0.2. リトル・ウイング村
この乗合の高速馬車は
魔法で馬車のスピードを格段に上げた便利な乗り物である。
そのうち、馬も必要なくなってくるのではないか
とまで言われているのだから驚きである。
ユーリが少し馬車から顔を出すと
彼女の長い豊かな黒髪が
無様にもひっくり返ったので
早々に顔を引っ込めることにした。
この高速馬車の普及に伴い旅行の概念が
庶民にも近い行事に変わって行ったのが
ここ十数年であるとのこと。
王都から出発したこの高速馬車は、丸1日ほど走っている。
もうそろそろ次の町で休憩だろうか。
次の村は、都ほどではないが、まだ規模の大きい街である。
フィヨナお婆ちゃんと亡くなったゴルムお爺ちゃん
リンデン夫妻が営んでいた宿屋は小羽屋と言う。
リトルウイング村と言う村にあるので
そんな名前なのだろう。
地理の話をしたい。
まずこの世界全体を見渡し、大中洋を中心に、東側にある大きな大陸。
この大陸のほとんどは、人間が統治する国である。
その中央西海岸沿いには王国の都がある。
ユーリが通っていた学校と、元バイト先、内定先の魔法店が存在するのもここだ。
その大陸の反対側へ渡ると
諸侯爵領になってくる。
多種族の自治区も多くある。
リトル・ウイング村があるのは
その中でも北寄りのイーシュトライン侯爵領。
イーシュトライン侯爵は
東海岸沿い北部を治めている
力ある侯爵である。
東側の重要な港が多い場所である上に
闇の軍が支配下に置いている地も近く
独自の軍も強固であった。
そのイーシュトライン侯爵領の中でも
大陸から少し飛び出した
上空から見ると鳥の羽のような見た目をしている半島は
リトルウイング半島と呼ばれている。
このリトルウイング半島内にある唯一の人間の村が
このリトルウィング村である。
人口376人の小さな村だ。
この度ユーリが越してきて377人になることになる。
イーシュトライン侯爵領の中心街
イーシュトラインと言う都市から
更に馬車で数時間揺られると
アステア岳と呼ばれている峰が現れる。
頂に立つと、向こう側には、ただっぴろい盆地が現れる。
その更に向こう側には、この大陸最高峰。
ルミナス山という大きな活火山が聳え立っている。
このルミナス山の影響で周辺は独特の地形を生み出しており
この盆地をルミナス盆地、存在する湿地帯の沼群をルミナス湿原と呼ぶ。
そして、リトルウィング村は、このルミナス地形を一望できる
アステア岳の麓に存在する。
このルミナス地形はこの大陸の中でも珍しく
独特の地質、生態系、景色を生み出し
地質学、生物学、一部の旅行愛好家の間では
人気のスポットである。
リンデン夫妻も、そんなルミナス地形の絶景に魅了された
一ファンであった。
リンデン夫妻とユーリにとっては
かつて毎年夏の長期休暇に通っていた
定宿が小羽屋である。
特にこの小羽屋は場所的に
このルミナス地形を一望できる丘陵地に存在し
マニアの間では人気の宿屋であった。
全10室、24名が宿泊できる宿屋で
元々は、地元のアンナ・ラリエットという
女主人が経営していた。
約5,6年前、アンナが高齢になり
イーシュトラインの息子夫婦と一緒に暮らしたいとかで
破格で土地建物を譲ってもらったのである。
リンデン夫妻はリタイアと共に
念願であったリトル・ウイング村に移住
ほのぼのと宿屋を始めることにしたのである。
ユーリはその時は魔法学校の寮に入っていた。
人気の宿とはいえ、それは
老夫婦2人で切り盛りできるレベルの物であった。
お客様も、素朴な学者や、旅好きの気の良い人々、その他族種だけであった・・・
その数年後ゴルムお爺さんが急逝し
フィヨナお婆さん1人になっても
なんとかやっていける・・・
と思われた。
それが、一変したのが
例の手紙を受け取る、更に半年前のことであった。
今考えると、この出来事はもう1年も前になる。
闇の帝王軍勢の将軍
"雷のゴンゴルド"
と言うオーガ(人喰い鬼)が
強力な結界を破り、東の大陸に侵入してきた。
大陸北部に拠点を置いていたところを
冒険者に撃破され、追われることになった。
敗走の将となったゴンゴルド一派は海を経由し、南下。
このリトル・ウイング半島の先端を陣取ったのだ。
リトル・ウイング半島の先端など、断崖絶壁と
野生の台地が広がっているのみで、何もない。
ゴンゴルド一派は、静かに魚釣りと
農耕を開始してくれるような手合いでもない。
略奪するならリトル・ウイング村しかなかった。
初めはこそこそと手下の小鬼が
鶏などの家畜を奪っていくだけであったものが
だんだんと、強盗で金品を奪う、牛や馬を殺す
ついには悲しいことに
村人が一人亡くなってしまったのだ。
それがあってからは、一気に王立軍が砦を築き
数ヶ月間、王国軍と、侯爵軍によって監視が開始された。
しかし、待てども暮らせどゴンゴルドの動きは無く
王国軍は監視隊の規模を縮小させる事を決定
関心はまた闇の帝王との最前線、ヴァルハレルへ移ってしまった。
仕方なしに、侯爵と、村は
現在はゴンゴルド討伐を
冒険者の手に委ねることにした、とのことであった。