第三章 「灯火」
朝から携帯の通知がうるさく鳴る。眠い目を擦りながら確認すると、秋人からだった。
『おはよう! 起きてる? 今日は帰ったら電話できる? あ、やっぱり放課後会える?』
この類のラインは、少し後に返している。あぁ、なんでこうなってるんだろう。彼氏がいるって少し気が重いことだと私は思う。一旦このラインを未読無視して、朝の支度を済ませる。鏡に映る藍色に、ブルーブラックに染まった髪を見て幸せな気持ちになる。そして、鏡越しに目が合った、江舞さんの顔を思い出す。体調は万全なのに苦しくなった。
秋人のラインを無視しすぎた。先ほどきたラインは送信取り消しされていて、次に
『ねえ、起きてる?』
『おはよう、、、』
『俺のこと好き? 嫌われた?』
と、続けてきている。付き合ってまだ日が浅い頃はこれを愛情だと受け止めていたけど、いまはそんな気はしない。
『ごめんごめん、寝坊してたから連絡返せなかった』とだけ送ると、すぐに返信が来た。
『本当? それならいいけど』
『できるだけ早く返してね、寂しいから』
これもすぐ返信しないと怒られる。だから返す。なんで秋人とお付き合いしてるかというと、結婚というビジョン、安定という未来が見えているから。他校だけど、頭は良くて私のこと好きではいてくれるし、このまま一緒にいたら将来安泰だから。私の気持ち的にも、浮気もしなそうだし、この人のことは好き。だけど、鬱陶しくて嫌になる時はある。でも恋愛ってこんなもんだよね。
秋人は最寄りから学校までは友達と通うので、スマホの通知が鳴らなくなった時はもう友達といる時だ。ひと業務終えた。自分の身だしなみを見る時間ができる。江舞さんに染めてもらった髪は、やっぱりすごく綺麗で大満足。髪を切った次の日の朝は、学校のみんなに褒めてもらった。今日も朝起きてぼーっとしてから朝の支度を済ませて駅まで自転車を走らせる。あとは、駅のトイレへ直行する。今日は先に江舞さんがいた。
「青藍ちゃん、おはよ」
「おはようございます」
私には似合わなそうなリップを鏡を見ながらひいていた。
「今週の土曜ってさ、空いてる?」
「へ?」
突然の誘いにびっくりして変な声が出てしまった。
「いや、見たい映画あるから、行こうかなって」
「え、わ、私で大丈夫なんですか」
そんな弱気みたいなことを言ったら、ずっと鏡と対面してた江舞さんはこちらに向き直して、
「え? 青藍ちゃんと行きたいから言ってるの」
「あ、空いてますけど」
「じゃあ決まり。十二時、青藍ちゃんの最寄りの駅で待ってて」
「あ、はい、わかりました」
江舞さんのテンポにはまだついていけない。にしても、今日の江舞さんも綺麗だな。その濃いリップだってなんでも似合ってしまうのがすごい。憧れる。
「あれ、青藍ちゃん見惚れてる?」
にやりと得意げな笑顔を見せる。私はリップに見惚れているのに、
「あの、リップ、可愛いなって思って」
「あーこれね、ちょっとこれじゃあ青藍ちゃんには濃いかな」
と言って、何かバックの中を探している。
「青藍ちゃん、目瞑って」
江舞さんの言うとおりにして目を瞑る。江舞さんの綺麗な手は私の顎に添えられている。唇の上に色が乗る感触がした。
「やっぱり、この色の方が似合うね」
そう言われて目を開けて、目の前の鏡を見る。
「うわぁ」
「どう? かわいい?」
目を輝かせて大きく頷きながら話した。
「はい、とってもとっても可愛いです」
ちょっとマットな、くすみピンクのそれは私が適当に買ったものなんかより何倍も映えていた。
「学校でメイクとか学ぶからさ、そのために買ったんだけど青藍ちゃんが使ったほうが似合いそうだし、このリップも喜ぶと思うからあげるよ」
「ええ、いいんですか。すごい嬉しいです」
私には大人っぽすぎるかなとも思ったけど、このリップが似合うような大人の女性になりたいとも思った。
「喜んでくれてよかった」
「美容師さんとか、メイクさんとかすごいですよね。綺麗にしてくれて、笑顔にしてくれて。素敵な職業だなぁって思います」
「ありがと、今日も学校で可愛いって言われちゃうね」
「ど、どうでしょう、、、」
「いや、江舞なら言う」
「江舞さんは誰にでも言う」
むっとした声で返した。
「ええ、そんなことないよ。可愛いって思ってる子にしか言わない」
やっぱりこの人は軽いな。もう、軽い人の可愛いってあんまり信じれないんだけど。ほんとに嫌な感じ。
「まーたその顔してる」
「あ、バレちゃった」
朝の短い短い時間。だけどこの時間がないと、嫌だって思う。少しでも顔見れたら嬉しいなって思ってる。そんなに江舞さんと話したいのかな。
江舞さんがさりげなく誘ってくれたのを、私は真面目に受け取ってしまい、本当にお出かけすることになってしまった。失礼だけど、待ち合わせ場所にちゃんとくるのかな。そこからもう心配。でも、行きたいと思ってるのは結構事実で、一緒にいると楽しくて、なんだか違う世界に連れ出してもらってるみたいだから、新鮮な気持ちだった。
気合いが入ってるわけじゃないけど、ここはやっぱり一張羅のワンピースで。でもこのワンピースは、友達と遊ぶときに着たことはないかも。
だからと言って、昨日念入りに何かをしたかと言われたら、やっぱり友達と遊ぶ時と変わらない容量だった。
だけど、朝起きて「起きてる?」の連絡が来て思った。もっと早く寝て、もっと可愛くしておけばよかったって。この前までメイクなんか全然したことなかった。友達に教えてもらって少しは上達してきたからやってみた。おかしくないかな、もう全部不安になってくる。この不安は、おしゃれで綺麗な江舞さんのとなりを歩くから、それに見合うようにしなきゃっていう不安。
「青藍、今日はどこ行くの?」
弟がそう聞いてきた。なにもしてないのに、胸がギクっとなって咄嗟に
「クラスの先輩の、友達と、カラオケ。」
と嘘が出てしまった。ある意味先輩ではあるけど、高三の私に、学校に先輩なんかいない。
「ふーん。そっか、楽しんでね!」
「ありがとう」
多分興味本意に聞いたから、あんまり違和感を感じていないんだろう。良かった。かき集めた言葉で作り上げた嘘。なんで嘘ついちゃったんだろう。
その不安を抱えたまま、電車に飛び乗った。いつもは髪を下ろしてるけど、今日はハーフアップにして、柄じゃないけどリボンもつけてみた。江舞さんが切ってくれた姫カットもいい感じに揺れている。電車の窓越しに自分が写っていて、今日は女の子みたいだなって思った。いつも女の子だけど、今日はもっとだ。
電車に乗ってる間は早く着いて欲しいって思うけど、着いたら着いたでずっと電車に揺られてたいって思う。それはこの緊張のせいだ。トイレに行って身だしなみを確認してたら、時間がギリギリなことに気づいて、待ち合わせ場所に急ぐ。少し江舞さんの姿が見えて、やっぱり金髪は目立つなと思った。
「江舞さん、すみません。遅れちゃって。」
「いやいや、今が待ち合わせ時間ぴったりだから。」
「私が楽しみすぎて、早く着きすぎただけ。」
サラッとそんなこと言えちゃうのか。胸がギュッとなった。
東京は今日も混んでいる。
初めてのお出かけは映画だった。切ないラブストーリーを見る。映画館まで遠くて、人混みを何度も超えないと行けなかった。
「映画館も人多いな〜」
「はぐれちゃいそう。迷ったら、探してくださいね」
「絶対迷わせないよ。」
私の右手をそう言って、取って引いた。おはよう、ぐらいのテンションでそんなことを言うから、これがこの人の普通なんだな。でもあったかくて細い手に包まれて、どうしてこんなに安心しちゃうんだろう。後ろ姿を見ながらそう思った。
私だって全部が全部初めてなわけじゃないのに、私の分まで払ってくれたり、対応がスマートだったり、エスコートされたりとか、そう言うのは初めてで。きっといろんな女の子が翻弄されたんだな。
映画が始まると、暗くなった館内に少しびっくりしてしまって江舞さんの服の裾を握ってしまった。
「大丈夫? もしかして、暗いの苦手だったりする?」
「少しだけ、、、」
「最初だけだから、大丈夫だよ」
なでなでというか、頭をぽんぽん、としてくれた。
「あ、撫でられるの嫌い?」
「いや、そんなことないですけど、」
「じゃあ照れてるだけか」
「いや、だから、!」
「あ、明るくなる」
小声でそんなやりとりを続けていたら、緊張も不安も解けて映画が始まった。切ないシーンでは、目をうるっとさせていたり、笑いを誘うシーンではくすくすとしていたり、私が思うよりも表情豊かでかわいいなって思った。こんな一面もあるんだ、二時間前まで知らなかった。
主人公が、ヒロインを下の名前で呼ぶシーンがあった。すると江舞さんは小さい声でこう話す。
「ねぇ、そろそろ江舞さん呼びやめない?」
「え、いや先輩だし、大学生だし」
「真面目だなぁ、江舞は青藍ちゃんのこと青藍って呼ぶね」
「それは構わないですけど」
こそこそ話していたが、江舞さんは口に手を当てて耳元ではっきりと、
「青藍」
と言った。ちゃんと名前を呼んでくれてる感じがして、嬉しかった。せいらでもなくて、青藍って。ちょうど、映画でもヒロインのことをもう一度下の名前で呼んでいた。
「えっと、そしたら、、、江舞ちゃん?」
「え、江舞ちゃん!?」
あまりの衝撃に映画から目を離していた。
「呼ばれたことないよ、めっちゃいい、かわいい」
笑いながら喜んでくれた。私も、江舞ちゃんって呼んだら距離が近い感じする。だけどこのヒロイン、主人公じゃない人を今は好きなんだよね。早くこの誠実な主人公のことを好きになればいいのに、と思っていたらこの映画は終わった。
「江舞ちゃんもういいですかー?」
「待って待って、あと少し!」
「もうそのあと少し、三回目ですよ」
はあ、とため息をつきつつ江舞ちゃんを待つ。映画の後に江舞ちゃんが好んで着るというお洋服のお店に来た。このお店は、アンティークなお店で落ち着いた雰囲気の古着屋。服は溢れんばかりに置いてあって迷ってしまうほどだった。私はこういう服は着ないから慣れていない感じがしている。でも江舞ちゃんはもう五店舗目ぐらいなのに、飽きる気配はなかった。女の子はすぐ飽きそうなくせに。
「青藍こっち来て〜」
「はいはい」
「これ見て」
「うわぁ、、、」
江舞ちゃんが手にしている服はフリルのついたブラウスだった。生地もしっかりしている。このお店に一番似つかない。
「ねえ、これ着てみてよ」
「え、でも似合わないよ」
「似合うから、大丈夫」
確かに、このお店で一番私の系統に近いけど、私には流石に可愛すぎる。でも江舞ちゃんっておしゃれのセンスはあるからなぁと思って、押しに負けて着てみることにした。
「わかったよ、着てみるね」
「やった、絶対可愛いじゃんもう」
あーはいはい、と本気にせず流す。
「覗かないでね」
「流石にそれはしない。変なやつが来ないように見張っておきます」
笑顔の江舞ちゃんをちらっと見てから、試着室に入った。江舞ちゃんに似合うとか言われるの嬉しかったな。いろんな人に言われてきたし、もちろん彼氏にも可愛いとかは言われたことある。江舞ちゃんの可愛いが一番信用できないのに、一番信じたい言葉だな。そんなことを思いながら、試着室の鏡を見てみると、、、
想像以上に似合っている、かも。カーテンを開けたら、すぐ江舞ちゃんが気づいた。
「まっっって、めっちゃ可愛い」
「そ、そうかな」
「えぇ、可愛い、まじ可愛い」
「もう、そんな何回も言われると信じれないって」
「可愛い子には何回でも言うよ」
可愛い子には、って言葉が私を冷めさせてくれる言葉だった。彼氏は、可愛い子にはじゃなくて青藍には何回でも言うよって言ってくれる存在だ。だから、江舞ちゃんの可愛いはそういうこと。信じちゃいけないやつ。
「ありがとうございます、これ買おうかな」
「江舞が買うよ、プレゼント」
「え、だめです。今日もたくさん払っていただいたから、、、」
「遠慮しなくていいのに」
「うぅ、じゃあ、今度はお言葉に甘えちゃおうかな」
とか言ってみてその場を回避して、私が買った。
違う、江舞ちゃんに払ってもらうのも嫌だったけど、一番嫌なのは江舞ちゃんからのプレゼントってところ。だって、今日のお出かけが形として残ってしまうから。それじゃあ私、このブラウスを見るたびに江舞ちゃんのことを思い出してしまう気がしたから。




