第三章:共感の輪
翌朝、風音は少し重たい体で目覚めた。予想通り、ナプキンには多めの経血が付着していた。
「おはよう、風音。二日目が始まったわね。」子宮が挨拶した。
「おはよう。」風音は少しだるそうに返した。「やっぱり今日は量が多いね。」
ベッドから起き上がると、軽い目眩を感じた。
「気をつけて。」心臓が忠告した。「血液量が減少していて、立ち上がった時に一時的に脳への血流が不足しているわ。これをおセン性低血圧と言うんだよ。」
「朝はゆっくり動いた方がいいわね。」脳が付け加えた。
風音は慎重に動き、浴室へ向かった。シャワーを浴びながら、彼女は昨日よりも強い腹痛を感じていた。
「うっ……」
「子宮の収縮が活発になっているわ。」子宮が説明した。「内膜の剥離を促進するためなの。」
「でも、痛いよ……」風音は顔をしかめた。
「個人差があるのよ。」子宮は共感を示した。「あなたの場合は、子宮の位置や形状、プロスタグランジンへの感受性などが関係しているかもしれないわ。」
シャワーから出た風音は、制服に着替え、念入りに生理用品を準備した。多めのナプキンと、替えも持って行くつもりだ。
朝食の席で、父・健太郎が新聞から顔を上げた。
「風音、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
風音は微かに頬を赤らめた。父親に生理のことを話すのは少し照れくさかった。
「ちょっと体調が……」
真理子が素早く割り込んだ。「女の子の日よ、健太郎。」
「ああ、そうか。」健太郎は理解を示し、少し話題を変えた。「無理するなよ。学校休むか?」
「大丈夫、行けるよ。」風音は微笑んだ。父の気遣いが嬉しかった。
学校への道すがら、風音は腹痛の波と闘いながら歩いた。電車の中では座席を確保できたのが幸いだった。
教室に入ると、結衣がすぐに風音の様子に気づいた。
「おはよう、風音。今日はもっとつらそうだね。」
「うん、二日目だからね。」風音は軽く笑った。「でも鎮痛剤飲んだから、そのうち楽になると思う。」
一時間目の体育の授業、風音は見学することにした。見学カードを持って体育教師に説明すると、教師は理解を示した。
「無理せず休んでください。水分補給はしっかりとね。」
体育館の端で見学していると、クラスメイトの南翔太が近づいてきた。
「風音、なんで見学? 怪我でもしたの?」
風音は少し困惑した。男子に生理のことを説明するのは、まだ少し抵抗があった。
「ちょっと体調が……」
「あー、女子の日?」南は予想外にさらっと言った。
風音は驚いて顔を上げた。「え? うん、そうだけど。」
「俺、姉貴が二人いるから慣れてるんだ。」南は照れくさそうに笑った。「大変だよね。無理しないで。」
そう言って、南は体育の列に戻っていった。
「へぇ、意外と理解があるんだ。」風音は小さく呟いた。
「社会の認識も少しずつ変わってきているのね。」脳が肯定的に言った。「生理について話すことがタブーではなくなってきているわ。」
授業が終わり、風音はトイレでナプキンを交換した。個室から出ると、洗面台で一年生らしき女子が困った表情で立っていた。
「あの、先輩……」女子は恥ずかしそうに風音に話しかけた。「ナプキン、持ってませんか? 急に来ちゃって……」
風音は微笑んで、カバンからナプキンを取り出した。「はい、どうぞ。替えも持ってるから大丈夫だよ。」
「ありがとうございます! 助かります。」女子は深々と頭を下げた。
「気にしないで。名前は?」
「鈴木です。鈴木ひなです。」
「十和田風音っていうんだ。また何かあったら声かけてね。」
ひなは笑顔で頷き、個室に戻っていった。
「いい気分だね。」風音は心の中で思った。
「他者を助けることは、オキシトシンという幸福ホルモンの分泌を促進するのよ。」脳下垂体が説明した。「社会的なつながりは、精神的健康にとても重要なの。」
昼休み、風音は結衣と食堂で昼食を取っていた。学校の栄養士が作る温かいシチューが、体を内側から温めてくれる。
「なんか今日、南くんが話しかけてきたんだけど。」風音は結衣に話した。
「あの南が? 珍しいね。何の話?」
「体育見学してたら、なんで休んでるのか聞いてきて。そしたら意外と生理のこと理解してた。」
結衣は眉を上げた。「へぇ、南くんってそういうとこあるんだ。姉がいるって言ってたよね。」
「うん、二人いるんだって。だから慣れてるみたい。」
「いいよね、理解ある男子。」結衣はシチューをすすりながら言った。「私の弟なんて、生理用品を買ってくるように頼んだら、死ぬほど嫌がるんだから。」
風音は笑った。「でも、少しずつ変わってるんじゃない? 私が中学生の頃より、生理について話しやすくなった気がする。」
「それはあるかも。保健の授業でも、男子が耳を塞いだりしなくなったしね。」
二人は他愛のない会話を続けながら昼食を終え、午後の授業に向かった。
放課後、風音は図書室に立ち寄ることにした。健康コーナーで何か参考になる本はないかと探していると、婦人科医が書いた「10代の女性のための健康ガイド」という本を見つけた。
風音はその本を手に取り、静かな隅の席に座った。ページをめくると、生理に関する章があり、そこには生理痛の対処法から、正常と異常の見分け方まで、様々な情報が載っていた。
「へぇ、こんなに詳しく書いてあるんだ。」風音は興味深く読み進めた。
「正確な知識を得ることは大切ね。」脳が言った。「特に体のことは誤解や偏見が多いから、科学的な情報に基づいて理解するべきよ。」
風音が読書に没頭していると、先ほどトイレで会った一年生のひなが、遠慮がちに近づいてきた。
「あの、先輩……また邪魔してすみません。」
風音は顔を上げて微笑んだ。「どうしたの、ひなちゃん?」
「さっきはありがとうございました。それで……その本、何を読んでるんですか?」
風音は少し考えてから、本を見せることにした。「生理や女性の健康について書かれた本だよ。興味ある?」
ひなの目が輝いた。「はい! 実は私、初潮が遅くて、つい最近始まったばかりなんです。まだよくわからないことがたくさんで……」
「そうなんだ。」風音は優しく言った。「よかったら一緒に読む? 私も勉強になることがたくさんあったよ。」
ひなは喜んで風音の隣に座り、二人は本を共有しながら、時折質問や感想を交わした。
「生理って、人によってこんなに違うんですね。」ひなは感心した様子で言った。
「そうなんだよ。」風音は頷いた。「だから、自分の体のパターンを知ることが大切なんだって。」
図書室での時間は、風音にとって思いがけない発見と繋がりをもたらした。一年生のひなに知識を共有することで、自分自身も整理ができた。そして何より、女性同士で経験を分かち合うことの大切さを感じた。
家に帰る途中、風音は自分の体に感謝の気持ちを抱いていた。確かに生理は時に不快で厄介なものだが、それは彼女の体が健康に機能している証でもある。そして今日、南やひなとの交流を通して、そのことを他者と共有できることの価値も理解できた。
「みんな、今日もありがとう。」風音は心の中で内臓たちに語りかけた。
「どういたしまして。」子宮が穏やかに答えた。「私たちはただ、自然の摂理に従っているだけよ。あなたがそれを理解し、受け入れてくれることが、私たちにとっての喜びなの。」
風音は空を見上げた。夕暮れの空が、赤から紫へとグラデーションを描いている。なんだか、自分の体内で起きていることと、宇宙の大きな流れが、不思議と繋がっているような感覚があった。




