69.8. Waldeinsamkeit
その数日後、日刊他人種新聞一面に
オーガの使節団が
セントラルタワーにご到着されたとの記事が掲載された。
写真のオーガの皆様は
ユーリが最初に見た人間バージョンと
朝食で目の当たりにしたオーガバージョンの
中間くらいの見た目をされていた。
オーガの皆様はこうして見た目を
TPOに合わせて、服装が如く変えているのだ。
ユーリは新聞をまじまじと見ていた。
最初のオーガの皆様の会見の報道があった時に
妖艶な美しさを放ちつつも貞淑な、シュンテン閣下
快活ながらも紳士的な包容力のある、ザラストル閣下
この2名のスポークスマンは
多種族連盟の民の心を大いにつかんだと言える。
そして、この一ヶ月くらい
年末までの間に様々な外交イベントが行われるとの事であった。
「これは、帰りの宿屋は心配ないだろうな・・・」
ユーリは新聞をたたみながら呟く。
サムエルもこのイベント群に参加するとかで
最近はあまり姿を見せない。
リトルウィングは、すっかり冬になっていた。
雪景色が美しいのだが
交通的に不便になってしまうので
どうしても客足の遠のく季節である。
しかしながら、ここに住んでいるユーリは
冬のリトルウィングに雪景色以外の魅力があることを知っている。
この時期は、アイスフィッシュと言う小魚が
氷の張った湖面近くまで上がってくるので
氷に穴を開けて釣るという楽しい釣りスタイルがある。
この小魚を丸ごと揚げる唐揚げが
とても美味しい。
何なら釣ってる側から揚げると尚のこと良い。
前回知ったことだが
ユーリの恩師であるマリーン先生は
このアイスフィッシュ釣りが好きであるとのことだった。
気持ちはよくわかる。
ユーリは、氷に穴を開ける魔法陣を描き
静かに穴を開け
そこに釣竿を垂らす。
そして
釣竿の先をじっと見つめる。
アイスフィッシュは
自身の小指ほどの大きさの
小さい魚であるので
当たりのサインもごくごく小さい。
辺りは雪が音を全て吸い取って
周囲は無音に近い状態になっていた。
その、研ぎ澄まされた五感の中
繊細に釣れのサインを見極める。
竿先に視点を集中するつもりなのだが
不思議と周りの景色がパノラマのように入ってくる。
雪独特の匂い。雪の精霊が舞っている様だ。
野生の鳥が飛び立つのが目の端に認められる。
右側から野うさぎが跳ねた音がする。
やはり、目の端に白く光る特急速度の物体が映る。
・・・一応熊だけには気をつけねばならない。
日常とは違う分野の脳が働くのを感じる。
何処かの国の方言であったはずだ。
自然の中に身を置くと、心地良い孤独を感じ
脳みそがリフレッシュされると。
それを一言で表す言葉があるのだが・・・
ユーリは結局のところその言葉を思いつかなかった。
釣りは脳みそのリフレッシュに
もってこいなのである。
竿先にわずかな当たりを感じるが
これはまだ食いついていない。
ここは辛抱どきだ・・・
ユーリはここ最近のことを振り返る。
オーガの皆様へのご宿泊
自分ができる精一杯をした。
しかし、自身の経験値の低さが露呈してしまった様に思える。
宿屋支配人としての経験値はもちろんなのだが
ユーリはほとんど
宿屋でサービスを受けたことがなかった。
小さい時から旅行先といえば
年に一度、夏休みにこの小羽屋で一週間くらい
フィヨナお婆ちゃんと、今は亡きゴラムお爺ちゃんと
こうして釣りに出かけたり
高原を散策して過ごしたり
当時は気の利いたレストランがあったので
そこで食事したり・・・
と言うものしか知らない。
学生時代は、王都で
多少高級なレストランや宿屋の
バイトをしたことがあるくらいだった。
・・・思えばそれがあるから
今、多少でも宿を運営できているのであるが。
たまにサムエルも
「君も王都の高級な宿屋とか泊まってみたほうがいいよ。」
と言っていることがある。
・・・行けるものなら行きたいわ!
と、いつもつっこんでいる。
心の中で。
当然に今そんな時間は無い。
お金も無い。
自身がバイトをしていた様な
王都のそこそこ高級な宿屋を
何軒か思い浮かべてみたが
以前旅行誌に出ていた価格だと
小羽屋の10倍ほどの値段がする。
とても一般庶民には泊まれるところでは無い。
以前新聞で
チョコレートの原材料であるカカオ豆の産地の住民は
自国でチョコレートを食べる文化が無く
また、チョコレートになると大変な高級品となるため
チョコレートを食べたことが無い・・・
と言う、格差社会の矛盾が提示されたコラムを読んだことがある。
一緒にしては申し訳ないが
今ユーリが抱えている矛盾も似ている様な気がする。
ユーリの家は、北方島国では如何だったのかは知らない。
両親もその話は殆どしなかった。
この世界では"ユーリエ・ローワン"と言う名前に
ネームバリューが無い。
それだけは、現状が教えてくれている。
リンデン夫妻は、・・・フィヨナお婆ちゃん夫妻のことだが
今は退職しているが
二人とも王立小等教育学校の教師であった。
もちろん世間的に尊敬される仕事なのだが。
・・・言ってしまえば、中流家庭である。
富裕層、お貴族様方の気持ちなど
理解できない。
しかし、その富裕層の皆様を
お客様として狙っていく必要があると
サムエルは言っているのである。
・・・まあ、だからこそ
サムエルに色々意見を聞いているのだ。
そう、サムエルと言うエルフ。
只者では無いと思っていたが
クラウド様の言葉を借りるなら
舞踏家と言う以前に
実力も、ご職業も、家柄も
すんばらしいお方なのだ。
・・・にしても何故そんな人、と言うかエルフが
こんなにも協力してくれるのだろう。
宿屋をやってみたかったと言っていたが
他にもサムエルに協力して欲しい宿屋なんて
溢れかえっているはずだ。
・・・何ならここより良い宿屋だってたくさんある。
経営が上手くいかないと貸金を回収できないと言うことは分かる。
しかし、そもそも何故あんなに多額の金銭をポイっと出してくれたのか。
・・・いくらお金持ちだからと言っても
使い道は他にもあるだろうに。
・・・何故こんなにもサムエルは、協力してくれるのだろう。
その時グワン、と
竿が動いた。
アイスフィッシュの当たりではない。
もっと大きい魚だ。
この時期には珍しい
ルミナストラウトでもかかったかと
ユーリはワクワクして
しかし、慎重に糸を巻き上げる。
穴から見える湖の下から
キラッとした魚影が見えた。
そして上がってくる魚・・・
体長20cmほどで黒光りする銀色の魚である。
ユーリはゲンナリした。
名前こそ知らないのだが
こいつを知っていた。
この魚は食べても美味しく無いのである。
こいつはまだ子供で小さめだが
30cm以上大きくなる魚だ。
何でも食べる雑食で、身はかなりの臭みがある。
しかも目がぎょろっとしていて
水底の食物を食い尽くすのだろう
口が大きく、ちょび髭の様なものが生えている。
端的に言えばかなり気持ちが悪い。
この魚が苦手であった。
針から丁寧にはずし
早々にリリースする。
しかし、その他の針にはお目当てのアイスフィッシュが
数匹食いついているのが見えた。
これはバケツの方に入れて
今日のユーリとフォヨナお婆ちゃんの食事
唐揚げに、南蛮漬けも美味しい
そして、甘辛く煮れば
朝食のお粥のお供になる。
せめてこのバケツがいっぱいになるまでは釣っていこうと
ユーリはまた針に餌をつけ始めた。
・・・まあ、サムエルについて言えば
思うところが無いと言えば嘘になるが。
明確な理由がわからなくても
実際に協力をしてくれて
力になってくれている彼がいるだけで十分だ。
私も何か、サムエルの力になれれば良いんだけど・・・
そんな漠然とした疑問と
漠然とした結論
そんな問答の様なものを
持ってきたバケツに
アイスフィッシュがいっぱいになる頃まで続けていた。
ちなみに、先ほどの気持ちの悪い魚は
もう一度ユーリの竿にかかってきた。
・・・この子、ちょっとおバカなのか?
フスっと笑いが込み上げてきた。
改めて見ると可愛い顔にも見えてきた。
ユーリはまだこの時知る由もないのだが。
その、想像もつかないお貴族様の世界を
垣間見ることになるのである。
その知らせが届くのは、その日の晩のことである。




