第一章 「発火」
頭がいい高校に入れて、大学に入って、できれば結婚して、子供ができて。安泰に生きていければ計画通りで、それでよかった。
今、君と出会って思う。投げ出してでも、何をしてでも君と今を生きていきたい。それがよかった。それじゃないと嫌だ———。
二年間の電車通学も慣れたものだ。いつもの駅のトイレに、こんな朝早くからファンキーな女性がいる。男性と言われたら男性にも見えるけど、腰回り、華奢な肩と細い腕を見たら女性だ。ロングの、ウルフカットで金髪というより、黄髪の髪で、下瞼に濃いめのアイシャドウで、前髪で目はうっすらとしか見えなかった。
その人はそこから毎日見かけるようになった。ここ最近は毎日同じタイミングでこの「ウルフカット」さんと会う。このトイレはそこまで混んでいないので私ぐらいしか利用していないんじゃないかと思っていたけど、違ったようだった。
私は新高校三年生。青に藍と書いて、せいらと読む。個人的には星楽の方が良かったと思っているけど、流石に名付け親のお母さんには内緒。高校二年間青春したかと言われたら、一般的なものはしてるんだろう。高校一年生の時に文化祭でナンパされて、押しに弱い私は、猛アタックに根負けし、生まれて初めての彼氏ができた。その時まで恋愛がなんなのかわからなかった。でもこんなもんかと言ったところだった。今もその人とお付き合いを続けている。彼氏は一言で言うと、おはようとおやすみを毎日連絡してくれるタイプだ。友達もいて、彼氏もいて、家族とも仲良くて、頭だってそれなりにいい高校で。それでよかった。人生が順風満帆だと自負していた。大学は附属なのでこのままの成績で行けると思うし、それは頑張ってきてくれた今までの自分のおかげだ。
私はこの十八年間必死に生きてきた。でも常に何かが足りていない。家のことで特別嫌なわけじゃない。学校で特別いじめを受けてるわけでもない。この均衡がなくなる不安かな。だけど今、なぜか頑張れなかったりする自分が嫌で、自分の負の気持ちに勝てないことが多くなった。何かをずっと引きずっててこの辛さが終わるのも時間の問題だったんだろうけど、蓄積された寂しさや物足りなさに似た感情が私を襲い、今日というこの日は駅のトイレの手洗い場前で泣いてしまった。
一人だと思ってたけどウルフカットさんがやっぱり来てしまった。鏡越しに泣いている私と目が合い、ウルフカットさんは一瞬目を丸くしたけどトイレの個室へと入ってった。私はずっとひたすらここにいることしかできなかった。押しつぶされそうな気持ちに一人で戦っていたら、トイレから出てきて手を洗ったウルフカットさんが横に来た。
「どうしたの? 私に何かできること、ある?」
「え、、、、?」
泣きじゃくる私は鏡越しのウルフカットさんに真っ赤な目を落とした。
何事だと思った。ウルフカットさんは長い前髪と濃いメイクで少しの目線しか伺えなかったけど、ギロっと大きくて丸い目は私を仕留めていた。動物で言うと、やっぱり狼?
「あの、その、いいです、失礼しました。」
知らない人の言うことを突然聞くのは怖かったし、知らない人にはついていかない。
「待って、お嬢ちゃん、じゃあ一つ、辛いなら逃げな。何があるか知らなくてもお嬢ちゃんの涙からいいこと感じないよ。」
その人の言葉は悔しいほど的を得ていた、得ていたけど綺麗事に、聴こえてしまった。その言葉を聞いてきっと十秒ぐらいの沈黙を作ったけど、私の滞空時間は五分ぐらいでずっと思考を巡らしている。それができたらこっちは苦労してなかったから。だって何もかも充実してて何から逃げればいいってのよ。大学生で、派手髪なんて大抵チャラチャラしてるっていうもんね。泣いてる女子高生の私をからかいたのか?
「あ、ありがとうございます。」
とりあえず、お礼だけ伝えた。
「うん。泣いてる女の子のこと放っておいちゃダメだからね。」
そう言った瞬間だけまた、ちらっとウルフカットさんの顔が見えた。綺麗な人だった。
「そういえばよくここ使ってるよね、お嬢ちゃん。私のことわかるっしょ?」
「あ、はい、そうですけど、、、」
「自分は、十八。」
「え? 私もです。高三。」
「あ、大学一年だから今年で十九。早生まれなんだよね。」
だからさっきからタメ口なんだ。そもそも私と、一歳差とは思えない。どんな人生を生きてきたらこうなるんだろうか。
「その制服、××女子?」
「そうですけど、」
「頭いいんだね」
「いや、そこまでです。」
「真面目なお嬢ちゃんに質問、の前にちょっと場所を変えよう。」
といって、目線をトイレにできつつある列に移していた。ここはトイレ。どれだけ人が来なくても公共の場だと言うことを忘れていた。きっとウルフカットさんは泣いてる女の子を助けたいだけだったからここまでの善意があるんだろう。知らない人には着いて行っちゃいけません。幼い頃からずっと聞かされていた言葉、初めて破っちゃったよ。今も独りにされたら泣きそうだったから、私もそんなウルフカットさんの善意に乗ってしまった。
「お嬢ちゃん××女子ってことはA方面?」
「そうですけど、、、」
「ホームのとこで話そう、変なことは言わないからさ。」
学校には早く着きそうだったし暇だったから、言われるがままにした。
ホームのベンチで語り出すウルフカットさん。
「辛いことがあるの?なんか、全く他人とかの方が話しやすいかなと思うし落ち着くまで聞くけど。高校生だし、そりゃあまあ、色々あるよな。」
「特に辛いこととかはないんですけど、なんか、充実しちゃってて、その中にすごい寂しさを感じるって言うか、」
「んな贅沢な」
「ははは、そうですよね。」
愛想笑いで返した。
「あーでも、言いたいことわかる。そういうのって残酷だけど、失わないと気づけないからさ、人間って。」
「はい、」
「だからさ、失ってみたら?」
「、、、はい?」
失ってみる?
「全部なくなった時に重要性というか、寂しいよりもやっぱり物足りない幸せの方が満足いってたんだなぁとか、あるいは違ったとかわかるよ。」
「すごいですね、、、。私にはできるかわからないです。どんな風に生きてきたんですか。すみません、かなり他人なのに、、、」
逆転の発想だったから、やっぱり人との出会いって何かの意味があるのかなぁとかそこまで思ってしまった。
「意外と普通の人生だよ、今人助けしてるんだから、他人も何もないし。」
「あ、ありがとうございます。」
「さっきの話だけど、変えないと変わらない。小さいことでもいいから、朝十分起きるだけでも違う。朝の十分で何が起こるかはその時じゃないとわからないし。逆に十分遅く起きてみたら? 物足りなさなんて感じないぞ。」
「確かに、、、でも朝の十分ってかなり大きいですよね。」
「そうそう、てか、学校の時間は大丈夫?」
「え!? あ、やばいです。次の電車乗ります。あ、あとこんな見ず知らずの女子高生の悩みを聞いてくださり、ありがとうございます。」
慌てて全部言ってしまったから、ウルフカットさんは笑いながら聞いていた。
「そんなんいいよいいよ。笑顔のが可愛いよ。頑張ってね。」
と言ってホームのベンチから立ち上がって私より一回り背が高いウルフカットさんは、反対方向へと向かっていった。
『「失ってみたら?」』
この言葉が忘れられなかった。
私は世界を、全てを変えれるチャンスに出会った気がしてしまった。人生は、ここからもう一度始まる気がした。この予感は誰にもわからなくてもいい。知らない人についていって、何も知らない人に個人的な話をして、そんなことしてはけませんって世間では、絶対に言われる。だけど、その言葉に私の気持ちはない。私の気持ちは違う。自分で変えたい。
もっとこれからの先の未来で傷ついたとしても。
気づいたら私の体はもう一本の電車を逃し、ウルフカットさんのところへ走っていった。
「すみません!」
「あれ、どうしたの?」
「あの、その、おかしいかもしれないんですけどまたお話ししたくて、だからその、お名前聞いてもいいですか!」
そういえば、私人と話すの苦手なんだ。
「そのためにわざわざ?お嬢ちゃん面白いね〜」
「私は江舞。一応女で、さっき言った通り十八歳。専門学校通ってます。あれ、、、言いすぎた?」
「いや、全然です。江舞さん、、、お願いします。私は、青藍です。」
「せいらちゃん? 可愛い名前だね。わざわざありがとう。連絡先渡しておくから、学校行きなね?」
「はい!ありがとうございます。」
「またね、青藍ちゃん。」
そういう江舞さんにお辞儀をして、ギリギリ急行の電車へ飛び乗った。
一時間前まではさっきまで泣いていたはずなのに、今は涙が出ていない。こういう小さい変化に泣けたり笑えたりするのってきっと今しかないんだろうな。これって心が豊かな証拠かな?江舞さんとの出会いで埋め合わせた今日は忘れられない日になった。
いつも通り彼氏からのおはようのラインをちょっと遅れ気味だけど、返した。




