76 アンジェリーナはループ♾を終わらせたい(終)
翌日、アンジェリーナはライトフット王国に帰った。
「帰るのかよ!」
「あ、当たり前でしょう!? わたくしはフェニの家族なんだから、長く国を離れられないの! 一時帰国は必須なのよ!」
「……一時?」
「え?」
コテンと首を傾げるアンジェリーナに、ニコラスは悟った。ジェフリーに、してやられたのだ。
「だいたい、契約精霊に会うために帰国ってなんだよ。呼び出せばいいだろ」
「わたくしとフェニは、ライトフット王国の国防の要なのよ。二人同時に国外には出られないの」
時の大精霊フェニとその契約者アンジェリーナは、ライトフット王国の象徴であり、国防の要だ。例え聖女のいる隣国ラマディエール王国であったとしても、二人を同時に国外に出すことは認められなかったのである。
そして、フェニはラインハルト第二王子の側で、最初はいい子で待っていたらしいのだが、長引くアンジェリーナの不在に、グズつき始めたと連絡が来たのだ。
そうであれば、アンジェリーナは何をおいても帰国しなければならない。
「帰るなよ」
「む、無茶言わないで」
「離れたくない……」
ニコラスはそう言うと、朝からアンジェリーナを抱きしめ、彼女の準備を邪魔してくる。
夜中に現れたこの侵入者は、実はなんと、あれから結局帰らずに、アンジェリーナの寝室に一晩居座ったのだ。
アンジェリーナが「わたくしの心臓が破裂する前にお帰りなさい!」と叫んだのに、ニコラスは嬉しそうにするばかりで聞いてくれなかった。
アンジェリーナは寝台で、ニコラスはソファで寝ていたけれども、アンジェリーナはドキドキしすぎて、お陰で寝不足だ。
ライトフット王国の隠れ屋でジェフリーと三人で寝泊まりもしたが、隠れ屋にいるのと王宮の一室にいるのとでは、なんだか気持ちの持ちようが違うのだ。しかも、奴は事あるごとに、愛おしそうにアンジェリーナを見つめてくる。おはようのキスもねだられたし、頭を撫でたり頰にキスをしてきたり、抱きしめたりしてくるのだ。甘々が過ぎるのである。確実に、アンジェリーナの心臓を潰しにきている。
アンジェリーナは、朝から絡みついてくる不埒な男に、苦言を呈した。
「そろそろ侍女がくるんだから、離して! ぜ、絶対に見つからないでよ!?」
「見つかって既成事実を作った方がよくないか?」
「なんてことを言うのよ!」
「リーナは、俺を捕まえて、フェルニクス侯爵の婿としてライトフットに連れ帰るために来たんだよな?」
「そ、れは……そうだけど」
「じゃあ、俺と仲良くして、俺のことをしっかり捕まえるのも、それを周りに見せつけるのも公務だよな。身体を張った公務に臨むなんて、リーナは大変だなぁ」
「!?」
意地悪なことを言いながら頭にキスを落とす恋人に、アンジェリーナはワナワナと震える。あまりに真っ赤なその顔に、ニコラスはクハッと笑った。
「冗談だよ。事情は分かった。俺も行く」
「え!?」
「朝一じゃきついから、午後になると思う。ラファエルを揺さぶってくるよ」
そう言うと、黒髪の彼は、アンジェリーナのあごに手を当て、唇を奪い、すぐに姿を消した。
その場に取り残されたアンジェリーナは、当然ながら爆発していて、朝の準備にやってきた侍女のナサリーは、彼女の様子に目を丸くした。
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こうして、アンジェリーナとニコラスは、正式に婚約を結んだ。
そのことを、誰よりも喜んでくれたのは、聖女フィルシェリーだった。
「まったくもう。ニコラス卿、またこんなふうにアンジェリーナ様を泣かせたら許さないんだから!」
「……悪い」
なんだか妹に怒られた兄のような様子のニコラスに、アンジェリーナはクスクス笑っていた。
そして、恐ろしいことに、婚約を結んだ二ヶ月後には、ニコラスは一代公爵の地位を手に入れた。
「公爵!? 一代!? ラマディエールの!? そ、そんな、簡単に!?」
あっという間に自分の爵位を追い抜いたニコラスに、アンジェリーナは仰天する。しかも、大国ラマディエールの公爵と、小国ライトフットの侯爵だ。背伸びをしても届かない。
「元々、ラファエルとフィリーから一代公爵の地位をやるって言われてたんだ。あとは俺の了承だけだったからな」
「なんで!?」
「なんか、俺がいると色々便利だから、首輪をつけておきたかったらしい」
嫌そうに肩をすくめるニコラスに、アンジェリーナは納得した。
確かに、ニコラスは便利だ。
闇魔法耐性はあるし、物の道理は分かっているし、博識だし、暗部業もこなせる。普段は気さくで人タラシで、いざとなると貴族らしく振る舞うこともできる。ちょっと頼んだだけで、勝手に色々情報を集めて来てくれる。
国に一人は欲しい!
「便利……!」
「なんか失礼なこと考えてるだろ」
「ま、まさかソンナー」
ジトリと半目で見てくるニコラスに、アンジェリーナは目を泳がせる。
ニコラスは、そんな彼女の手を引いて、自分の胸に抱き寄せた。アンジェリーナは慌てた。
「ちょっと、ニック!」
「リーナに釣り合うように、手配したんだけどな」
「えっ」
「驚いて惚れ直してくれるかと思ったのに」
彼女の頭にキスしながら、不満そうにするニコラスに、アンジェリーナは真っ赤である。
「名前は、フェルニクス公爵にしておいたよ」
「……!? そ、そんな……いいの?」
「リーナとの繋がりが欲しかったから。それに、どっちの国でもフェルニクスって呼ばれた方が便利だろう?」
迷いのないニコラスに、アンジェリーナは早鐘のように打つ心臓を抑えることができず、うまく反応できなかった。
家名のお揃い――アンジェリーナとニコラスが別れたら大惨事だが、ニコラスはそんなことは起こらないと言ってくれているのだ。その気持ちが、アンジェリーナにはとても嬉しくて、これ以上なく恥ずかしい。
アンジェリーナは、自分の顔を覗き込んでくる紫色の瞳から逃れるべく、彼の胸に顔を埋めた。
「リーナ?」
「……」
「リーナ」
「やっぱり、ニックはズルいと思うわ」
「どういうところが?」
「……そういう」
「うん」
「格好良すぎて、わたくしばっかり惚れ直しちゃうところが!」
ニコラスは、クハッと嬉しそうに笑った。
アンジェリーナは、悔しそうに歯噛みする。
「わたくし、いつもこうなっちゃうの、本当にダメだと思うの」
「うん?」
「いつもいつも、わたくしばっかり振り回されて……時が戻った訳でもないのに、ずっとループしてるわ。ループはもうお腹いっぱいなのに!」
目を丸くした後、ケラケラ笑い出したニコラスに、アンジェリーナは地団駄を踏んだ。
「見てなさい。わたくしはね、このループ、なんとしても脱出してみせるんだから!」
「……リーナはもう、俺に惚れ直してくれないんだ?」
「そんな寂しそうに言わないでよ! そんな訳ないでしょ、いつもいつだって惚れ直して……ちょっと、だめよ嬉しそうにしないで!」
とうとうお腹を抱えて笑い出したニコラスに、アンジェリーナは涙目でプルプル震えた。
「わたくしは、振り回されるような女じゃないのよ。あなたを振り回して、このループを断ち切ってみせる……!」
「意気込みだけはすごいな」
「意気込みだけにしないで!? わ、わたくしはね。侯爵令嬢として、時戻りによるループも終わらせたの。やれば出来る女なのよ。だからね、侯爵にまでなったわたくしが、このくらいのループ、終わらせられない訳はないんだから!」
「ふぅん」
アンジェリーナの宣言を聞いたニコラスは、意地の悪い顔をして、ジリジリとアンジェリーナに近づいてきた。
なんだか悪い予感がして、アンジェリーナは彼から逃げるべく、少しずつ後退する。しかし、背中に壁が当たり、これ以上逃げられないことに気がついた。逃げようにも両脇を手で遮られ、アンジェリーナは彼に捕獲されてしまう。
「ニック。待って。あのね?」
「どうした、リーナ。リーナは俺を振り回すんじゃなかったのか?」
「そ、そうよ。だけどね、今は少し離れて。準備がいるの」
「準備ねぇ」
アンジェリーナの婚約者は、悪い顔で彼女の頰にキスを落とした。
「楽しみにしてるよ、愛しい婚約者様」
耳元で囁かれて、アンジェリーナは思った。
今回のループは、最高に格好良い侯爵アンジェリーナといえど、終わらせるのは難しいかもしれない。
〜終わり〜




