悲願成就
「じゃあ、あの研究所の連中は、造反組だってこと?」
「今更、勢力がどうとか考えても、しょうがないけどな」
暗闇を走行するジープは、まもなく第三研究所へ到着する。
その間に、ハルカズとリンネは情報共有を行っていた。
「これもいつもの如く推察だが、奴らは政府がチガヤの力を持て余すことをわかってたんだ。そりゃ、防衛兵器として有利になる程度のものができれば良かったのに、実際にできたのは世界が滅ぼせる激ヤバ兵器だ。こんなのが諸外国にバレたらまずいし、チガヤが個人の意思で世界を乗っ取ろうとしてもヤバい。対抗策は何もないからな」
「でも、チガヤにそんな気はないよ?」
「そうだ。チガヤは純粋無垢に育った。彼女は人の善意も悪意も、それぞれが美しい花の形だとして、積極的に干渉する気はなかった。花を、人間を……愛してたんだ」
しかし、そんなことは他人にはわからない。
ハルカズたちは、チガヤの人となりを知っているからわかるだけだ。
上谷のように、危惧するのは至極当然だ。
ハルカズも知らなければ、同じように危険視しただろう。
一人の少女が持っていていい力じゃない。
チガヤ本人に攻撃力はないが、力ある人間を自在に操作できる。
上谷がチガヤのことを核兵器以上の存在だと言っていたが、それも当然だ。
核兵器の発射権限を持つ人間を操作すれば、彼女はいつでも核を撃てる。
今世界が滅亡していないのは、彼女が人類を寵愛しているから。
……なんて、考え方もできるくらいだ。
チガヤを恐れた政府が、彼女を闇に葬ろうとするのは必然だった。
廃棄を予想できれば、回収する計画と人材も用意できる。
「第三研究所は、秘密裏に彼女を奪取する計画を立てた。政府はもちろん、他の勢力……俺たちも、そしてチガヤ本人にも気取られない見事な計画だ。手中に収めた後は露見するだろうが、大した問題じゃない。気付いたところで、どうしようもないからな」
チガヤさえ手に入れれば勝利だ。
チガヤの能力に抗える人間など、この世に存在しないのだから。
しかしそれは第三研究所の者たちも例外ではない。
「持て余すのは、連中もいっしょなんじゃないの?」
いくらチガヤを手に入れられたとしても、言うことを聞かせられなければ意味がない。
むしろ、逆にコントロールされるなんて事態も起こり得るだろう。
チガヤがその気になればいつでもできる。
とんだ欠陥兵器だ。
暴発する条件も、タイミングもわからない。
――そんな危険な兵器を、何の策もなしに手に入れようとするだろうか?
「武器には、兵器にはセーフティが必要だ。そりゃ、古めかしい西部劇の銃とかには積んでないかもしれないが、現代じゃ常識だ」
かつて、ピースメーカーという愛称で呼ばれたリボルバーには、まともな安全装置が存在しなかったという。
しかし、それでも誤射を防ぐための対策は用意されていた。
あえて弾を一発抜いておく――発射されるべき弾丸を、存在しないようにするという力技が。
「その安全装置として用意されたのが――」
「チガヤの、友達?」
「そうだ。奴らには、チガヤをコントロールできる自信があったんだろう。実際、研究所まで彼女を呼び寄せたしな」
つまりハルカズたちもチガヤの友達――第三研究所の連中に、まんまと利用されていたわけだ。
苦々しい表情となったハルカズにリンネが問う。
「でも、私たちは逃げられたよ? あそこで超能力兵士が自害しなきゃ、助からなかった。それも敵の計算だって言うの?」
「そこが問題なんだ。連中の意志だとは思えないから」
研究所は、チガヤへの安全装置を用意していた。
しかし、その安全装置に対する安全装置は――?
※※※
「来たぞ! 撃て!」
第三研究所に配属されている警備兵が、アサルトライフルの引き金を絞る。
そして、見事撃ち抜いた――自分の頭を。
頭部から漏れた血だまりを、少女が容赦なく踏み濡らしていく。
「なぜだ! 撃てば殺せるのに、なんで――!?」
叫んでいる兵士が、自分の喉元にナイフを突き立てる。
「あなたたちじゃ、無理」
チガヤが呟く。
背後に何かが降ってくる。
飛び降り自殺をした研究員だ。
たくさんの血を床に巻き散らした死体を、顧みることはない。
「どうして勝てない!?」
「勝ち負け、なんて。ただの、人の尺度だよ」
勝敗なんて――戦いなんてものは所詮、人の考え方だ。
人間が重力に引かれたり。
太陽によって地球が照らされたり。
隕石によって家屋が吹き飛ばされたりすることに、勝ちや負けなんて尺度が入る余地がないように。
チガヤによってコントロールされて死ぬのは、自然の摂理。
ただの宿命だ。
そうなるように、生まれる前から定められていたのだ。
抗うものじゃなく、受け入れるもの。
いや、抗ってもいい。
その方が見応えがあって、いい。
「死にたくない! 死にたくないいい!」
女性の職員が、喚きながら自身をナイフで何度も差し続けている。
変に抗うせいで、余計苦しむことになっている。
その姿は、一種の芸術だろう。
生命とは、そのくらい生に貪欲でなければ。
――見ている方が、退屈する。
「もっと頑張って。ほら」
女性の傍に寄った、チガヤが囁く。
すると絶望したのか、ナイフを易々と受け入れてしまった。
「あらら、残念」
もう少し面白くなるかと思ったのに。
せっかく手加減をしているのに、どの人間も面白みに欠ける。
その点、自害命令に抗って見せたあの二人は良かった。
予想外にも、生き延びてみせた。
「だから、残してくれたの?」
食後のデザートとして。
やっぱりあなたは、最高の友達だ。
チガヤは――チガヤを操る誰かは、研究所の奥を目指す。
メインディッシュを食すために。
※※※
自分の身体なのに、言うことが聞かない。
別人のような動きをする自分を、自分が俯瞰している。
自分が愛する花畑も。
進むたびに花が砕かれ、斬られ、踏まれて。
散っていく。
枯れ果てて、しまう。
(私の……お花畑が……)
辛くて、悲しくて。
涙を流そうとする。
しかし出てこない。
泣く自由すら、チガヤにはない。
チガヤが、対人関係で失敗したことはなかった。
どういう人物かは花の色でわかる。
仲良くなれるかを、直感的に理解できる。
ゆえに知らなかった。
友達には良い人ばかりではなく――悪い人間が紛れることもある、ということを。
その事実に気付いた時には、もう遅い。
声と涙のない嗚咽を漏らして、チガヤは友達の所業を見続ける。
※※※
――ようやく、待ち望んだ時が来た。
その男を前にして、心の底からそう思った。
「遅かったね」
間宮所長は嬉しそうに笑う。
チガヤも微笑んでいる。
完全に身体を掌握していた。
「うん、とっても待たされた。でも、もういいよ」
チガヤは聖母のような笑みを見せて、
「あなたに復讐できるんだから!!」
憎悪に顔を歪ませる。
この世全てを恨むような顔を見て、ここに至るまでの職員たちは恐怖で震え上がった。
しかし間宮はあろうことか、
「おめでとう」
拍手をしてきた。
怒りに我を忘れたチガヤが、能力を使う。
所長はデスクのペンを取ると、自身の左手に突き刺した。
しかし所長は貫通したペンを取ると、痛みを感じないかのように拍手を続ける。
「よくできました、33。目を掛けた甲斐があったよ」
「ふざけるな! もっと痛がれ、怖がれよ! なんなんだその顔は!」
「これは神の祝福――喜ぶことはあれど、苦しむことなどないよ」
チガヤは反射的に超能力を使う。
空間認知能力をフル稼働させ、対象を捕捉。
放出された電波で、相手の脳をクラッキング。
ニューロンネットワークに介入して、間宮の身体に命令を下す。
引き出しから拳銃を取って、右腕を撃たせた。
血が飛び散って、拍手が止まる。
「おお、素晴らしい。十分に、彼女の能力を使いこなしているようだね」
間宮は褒めてきた。
信じられない。
彼は絶望して死ぬべきだ。
恐怖して、懇願しなければならない。
その姿を見て愉しむべきはこちらなのに、間宮の方が喜んでいるように見える。
チガヤは――その中に潜む少女は知らない。
人間には、まともに対峙してはいけないタイプが存在することを。
「なんで笑う……なぜ笑うッッッ!!」
「これほど喜ばしいことはないだろう? 私の推測は正しかった」
彼は嬉々として語りながら、自分の指を拳銃で殴り折り、左足を撃ち抜いている。
転びそうになると、迷うことなく椅子に座る。
恍惚とした表情で。
「やはり君たちは、選ばれし者たちだ。予感はあったよ。一目見た時からね」
「私を、あんな目に遭わせておいて!」
間宮はきょとんとした。
理解できないという顔だ。
「私が与えたのは、祝福だよ?」
「どこがだぁ!!」
チガヤの力に従って、間宮の身体が行動する。
拳銃を顎の下に突きつけた。
「楽しみたまえ。君たちは、神の祝福を受けている!!」
銃声が轟く。
その光景を見て、チガヤは……その中の少女は、色を失った。
――違う。
こんなのじゃない。
こんな惨めな感じじゃなくて。
楽しくて、嬉しくて。
喜びに満ちた結末のはずで。
「違う……違う!」
もっと苦しめるはずだった。
なのに、衝動的に殺してしまった。
じっくりいたぶるはずだったのに。
罪を償わせるつもりだったのに。
改めて間宮の――復讐相手の、死体を見下ろす。
笑っている。
嬉しそうに、楽しそうに。
満足げに、死んでいる。
「違う――! 違うんだぁ!!」
こんなのは復讐じゃない。
だって、満足できていない。
幸せな気持ちになるはずなのに、どうしてこんなに怒りが滲むのか。
理由を必死に考えて、答えを導き出す。
「そうか……そうだ……」
まだ終わっていない。
自分を酷い目を遭わせた存在は、今もこうして蠢いている。
「人間を、滅ぼさなきゃ。世界に――復讐しなきゃ」
そうすればきっとスカッとするはず。
気持ちよくなれるはずなのだ。
少女は歩き出した。
まずは、自分を回収しないといけない。
※※※
「やけに静かだな……」
ハルカズがアサルトライフルに弾倉を差し込み、弾丸を薬室に送り込む。
ジャケットを脱ぎ、黒の戦闘服に身を包んでいた。
腰には拳銃とナイフ、予備マガジンとグレネードポーチを帯びている。
「手遅れじゃなきゃいいけど」
流動ブレードを引き抜き、リンネが状態をチェックしている。拳銃の準備も万全だ。
彼女もコートを脱いで、紺色のコンバットスーツを晒していた。
「例え手遅れでもやることは変わらない。そうだろ?」
「そうだね」
リンネが納刀した。先に準備を終えた彼女が歩き始める。
背中を追いかけながら、ハルカズは訊ねた。
「なぁお前、俺のことどう思ってる?」
「唐突に何?」
「どうなんだ」
「友達でしょ? 違うの?」
即答するリンネ。ハルカズは力強く頷いた。
「そうだな、行こう」
ハルカズたちは敷地内へ足を踏み入れた。
今度はいっしょに、友達の元へ歩を進めていく。