77. 内出の小槌
ユーリはぐったりと宿屋に帰ってきた。
途中で大好きなデリカテッセンを買ってくる心の余裕もなかった。
部屋のベッドに腰掛けて
フーッと息をつく。
ユーリ自身も説明の付かぬモヤモヤとした
黒い霧の様なものが胸の中に滞っている様だった。
思い返しても、反芻しても
誰が悪いわけでは無い。
悪いとすれば
自分自身。
ただあの場にいるための
話術、所作、立ち回り方、雰囲気、その他諸々・・・
自分は全てに於いて実力不足だったのだった。
その結論が導き出される。
・・・すぐ小羽屋に帰りたい。
ひたすらに、元の生活に戻りたい。
と言う思いが脳内を支配し始めた。
この後3日間は、久しぶりの王都だったので
友人に会いに行ってみたり
普段はできない買い物をしたり
食事をしてみたりと
いろいろ考えてはいたのだが・・・
否、今は、すぐ小羽屋に帰りたい。
この場所から物理的な距離を取れば
このモヤモヤも晴れる気がしていた。
現実としては、3日後に
サムエルの家の転移の鏡を利用させてもらい
小羽屋に帰れる算段である。
乗り合いの馬車で帰るよりは
そちらの方がずっと楽なのだが。
あのエルフ・・・サムエル。
こんな、ユーリにとっては初めての、大舞台に
一人で行けだの、クラウド様が行くだの
自分が行くだのなんだの・・・
ユーリの気持ちを大いに振り回した。
結果的にはサムエルが来てくれたにしろ
そこに至るまでにユーリは
様々な覚悟をしなければならなかった。
最終的には置いていかれるし・・・
彼の無計画さ、それに振り回される不愉快さ。
思い返せば今に始まった事では無い。
サムエルとの付き合いはとても短いが
大小あれど
こんなことがたくさんあった。
大枠は小羽屋のために働いてくれている。
それはユーリにも分かっているからこそ
見て見ぬふりをしてきた
しかしそれはユーリの紛れもない感情である。
そんな中で、帰るためにサムエルを待つのも
今のユーリには耐えられない気がしていた。
大変だとしても乗り合いの馬車で帰ってしまおうか。
ああっと、混乱した思想を受け止められず
両手で顔を抱えた。
ハッとする。
今日はいつもと違って化粧をしているのだった。
パッと離した掌には
白粉、アイシャドウ、チーク、口紅が
キラキと光っている。
ユーリはそれをボーッと眺めていた
その時であった。
ボトっと重いものが落ちた。
足元にその音を聞いた。
ユーリがベッドから体を起こしたはずみで
鞄が、ベッドから落ちたのだ。
鞄の蓋が空き、そこからポロッと出てきていたのは
内出の小槌であった。
例のシュンテン閣下からお礼にもらった品である。
今回なんとなく、持ってきたのである。
ユーリは暫しそれを眺めた。
以前、お客様の冒険者が言っていた事を思い出した。
迷宮攻略に失敗した時
レプリカの内出の小槌があったので
帰還の巻物を出現させて
迷宮から逃げおおせた・・・と。
ユーリは内出の小槌を手にとって
暫し思考した。
しかし、今ユーリが思考した事を実現させるには
宿屋の支配人として
宿屋の客として
確かめねばならないこともある。
ユーリは化粧を専用のオイルで落とし
元の服に着替え
荷造りを済ませると
フロントの男性に声をかけた。
「すみません、私、3日後にチェックアウトしますが
料金を今、精算しても良いですか?」
フロントの男性は少々不思議そうな顔をしたが答えてくれた。
「すでにサムエル様が精算されてますよ。」
ユーリは少々言うのを躊躇ったが
ここは自身も宿屋を営んでいる身として
この宿屋に義理は果たせねばなるまい。
「すみません、私急用が出来まして、急遽家に帰らねばなりません。」
「・・・左様ですか。かしこまりました。
サムエル様はこの事をご存知で?」
フロントの男性は心配そうに聞いてくる。
「ここ3日間は多忙で連絡が取れないとのことです。
私からも連絡を試みますが、もしサムエルが来たら
お伝えいただけますと幸いです。」
フロントの男性は、乗り合いの馬車を呼びましょうか?
など優しい提案をたくさんしてくれたが
今のユーリは
ここを一時も早く出ることの方が
重要であった。
最終的にフロントの男性は
「承知しました、お気をつけてお帰りください。」
と、穏やかにユーリを見送ってくれた。
宿屋の扉を開けると
外は相変わらず冬の空気に包まれ
どんよりとした雲が空を覆っていた。
ユーリは少々歩いたところにあった公園の
あまり人気の無いベンチを選んで
座った。
木々を風が揺らす音がする。
鳥の可愛らしい声がする。
遠くの方で子供たちが遊ぶ声がする。
ようやく一息つけた気がした。
カバンを漁り
内出の小槌を取り出した。
改めて見ると、この内出の小槌と言うものは
全体的に何の物質でできているか分からない
艶のある赤色をしていた。
握り拳ぐらいの丸い頭
側面に金で縁取られた緑の円が三つ並んでいる。
柄の先には赤い飾り紐がついている。
使い方は確か
願い事を唱えながら振る、だったはずだ。
ユーリは少々この小槌と睨めっこをしたが
先ほど思案した事を実行することにした。
小槌を両手で数回降りつつこう呟いた。
「転移の巻物を出してください。」
・・・
木がざわめく音、鳥が飛び立つ時の声
子供達の声は今は聞こえない。
・・・何も起きないな。
これ、レプリカっていうか偽物なのでは?
と、ユーリも疑い始めた頃
自分が座っているベンチの隣に手を置いた時
何かに触った。
ワッと、ユーリは驚きつつ手の触りを見る。
そこには、丸まった紙に魔法の紐で封をしてあるもの
・・・巻物が置いてあった。
絶対、さっきまでこんなものは無かった。
内出の小槌の効力であるはずだ。
ユーリはその巻物を
開いてみた。
一応、見た目は今まで使っていた
転移の巻物と同じものに見える。
魔法で巻物の偽物鑑定をしてみた。
これは、元バイト先で学んだもので
魔法具が偽物かどうかを鑑定する魔法だった。
・・・簡易なものしかできないが。
本物であると判定結果に出る。
シュンテン閣下も言っていたな。
レプリカの小槌から出てきた物は
暫くすると霧散するって。
ユーリは試しにその巻物に魔力を込め、詠唱し
小羽屋の鏡へと繋がる様に発動させてみた。
やはり、問題なく作動し始める。
巻物には、小羽屋のいつもの控え室が映し出された。
・・・安全性とか、少々心配ではあるが。
あまり時間も無いと思われる。
急いで、実行の呪文詠唱をした。
自身の周りに魔法陣が現れた。
それが光ると
周りが光に包まれて何も見えなくなる。
あの独特の嫌な浮遊感を覚えた。
転移が実行されたことがわかった。
急に重力を感じた。
どさっと、前向きに地面に投げ出される。
ハッと周りを見ると
よく見知った光景である。
小羽屋の控え室であった。
後を追うように転移の鏡からポイポイっと
ユーリの荷物が出てきた。
転移は成功した。
すごいなこれ。とユーリは改めて内出の小槌を見る。
先ほどの緑の丸い柄、三つ並んでいたのが
今は2つになっていた。
3つまで願いが叶うということなのかもしれない。
さっきは感情に身を任せて使ってしまったが
これからはもっと慎重に使おう・・・
と、ユーリは心に決めた。
そうか、それこそこの世に存在しないマナー本とか
出して貰えばよかったのかかもしれない。
・・・この手のやつはお金が出てくるとは考えにくいが
何とかサムエルの借金も内出の小槌の力で
返せないものかと
ほんの少し思慮した。
「よう、おかえり。早かったじゃねぇか。」
渋い声がする。
いつもユーリが事務仕事をしている椅子に
ハチが、ポツンと座っていた。
聞けば転移の鏡が発動する気配がして
様子を見に来てくれたのだと言う。
ようやくユーリは小羽屋に帰ってきたことを実感した。
リトルウィングの空も
どんよりと厚い雲に覆われており
大雪が降っていたのであった。




