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75 最高に格好良い侯爵




 ニコラスはただ、尊敬するじーさんのようになりたかった。

 自分を育てたじーさん――ビルの教えを守り、彼を目指すという目標があった彼は、常に自分自身をコントロールして生きてきた。


 ライトフット王国でも、彼は、ビルの教えを忠実になぞっているだけだったのだ。


『じーさんはさー、なんか厄介ごとに巻き込まれたら、まずはどうするんだ?』

『ん? 厄介ごとか……それは陣営とかが別れて揉め事を起こしてるって意味でいいのか?』

『うん、まあ、それでいいや』

『それなら簡単だ。いい女がいる陣営につく』

『げ、俗物』

『何を言うか! いい女に近づいて口説くのは男の義務だぞ』

『そうかなぁ』

『ちょっとしたロマンスを楽しむも良し、その女の背中を押すも良し。彼女が悪女なら、うまいこと手玉にとって、情報だけ頂いてとんずらだな』

『悪女でも陣営替えしないのかよ!』

『当前だ! 野郎ばっかりの陣営なんぞ、関わる価値もないからな!』


『へぇ、ビル。楽しい話をしているのね?』


『ひっ!?』


 背後から現れたのは、ビルの妻だ。ビルは悲鳴を上げながら、そのまま妻に連行されていった。なにやら『ニコに変なことを吹き込むんじゃない!』とコテンパンに叱られたらしい。平手打ちの跡を見せながら、ビルはケラケラと笑って、そうニコラスに教えてくれた。


 それからというもの、ニコラスは何か事件が起きたら、いい女がいる陣営につくようにしていた。

 ちょっとしたロマンスを楽しむも良し、その女の背中を押すも良し。事件解決に向けて尽力しつつも、最後はなんでもないふうに「大したことはしていませんよ」とうそぶいて、とんずらする。


 正直、楽しかった。

 じーさんの真似をして格好つけているニコラスを、みな、きどった育ちの悪い貴族令息として、最後には気に入ってくれた。

 じーさんのように格好良い自分でいられるその瞬間が、ニコラスは好きだった。ついでに、人の手助けをして、誰かが笑顔になっているのを見るのも好きだった。


 そして、ニコラスはライトフット王国の地を踏んだ。


 そこで彼女を見つけたとき、ニコラスは、チリつくような、嫌な予感を感じた。


 ホワイトブロンドに空色の瞳の、勝ち気でお高く止まった侯爵令嬢。

 初恋の彼女と同じく、吊り目がちな美人であったその人は、何故か卒業パーティーで断罪されていた。第二王子の暴挙にみなが動揺する中、たった一人、自分を曲げず、凛とした姿で立ち向かっていた侯爵令嬢。



 ああ、綺麗だ、と――そう、思ってしまったのだ。



 ニコラスは、一眼見て、彼女を気に入った。

 だから、事件が起きて情報収集をある程度終えたそのとき、誰に接触するか考え、悩むことなく彼女を選んだ。


 彼女は、思ったとおり、気高く高慢で、予想外に、お調子もので人懐こかった。

 打てば響くような反応を返す彼女に、聖女フィルシェリーと同じくらい()()()()()()()()()()()()()()()()()()()アンジェリーナに、ニコラスはどんどんのめり込んでいった。

 けれども、まだニコラスは、引き返すつもりだった。ラインハルト第二王子が彼女のことを好いていることは明白だったし、そんな婚約者がいる彼女を攫っていくつもりはなく、じーさんの教えのとおり、事件解決後は何事もなかったかのように、ラマディエール王国に帰る予定だったのだ。



 なのに、アンジェリーナが、ニコラスの心を捕らえてしまった。



 ビルのようにありたいと願い、そうして強くなったニコラスの弱い部分が、欲しくてたまらなかったものを、アンジェリーナが差し出してきたのだ。


 ニコラスを助けると言い、命をかけて救った。

 無下に扱われ、価値のないものとされたニコラスを、何よりも大切なものとして扱ってくれた。


 ニコラスは彼女に堕ちた。狂おしいほどに、彼女を欲しいと思った。


 しかし、ニコラスは一方で、冷静だった。

 それは、尊敬するビルの教えと、心のどこかで自分の価値を信じていない、ニコラスの自信のなさからくるものだった。


 ビルの教えは結局のところ、人を()()()()()()()というその一点に集約されている。

 そして、ニコラスの中で、大したことのない自分がアンジェリーナを手に入れるということは、彼女の幸せに繋がらない()()()()行動だったのである。


「俺なんかが、リーナを口説いて、手に入れたとして……リーナにはなんの得もない話だ」


 ニコラスの言葉に、ジェフリーは悲しそうな顔をするだけで、ニコラスの決意に口を出さなかった。ただ、「お前がそれでいいなら、いいんだ」と言ってニコラスの頭を撫でた。

 ニコラスは、それでもう十分だった。


 だから、それからも迷うことなく、アンジェリーナが幸せを掴めるよう、全力をつくした。

 ラインハルト第二王子は、良い男だ。彼はアンジェリーナを愛している。事件が解決すれば、彼はアンジェリーナを幸せにしてくれることだろう。

 それよりも、アンジェリーナが、ニコラスよりもオルトヴィーンを頼りに思うのだけは我慢ならなかった。自分がアンジェリーナの中に残せるものは、『あのとき助けてくれた最高に格好良い男』という事実だけなのに、ニコラス以外に頼ろうとするのは、受け入れがたかった。


 そうやって、なんだかんだ事件が解決し、ニコラスはライトフット王国の地を離れることとなった。

 最後の最後まで、なんとか格好良い貴族令息の姿で、アンジェリーナと別れることができて、ニコラスはホッとした。


 途中で何度も、アンジェリーナの将来に関係なく攫ってしまおうかと思ったし、そうしたとしても、最終的にアンジェリーナを口説き落とす自信はあった。けれども、好きな女の幸せを願わずに、自分の欲望を優先するのは、じーさんの教えに反する。だから、ニコラスは笑って、アンジェリーナと距離を置いた。そうやって、自分を保つことができて、ニコラスは心底安心したのだ。


 それなのに――。



『わたくしが! あなたを好きだからよ!』



 目の前に、アンジェリーナが現れてしまった。


 しかも、言うに事欠いて、ニコラスのことが好きだなどと言っているのだ。その言葉がどれだけニコラスを揺るがすのか知りもしないで、彼女は全力でニコラスに好意を向けてくる。


 ニコラスは喜びと動揺で、彼女を直視できなかった。


 必死に冷たい態度をとって、彼女を冷たくあしらった。いつもの格好良い自分の仮面が崩れているのも分かっていたけれども、早く帰ってほしくて、傍に居てほしいと告げてしまいそうな自分が嫌で、本当に必死だったのだ。そして、アンジェリーナを泣かせている自分への嫌悪も、二度と会わないと言われてしまった衝撃も受け止められない中、逃げるようにその場を去った。


 けれども、アンジェリーナがラマディエール王国まで来てしまった時点で、きっと、ニコラスは捕まっていたのだ。

 仮面が剥がれている時点で、彼女の魅力に、膝を折っていた。

 それを認めるのが嫌で、必死に逃げ回っていたけれども、彼女が帰国すると聞いて、結局耐えられなくなってしまった。


「人を助けて、格好つけて、じーさんみたいに……それで、よかったんだ」

「ニック」

「リーナは、ラインハルトのものだから、都合が良かった。俺なんかが手を出していい女じゃない。それで、よかった」

「良くないわ。手を出してもらうために、ここまで来たのに」


 驚いて顔を上げたニコラスに、アンジェリーナは上目遣いで不満を伝える。息を呑み、顔を真っ赤に染めたニコラスは、これ以上その情けない顔を見られないように、彼女を再度抱きしめた。


「リーナ」

「……はい」

「俺は、リーナが思ってるような男じゃない。多分、すぐ幻滅する」

「そんなことないと思うけれど」

「そんなことある。……あと、めちゃくちゃ重たいと思う」

「……!?」

「だから、リーナは俺から逃げた方がいい」


 ニコラスの言葉は、アンジェリーナを拒絶していた。

 しかし、やはり言葉とは裏腹に、彼女を抱きしめるニコラスの腕は一向に弛まない。


「これじゃあ逃げられないわ」

「リーナが悪い」

「もう、なんなのよ」

「リーナ」


 声色が変わって、アンジェリーナの体に緊張が走る。

 ニコラスは、絞り出すように、小さく呟いた。



「……好きだ」



 アンジェリーナの視界が歪んで、ポロリと涙がこぼれた。


 これを言うために、彼はどれだけ考え、悩んだのだろう。

 それが嬉しくて、そして、何よりも愛しい。



「だから、さっさと、ライトフットに帰っ――」



 アンジェリーナは頭突きをした。



 二人の目の前に、火花が飛んだ。



「った! 何するんだよ!」

「何をするはこっちの台詞ですわよ! 最高にいいところで何を言い出すのよ!」

「いや、俺の台詞で間違いないだろ! いい話をしてたのに何してるんだよ!」

「みくびらないでちょうだい!」


 目の前で仁王立ちになっている自分よりも背の低い金色に、ニコラスは目を白黒させる。けれども、目を離すことができない。彼女は肩で息をしながら、凛とした姿で、ニコラスに立ち向かっていた。


「わたくしは、最高に格好良い侯爵なのよ! そんなふうに言われて、はいそうですかと帰る訳ないでしょう!」

「……っ!」


 ニコラスが歯噛みすると、アンジェリーナは「悔しそうにしないでよ! もう!」と憤りを露わにする。


「ニック、わたくしを侮らないでちょうだい。わたくしはね、ちゃんとあなた自身を見て、好きになったの。幻滅なんて、とんでもないわ」

「……リーナ。本当の俺は全然、格好良くなんてない。今回だって、リーナに格好悪いところばかり見せただろ。だから、これから一緒にいたら、もっと幻滅して」

「だから、幻滅なんてしないわよ! そういったところを含めて、わたくし、あなたを最高に格好良いと思っているんだもの!」


 息を呑むニコラスに、アンジェリーナは不満で一杯である。こんなにもアンジェリーナを虜にする彼は、何故自分の魅力を知らないのか。


「全部を見た訳じゃないわ。あなたの人生の、ほんの一部しか、わたくしは知らない。けれどね、ニック。それでも、あなたを見ていれば、分かるもの」


 アンジェリーナは、彼と出会ってからのことを思い出していた。

 今日のように突然寝室に現れて、泣き出したアンジェリーナの話を聞いて、理解して、心を奪っていった人。いつだって飄々としていて、余裕綽々で人をからかって、だけど色んなことを知っていて、色んなことに気を配っている人。それができるようになるまでに弛みない努力を重ねてきただろうに、自分に自信がなくて、だけど、彼はその傷を決して、人に押し付けたりしなかった。


「格好良くあるために、あなたがどれだけ自分を律して生きてきたのか、わたくし分かるわ。魔法の技術も、立ち居振る舞いも、言葉選びも、なにもかもが、あなたが多くの努力を積み重ねてきたことを証明してる」

「俺は、そんなに大した奴じゃない」

「大した奴よ」

「違う。本当の俺は、惨めな捨て子だ。全部、仮面なんだ。結局、根本は、変わらない……」

「じゃあ、もっと凄いじゃない」


 ニコラスは、彼女の言葉に目を見開いて、怯んだように一歩下がった。

 アンジェリーナは、そんなニコラスの右手を両手で握りしめた。彼女は、彼を逃す気はないのだ。この、自信のない分からずやには、しっかり彼女の愛の言葉を聞いてもらわなければならない。


「恵まれない環境を、辛かった思い出を、あなたは人に押し付けないじゃない。過去のせいで捻くれたっておかしくないし、自信のなさから人を傷つける人だって沢山いるのに。仮面であったとしても、今のあなたは、困った人を助けてくれるヒーローで、最高に格好良い男だわ」

「……、俺、は……」

「辛いことがあるのに、前を向いて、未来と向き合ってる。ものすごくいい男でしょう? わたくしが好きになってしまうのも、仕方がないと思うの。素敵すぎて、ズルいのよ」

「ズルい」

「そう。わたくしばっかりどんどん好きになってしまって、不公平よ! もうね、多分、ニックが想像している百倍ぐらい、ニックのことを好きなんだから。本当に大好きなの。絶対に許さないわ……!」


 アンジェリーナは、震える手でニコラスの手を握りしめたまま、頰を染めてプリプリ怒っていた。


 ニコラスは、目の前で憤慨している可愛い侯爵をしばらく見つめた後、静かに息を吐いた。


 もう、逃げられないと悟った。


 彼の抵抗は、悩みは、全て彼女に打ち破られてしまった。


 けれども、ニコラスの胸の内に広がるのは、言いようのない喜びと、安心感だった。


 ……ニコラスは()()()()()()()()()()、今回の相手は、彼が敵わなくても仕方がないのだ。

 ニコラスが惚れた、ニコラスを好きでいてくれている彼女は、最高に格好良い侯爵なのだから。


「大体ね、普段は格好良い男がそうやって弱いところを見せてくれたりしたら、女性は夢中になるばっかりなんだからね。本当に、ニックはズルくて酷くて女たらしで悪い男だわ!」

「随分悪口が増えたな」

「全部事実だもの!」

「へぇ。それで、そんな悪い男にひっかかったリーナは、どうしたらその酷い男を許してくれるんだ?」


 いつもの意地悪なその響きに、アンジェリーナはハッとして顔をあげる。

 そこには、いつもの、いつも以上に調子に乗った雰囲気の彼がいた。ニヤリと笑いながら、アンジェリーナの手を引いて、彼女を自分の方に抱き寄せる。


「……ッ!? ニ、ニック!?」

「なあ、リーナ。質問に答えてほしいんだけど」

「耳元で囁かないでよ!」

「リーナにもっと好きになってほしいから、やめられないな。リーナは、こういう悪い男が大好きなんだもんな?」


 アンジェリーナがニコラスを涙目で睨みつけると、ニコラスは意地の悪い笑みを浮かべて、アンジェリーナを見つめていた。その紫色の瞳は彼女への想いで溢れていて、アンジェリーナは真っ赤になったまま、言葉にならない声を漏らす。


「リーナ」

「……ぅ、な、なんで急に、元に戻っちゃったの!」

「リーナが、俺を捕まえたからだよ」

「わ、わたくし捕えましたの!?」

「そうだ。誰よりも好きな女が、俺のことを好きだと騒ぎながら、こうやって腕の中にいるんだ。自信もヤる気も漲るのは当然だろ?」

「それ、捕まってるの、わたくしの方ですわよね!? 物理で! そして身の危険!?」


 アワアワと狼狽えているアンジェリーナに、ニコラスはクハッと笑う。

 その様子に、久しぶりの笑い方に、アンジェリーナは何故だか嬉しい気持ちがあふれて、笑顔がこぼれる。


「それで、ニック」

「うん?」

「ニックは大好きなわたくしを、このままライトフットに追い返しちゃうの」

「大好きとは言ってないなぁ」

「言ったも同然でしょ!?」

「愛してる」


 目を見開いたアンジェリーナの頰に、ニコラスはそっと手を添える。



「リーナ、愛してる。もう一生離さない」



 ポロポロ涙をこぼすアンジェリーナに、ニコラスは苦笑した。


「なんだよ、結局泣くのか」

「うぅ……、ニックが悪いのよ!」

「そうだな。俺は悪い男で、リーナには絶対に許してもらえないみたいだしな……」

「根に持たないでよ!」

「リーナ」

「なによ!」

「会いにきてくれて、ありがとう」


 ぽかんとしたアンジェリーナの瞳に、ニコラスの笑顔が映った。愛しさで溢れていて、自信のなさなど垣間見ることもできない。


「俺のことを好きになってくれて、ありがとう。沢山傷つけたのに、諦めないでいてくれて、ありがとう」

「そ、んな……いいのよ、別にッ……」

「そうか。リーナはいい女だな。流石は、最高に格好良い侯爵だ」

「……!」

「頑張ってくれて、ありがとう。……だけど、もう絶対離さないし、逃さない」


 ここでようやく、アンジェリーナは気がついた。


『でもね。お、お願いが、あるの。最後に一回だけ、『頑張ったな』って褒めてよ。そうしたら、わたくし、帰るわ。…………もう二度と、目の前に、現れないから……』


 確かに、そう言った。おねだりをした。

 そして、ニコラスはそのおねだりに応えてくれたのだ。


 けれども、このタイミングで褒めちぎってくるなんて、あまりにもズルすぎないだろうか。

 アンジェリーナの心のツボに、全ての言葉が突き刺さってくる。大好きが過ぎて、手が震える。


 そんなアンジェリーナの手を、ニコラスはそっと持ち上げると、愛おしそうに口付けを落とした。

 アンジェリーナは瀕死の重傷を負った。


「……ニックに」

「うん?」

「もっと沢山わたくしを好きになってくれたら、許してあげるって言おうとしたのだけれど……やっぱり、いいわ。いえ、だめだわ。わたくし、そんなことをされたら、きっと死んじゃ」


 う、と続けることはできなかった。

 ニコラスの顔が近づいたと思ったときには、そっと唇を塞がれていて、アンジェリーナは息をするのも忘れてしまう。


「じゃあ一生、俺はリーナに許してもらえそうだな。よかった」


 恥ずかしさと嬉しさと動揺で爆発したアンジェリーナは、好きな人の傍にいるというのはこんなにも大変なことなのかと悩みはじめた。



 こうして、最高に格好良い侯爵アンジェリーナは、大事な人を自分の手で掴み取ったのである。




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