台湾 ともだち
台湾が懐かしい。
鉄路で、環島。
3周目直後、脳梗塞発症。
台湾 を好き。
戦前、多くの先達が、統治下の台湾で、故国以上に愛し人力した。
その千達の愛以上に、台湾民族は愛を増強し日本へ未来現代の日本人に、愛を環流させてくれている。
偏在も優れた人材を育成している台湾大学、台湾の豊かな稲作文化を支える水源ダム、産業基盤である電力、台湾の都市地域拡散を解消する鉄路に道路、政治基盤、多く1900年代から現在に至る社会インフラを大規模大胆に整備した。
戦時中の戦争被害を軽減するための飛行隊のメンバーは、今でも台湾では、神と崇めたて祀られいる。
あらゆる日本人台湾人の先達が、今の親日関係を維持している。
わたしは、昔の日本を学びたくて、環島を計画した。
わたしの環島は鉄路を利用した。
台北から東まわり、台中、嘉義、台南、高雄。
高雄から西まわり。
台東、花蓮、台北へと環島。
台北の人々。台南の男女。高雄の男たち。台東、花蓮の女たち。
今日、会っただけなのに、100年の友のような気配り。
回想は回想を加速させて、台湾へ戻りたくなる。
台北で出会った彼はトラックドライバーだった。
早朝5自前には出勤し、5時には運輸会社の倉庫を出発した。
台北市内は通勤渋滞の時間帯には、中大型トラックの市内走行を禁じていた。
次は午後の時間帯に、本日二度目の配達を行う。
土曜日の午後便儀保一週間の仕事終わり、初めは月曜日の午後便。
労働時間は長くきつい労働環境だったが、給与面は同世代台湾人の約2倍はあった。
早朝勤務がきつくて退職した知合いは多い。退職後、飲食店を営んでいる人が多いが、給与は厳しいものだった。
彼はわたしと一緒二居る時間を伸ばそうと、台北市外の午後便の時は、ホテルへトラックで乗り付けわたしを同乗させた。
国際空港の桃園市のスーパーへの配達する時、わたしは助手席で桃園高速道を走行した。
台湾での貴重な体験である。
桃園スーパーの配達業務を終え、我々は台北へと戻った。
トラックは会社の倉庫に停車し、愛車脳カローラでホテルへ戻った。
互いに即シャワーをして、汗と埃を流した。ガチムチ大柄の彼脳股は汗疹が出来ていた。
昨夜、2人でホテル近くの薬局で、オロナイン軟膏を買ってある。
タオルで濡れた身体の水分をとると、彼はベットで大股を広げ、軟膏を股に塗るよう要求してきた。
わたしは、オロナイン軟膏が良薬だと経験していた。
右指で軟膏を多めにとり、彼の右もも左腿、鼠蹊部にゆっくり塗った。
二度、三度、オロナイン軟膏を右指にとり、Vライン、鼠蹊部、内腿を塗り重ね延ばした。
彼の陰経が変化する。
身体に合わせて長太い陰険を、左手で、鼠蹊部から遠ざけ、わたしはオロナイン軟骨を塗り重ね伸ばし、陰経はホテルの天井を向いていく。
照れ笑いしながら、彼の右腕がわたしの頭を陰経に近づけようと動く。わたしは大きく大きく口を開け、陰茎を含む。舌が熱を感じた。唇をゆっくり太さに合わせて開いて閉じた。
ここかは、日台という国境を超え、愛する同志として、素直な感情のまま行動した。右手も左脚も、口も陰経も、成り行き次第であった。言葉は不要で国境を超えては戻り往復、回遊した。
国境も年齢も生い立ちも生き様も、アップデートを繰り返して、新しい彼とわたしになっていった。
10分、15分、30分が過ぎていた。
エアコンの冷機設定を変えた。
わたしたちは日台の完成形の一組になった。
彼をシャワーに見送り、わたしは、下着、パンツ、靴下を揃えた。
もう一度、彼の股間にオロナイン軟膏を塗り、わたしはシャワー室へ立った。
わたしたちは互い野対応を感知主、さらに温めあった。台北のホテル野部屋は冷やされていた。
右乳首より左側の反応が素敵だった。
真ん中の芯は太さと硬さを増し、たまらず、わたしは口に含んだ。
唇と舌で歯を隠し上手に挟んだ。
我慢の限界火、彼反社わたしの両脚を両肩にのせ、際どい箇所を唾液出禁グチャグチャにした。指にはオイル、そのまま、ゆっくりゆっくりと穴に、指輪を沈ませた。彼の左人差し指は、年齢プラス15才もスロースピード出禁奥へと吸い込まれる。
わたしは人差し指を息を吸い込むように奥へ入れた。息声が思わず盛れた。
これから出す息声に比べれば、カスレ小声であったが。
彼の太い芯が人差し指と交代に突撃してきた。
下のわたしは彼のおぉ~というド太い雄叫びを嬉しく聴いた。
この先は、彼とわたしの動きは同期した。
ホテルのベットが時折り軋んだ。




