第一章:予兆の波
十和田風音は、朝日が窓から差し込む前に目を覚ました。何かがおかしい。まだ目覚まし時計は鳴っていないのに、腹部に鈍い痛みを感じる。睡眠の残像が残る頭で、風音は自分の体の状態を確認した。
「ううん……なんだろう、この気持ち悪さ。」
思わず腹部に手を当て、風音はうつらうつらとした意識の中で考えた。昨日の夕食が悪かったのだろうか。いつもより遅く食べたカレーが胃に残っているのかもしれない。
「違うわよ。」
突然聞こえた声に、風音はすっかり目が覚めた。そう、彼女は内臓の声が聞こえる特殊な能力を持っていた。数カ月前から始まったこの不思議な現象によって、風音は自分の体と直接対話することができるようになっていた。
「おはよう……誰?」風音は囁くように尋ねた。
「子宮よ。」落ち着いた、少し深みのある女性の声だった。「もうすぐ私の準備していたものが剥がれ始めるわ。いわゆる『生理』の始まりね。」
風音は思わず、「えっ」と声を上げた。確かに前回の生理から四週間近く経っていた。カレンダーアプリで管理していたが、最近の期末テスト準備で忘れていた。
「そうだったんだ。だから昨日からなんとなくイライラしてたのか……」
「それは黄体ホルモンの減少によるものね。」脳下垂体が説明した。少し高めの、知的な女性の声だった。「排卵後に分泌していたプロゲステロンが急激に減少すると、そのような精神的な変化が生じることがあるの。」
風音はベッドから起き上がり、鏡の前に立った。顔色が少し冴えない。
「わたし、PMS(月経前症候群)なのかな?」
「可能性はあるわね。」子宮が答えた。「多くの女性が経験するものだけど、個人差が大きいの。あなたの場合は、軽度から中程度のように見えるわ。」
風音はため息をついた。高校二年生の彼女にとって、生理は既に何度も経験している出来事だった。しかし、内臓たちと会話できるようになった今、初めて彼らからの視点で体験することになる。
「今日はどんな感じになるの?」風音は自分のショーツを確認しながら尋ねた。まだ出血は始まっていない。
「おそらく今日の午後か夕方には始まるでしょうね。」子宮が予測した。「内膜の剥離はすでに始まっているわ。少しずつだけど。」
風音は顔を洗い、制服に着替え始めた。鏡の前で髪をとかしながら、彼女は思い出した。母親から初潮の時に言われた言葉。
「女の子の体には、命を育む力があるのよ。それは素晴らしいことだけど、時には大変なこともあるわ。」
当時の風音には、その意味が十分に理解できなかった。ただ恥ずかしさと不便さを感じるだけだった。しかし今、内臓たちの声を通して、その言葉の重みが少しずつ分かってきた気がする。
「学校に行く前に、念のためナプキンを持っていこう。」
風音は引き出しから生理用品を取り出し、ポーチに入れた。そして、朝食を食べるために階下へ向かった。
キッチンでは、母・十和田真理子が既に朝食の準備をしていた。トーストと目玉焼きの匂いが部屋に漂っている。
「おはよう、風音。」真理子は振り返って笑顔を見せた。
「おはよう、お母さん。」風音は少し元気のない声で返した。
母親は娘の顔をよく見て、すぐに気づいた。「あら、もうその時期?」
風音は少し頬を赤らめながら頷いた。「たぶん今日から。」
「そう。鉄分のあるものを食べるといいわね。」真理子は冷蔵庫から小さなパックを取り出した。「ほうれん草のお浸し、追加しておくわ。」
風音は母親の気遣いに感謝しながらも、少し照れ臭さを感じた。その時、卵巣の声が聞こえた。
「お母さんは優しいわね。鉄分は私たちにとっても大切なの。生理で失われる血液の分を補うためには欠かせないわ。」
朝食を食べながら、風音は自分の体の変化に意識を向けた。確かに、いつもより少し疲れやすく、集中力も落ちている気がする。そして、あの腹部の鈍痛は続いていた。
「行ってきます。」風音は出かける支度を整えた。
「いってらっしゃい。」真理子は娘の背中を見送りながら言った。「具合が悪くなったら、遠慮なく保健室に行きなさいよ。」
風音は母の言葉に軽く手を振って応え、家を出た。朝の空気は冷たく、澄んでいた。深呼吸をすると、肺が喜んだ。
「新鮮な酸素、ありがとう!」
風音は微笑んだ。内臓たちの声が聞こえるようになって以来、彼女は自分の体をより意識的に感じるようになっていた。それは時に面倒なこともあったが、自分自身をより深く理解する機会でもあった。
学校への道すがら、風音は考えた。今日からの数日間、彼女の体はどのような変化を経験するのだろうか。そして、内臓たちはそれをどのように感じ、説明してくれるのだろうか。
不思議と、風音は少し楽しみになっていた。




