとって、とても新鮮に感じられた。
この頃。私には、夢があった。小さい頃から大好きな漫画の登場人物「青木先生」のような、支援学級の先生になること。先生になって、たくさんの障がいのある子供たちを支援したい! と、本気で思っていた。
しかし家族には、それが言えなかった。
うちの家族は、”古い思考”の持ち主で、障がいのある近所の人に対して、家族間で、”可哀想”や”バチが当たってこうなった”という発言を良くしていた。
「なんでそんなこというの」
みたいな話を、何度かしていたがその度に「大人の話だから黙っていなさい」とか「あんたには言っていない」と、祖母に言われるため私は、抵抗することなくその話を聞いて、悲しい気持ちになっていた。
坂下くんは、中学3年の夏休み前。
不登校になってしまった。原因は、当時はよく分からなかったけど今思えば、『ストレス』だったと思う。
授業についていけない彼を1年生の頃は、馬鹿にする者も多かったらしい。だから2年生では、特別支援学級へ転籍した。それでもなお、当時の辛さが彼を苦しめていた。
だから、自分の能力を超えて”過剰に頑張っていた”のである。あの笑顔の裏には、辛さもあったのに私は、それに気づいてあげることができなかった。彼の、”笑顔な部分”だけを信じていたのだ。”無理に笑う”その顔を……。




