第七章:新しい波
数日後の土曜日、風音は駅前で南を待っていた。春の陽気に誘われて、彼女はライトブルーのワンピースを選んだ。少し気合を入れてメイクも施した。
「緊張してるわね。」心臓が言った。「脈拍が通常より15%ほど上昇しているわ。」
「しかたないじゃない。」風音は心の中で答えた。「初めてのデートなんだから。」
スマートフォンで時間を確認すると、ちょうど1時になったところだ。そして間もなく、南の姿が見えた。彼はジーンズにシンプルなシャツという、爽やかな出で立ちだった。
「やあ、風音。」南が手を振りながら近づいてきた。「待った?」
「ううん、今来たところ。」風音は少し緊張しながらも微笑んだ。
南は風音の姿を見て、一瞬言葉に詰まったようだった。「あ、えっと……すごく似合ってるね、そのワンピース。」
「ありがとう。」風音は頬が熱くなるのを感じた。
「彼の瞳孔が拡大しています。」脳が観察した。「これは相手に好意を持っている時によく見られる生理反応ね。」
「もう、そんなこと言わないで!」風音は心の中で叫んだ。
二人は映画館へと向かった。道すがら、学校の話や趣味の話で会話が弾む。初めは緊張していた風音だったが、南の自然な態度に徐々にリラックスしていった。
映画館に着くと、チケットを購入し、ポップコーンとドリンクも買った。
「一つでシェアする?」南が提案した。
「うん、いいよ。」風音は少し照れながら答えた。
上映が始まると、二人は並んで座り、SFの世界に引き込まれていった。時折、ポップコーンに手を伸ばした時に指が触れ、風音はドキドキした。
「オキシトシンの分泌が増加しています。」脳下垂体が報告した。「これは『幸せホルモン』とも呼ばれるものよ。」
映画の感動的なシーンで、風音は思わず目頭が熱くなった。そっと南を見ると、彼も真剣な表情で画面を見つめていた。
上映が終わり、二人は映画館を出た。
「どうだった?」南が尋ねた。
「すごく良かったよ! 特に主人公が宇宙で迷子になるシーンが感動的だった。」
「俺もそう思った!」南は目を輝かせた。「あのシーンは音楽も良かったよね。」
二人は映画の感想を語り合いながら、近くのカフェに入った。窓際の席に座り、お茶とケーキを注文する。
「ところで、」南が少し真剣な表情になった。「この間は本当にありがとう。妹のことで。」
「気にしないで。」風音は優しく言った。「妹さん、良くなった?」
「うん、かなり。温めるの、効果あったみたい。それから母さんに話して、婦人科にも行ったんだ。特に問題はないみたいで、ホルモンバランスが安定してくれば良くなるって。」
「そう、よかった。」風音は心から言った。
「風音って、すごいよね。」南がふと言った。「自分の体のことをちゃんと理解しようとしてるし、人にも教えてあげられる。」
風音は少し恥ずかしくなった。「そんなことないよ。ただ、最近勉強し始めただけで。」
「それでもすごいと思うよ。」南は真剣な目で風音を見た。「俺の姉貴たちも、あまりオープンに話せるタイプじゃなかったから。」
カフェでの会話は、学校の話や将来の夢など、様々な話題に広がった。南が獣医になりたいと思っていることや、風音が心理学に興味があることを知り、二人の距離はさらに縮まった気がした。
「あの、風音。」南がケーキを食べ終えると切り出した。「今日は楽しかった。また一緒に出かけてくれる?」
風音は心臓が高鳴るのを感じた。「うん、ぜひ。」
帰り道、二人は公園に寄り道した。夕暮れの柔らかな光が木々を金色に染めている。ベンチに座ると、南が空を指さした。
「見て、月が出てる。」
淡い青空に、かすかに月のシルエットが浮かんでいた。
「きれいだね。」風音は見上げた。「月って不思議。見えないときもあるけど、ずっとそこにあるんだよね。」
「そうだね。」南が静かに言った。「俺、前から風音のこと気になってたんだ。でも、話すきっかけがなくて。妹のことで相談したのも、半分は口実だったりして。」
風音は驚いて南を見た。「え? そうだったの?」
「うん。」南は照れくさそうに頷いた。「でも、相談は本当だよ。ただ、風音に話しかける勇気が出たのは、別の理由もあったんだ。」
風音は自分の頬が熱くなるのを感じた。南の正直な気持ちに、彼女の胸も温かくなる。
「実は私も、南くんのこと、少し気になってた。」風音は勇気を出して言った。
二人の間に静かな空気が流れた。そっと、南の手が風音の手に触れる。彼女はその手を握り返した。
「これは思春期の素晴らしい瞬間ね。」脳が穏やかに言った。「二人の間で起きている化学反応と心理的な結びつきが、美しいハーモニーを奏でているわ。」
帰り際、南は風音を自宅近くまで送ってくれた。
「今日はありがとう。」風音は玄関の前で言った。
「こちらこそ。」南は微笑んだ。「また連絡するね。」
風音が家に入ると、母親が台所から顔を出した。
「お帰り。楽しかった?」
「うん、すごく。」風音は輝く顔で答えた。
母親は娘の表情を見て、優しく微笑んだ。「良かったわね。その子、どんな人なの?」
「南くんは……」風音は言葉を選びながら言った。「優しくて、思いやりがあって、家族思いの人だよ。」
「素敵な人ね。」真理子は嬉しそうに言った。「またいつか家に呼んでもいいわよ。」
「えっ、まだそんな……」風音は慌てた。
真理子は笑った。「冗談よ。でも、あなたが楽しそうで何よりです。」
その夜、風音は日記にこの特別な一日のことを書き留めた。初めてのデート、映画の感想、カフェでの会話、そして公園での静かな告白。すべてが新鮮で、心躍る経験だった。
スマートフォンから通知音が鳴り、南からのメッセージが届いた。「今日は本当に楽しかった。また会えるのを楽しみにしてる。おやすみ、風音。」
風音は笑顔でメッセージに返信した。「私も楽しかったよ。また会いたいな。おやすみ、南くん。」
ベッドに横になりながら、風音は自分の体の変化に意識を向けた。確かに排卵期に入ってきているらしく、体がエネルギッシュで、気分も高揚している。
「この時期は、エストロゲンの分泌がピークに達するわ。」卵巣が説明した。「子宮内膜も厚くなり始め、排卵に向けて準備しているの。」
「南くんに会えたのも、そのせい?」風音は冗談っぽく尋ねた。
「それは違うわ。」脳が笑って答えた。「ホルモンは気分や体調に影響することはあっても、運命の出会いまでは左右しないのよ。」
風音は月明かりが差し込む窓を見つめながら、穏やかな眠りに落ちていった。彼女の体も心も、新しい段階へと進んでいることを感じていた。




