中学生編①
朝、教室へ入るとヒソヒソ話す女子達。なんの話しをしてるんやろうなと、耳をすますがその声は聞こえない。ただ、こちらを見て笑っているように見えた。いつものことだ。その中の女子が1人こちらに向かって歩いてくる。
「ねぇ、ねぇ。桃園さんって、お母さんいないってマジ?」
その子は、小学校から同じ学校のクラスメイトなので、当然そのことについて知っているはずなのにわざとらしい。お母さんの話は、いつも憂鬱だった。
「うん、いないよ」
「死んだの? 離婚?」
正直に言えば"下品なやつ"としかその子に対しては、思っていなかった。ただ、何回も答えるのが面倒だったから、だんだんと答えるのが適当になっていったような記憶がある。
「死んだらしい。写真とかもないんだよね」
そういいながら苦笑いするのが、せいいっぱいだった。
「死んだのに写真ないとかおかしくない?」
「絶対離婚でしょ」
今日も言われた。私も薄々そうなんじゃないかと思っているがパパがウソをつくはずがないと父を信用していた。この日から、お母さんの写真を探すようになる。家族が居ない時に何度もアルバムを見る。けれど手がかりはつかめず。
私の悩みは、お母さんのことだけではない。単刀直入に言うと、中学時代は、いじめとの戦いだった。でも、私自身はこれをいじめとは、思っていなかった。菌扱いや暴力だけがいじめだと思っていたのだ。
それに、この苦しい戦いは、いつか終わると信じていた。
休み時間。外の水飲み場へ行こうとすると靴がない。
私は、一生懸命探す。近くでクスクスと笑う男女数人組を見つけた。犯人は、そいつらだと思う。
「私の靴、どこやったと?」
「は? 知らんし」
「じゃあなんでこっち見ながらニヤニヤしてたの」
私がそういうと本当に知らないと言われた。でも絶対こいつらは知ってると、確信していたので、私の声もだんだん大きくなる。
「知らんわけないやん!」
殴りかかったところで、負けるのは分かってるのに。私は、相手に掴みかかろうとする。
その時、騒ぎを聞きつけた先生がやってきた。
「なにをしているんだ!」
担任の『佐保 雅人』先生だった。年齢は、50代くらいで、生活指導を担当している彼は、桜中学で一番怖かった。当時は、すっかり珍しくなっていた拳骨や平手打ちをする体育会系の先生。
私は、正直あまり得意ではなかった。
(もっと優しい先生が良かったなぁ)
私は、別室へと連れていかれ彼らは、とりあえず教室へと戻される。いつもの光景だ。教室ではきっといじめの聞き取り調査とか尋問が行われているはずだ。
分かりきっていることである。
「なんでA君を殴ろうとしたの?」
佐保先生は、優しく聞いてくる。
優しく聞いて聞き出そうとする作戦。そんな作戦に”のりたくも無かった”から、頑なに黙り続けた。
「黙ってたって分からないよ。ちゃんと言いなさい」
副担任の『山下 真由』先生も口を開く。あくまで、優しく優しく聞かれる。
「靴がなくてAくんが近くでニヤニヤしてて、隠したんじゃないかと思ったらムカついた」
そういいながら私は泣くことしかできない。
過去の”いじめのストレス”からか私は、私の意見をいうと泣いてしまうようになっていた。昔からではない。前は素直に話せていた。
ある日突然こうなってしまったのだ。
泣き出すと先生は、さらに優しくしてくれた。
きっと”Aくんにいじめられて辛いから泣いている”と、思っているのだろう。
そんなことが続いたある日、事件が起きた。




