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74 侵入者




 ラマディエール王国に来国してから、二週間後の夜。


 アンジェリーナは湯浴みをし、ラマディエール王国から提供された軽くて上質な素材のネグリジェに身を包み、髪を乾かし、既に寝台の上にいた。


 けれども、うまく寝付けなかった。


 彼女は基本的に能天気なところもあり、また初めての外交で疲労していることもあって、この二週間は毎日、夢も見ずにぐっすり寝ていた。

 しかし、さしもの彼女も、明日にはライトフット王国にいると思うと、胸が痛んでなかなか眠ることができなかったのだ。


(……あれから、一回も会えないなんて、思わなかったわ)


 フラれるにしても、来国中は、友人として毎日のように会いに来てくれると思っていた。

 あの意地悪な笑顔で、アンジェリーナの心を揺さぶり、ねじ上げてくるに違いないと思っていたのだ。

 それはアンジェリーナにとってきっと辛い毎日だけれど、最後の思い出になる大切な時間として、受け止める覚悟はあったのだ。

 それがまさか、こんなふうに喧嘩別れのような形で終わってしまうとは思わなかった。

 せっかく同じ国の同じ街にいるのに、顔を見ることも叶わない。

 アンジェリーナは、涙が出そうになる自分が嫌で、顔をブンブン振ると、寝台から抜け出した。


 なんとなく、星を見たいと思ったのだ。


 もしかしたら、彼もどこかで同じ星を見ているかもしれない。

 同じ街で、同じ星を見て……それを最後の思い出にしようと思ったのだ。


 寝巻きのアンジェリーナは、フラフラとバルコニーに近づく。

 そして、バルコニーへ続くガラス戸の鍵を開け、ガラス戸を開けたところまではよかった。





 ――突然、黒い影が扉の向こう側から飛び出してきて、アンジェリーナを拘束した。





「むーッ!?」

「静かに」


 アンジェリーナは拘束されたまま室内に連れ戻され、扉は無情にも閉まってしまう。


 一瞬、壁が紫色に光った後、アンジェリーナはそのまま侵入者に抱きすくめられてしまった。

 その覚えのある感触に、香りに、アンジェリーナは動転する。


「な、な、な……っ」

「防音魔法を張った。この部屋の声は、外には聞こえない」

「何をしているの!?」

「それはこっちの台詞だ」

「いえ、私の台詞で間違いないはずよ!」


 さらにきつく抱きしめられて、アンジェリーナは自分の体温がどんどん上がって行くのを感じる。


 一体、何が起こっているのだろう。

 ずっと会いたくて、探していたのに、逃げ回っていたくせに、これはどういうことなのだ。


「……ニ、コラス卿」


 アンジェリーナは、自分を抱きすくめている黒い男に声をかけたけれども、返事はなかった。


 何故かは分からないけれども、彼はアンジェリーナと会話をするつもりも、彼女を離すつもりもないらしい。


 アンジェリーナはしばらくは彼の腕から逃れようと抵抗していたけれども、途中で諦めて、思い切って自分からも彼に抱きついてみた。

 ニコラスが驚いたように、一瞬腕を緩めたけれども、アンジェリーナは構わずそのまましっかりと彼の胸にしがみつく。

 そうしている間に、ニコラスは再度、アンジェリーナを強く抱きしめていた。


 アンジェリーナは、後悔した。


(なんだかどんどん恥ずかしいことになっていますわ!? わたくしは、ときめきが過ぎて死んでしまうのでは!)


 これではなんだか、想い合う二人が望んで抱きあっているようではないか。

 アンジェリーナとニコラスは、全く意思疎通ができないでいるというのに!


 アンジェリーナが、再会の喜びに震える余裕もなくアワアワと狼狽えていると、上から声が降ってきた。


「帰るのか」


 アンジェリーナが驚いて身じろぎすると、再度ニコラスが話しかけてきた。


「国に帰るって聞いた」

「あ……ええ、そうよ。明日の朝に、ライトフットに戻るの」

「あんなのが最後でよかったのか」

「……?」


 なんのことか分からずにいるアンジェリーナの耳元で、ニコラスは小さく呟く。


「俺のことが好きだって言ったくせに」

「!? い、言ったけど」

「あんなのを最後に、もう二度と会わないつもりなのか」

「ニッ……コラス卿が、わたくしを避けていたんじゃない……」

「……るって言ったのに」

「ニコラス卿?」

「もう、ニックって呼ばないのか」

「……!? ??」


 耳元で甘えるように理不尽な駄々をこねられて、アンジェリーナは訳が分からないまま取り乱していた。

 突然の事態に、今にも心臓が爆発しそうだった。抗議をしようにも、あまりのことに言葉がうまく出てこない。


 アンジェリーナが戸惑いの迷宮でぐるぐる迷子になっていると、ニコラスが腕をほんの少し緩めて、彼女と間近で向き合った。

 ようやく顔を見せたニコラスは、いつもの彼よりもずっと幼く見えた。


「悪い。分かってるんだ。俺がおかしい」

「ニック」

「……もう一回」

「え?」

「もう一回、呼んで。リーナ」


 額が触れそうなくらい間近で、不安に揺れる紫色の瞳が、アンジェリーナの水色の瞳を見つめる。何も考えられなくなったアンジェリーナは、誘導尋問にあったかのように、彼をもう一度呼んだ。


「……ニック」

「うん」


 ニコラスは、満足そうに、子どものようなあどけない顔で笑った。

 アンジェリーナは思った。きっとこれは、拷問なのだ。好きな男のおねだりに振り回される、蕩けるような顔で見つめられる、新手の拷問……。

 アンジェリーナが心の中で素数を数えていると、ニコラスが彼女の肩に頭を埋めた。アンジェリーナは驚いて体をこわばらせたけれども、ニコラスは構ってくれない。


「リーナの前だと、格好良くいられないんだ」


 アンジェリーナは、目を見開く。


「俺には、じーさんがいて、ジェフリーがいて、フィリーだっている。だから、別に他はいらない」


 聖女の名前が出てきて、胸がズキリと痛んで、じわりと目に涙が浮かんだ。やはり、ニコラスは、聖女フィルシェリーが好きなのだろう……。

 胸が痛くて、思わずニコラスの服をギュッと掴む。


「なのに、リーナが、俺を助けるとか言うから」


 泣きそうになっていたアンジェリーナは、その言葉に思考を止めた。


「リーナが、俺を大事なものみたいに扱うから」

「……? 当然ことしかしてないわ」

「そんなことない。全然、当然なんかじゃない。なのに、当たり前みたいに俺を大切にして、無事を願って泣いたりするから……俺は、いつもどおりでいられなくて」

「……」

「だから、リーナの傍に居たくないんだ」


 そう言うと、ニコラスはアンジェリーナを大切なものみたいに、しっかりと抱きしめた。


(……)


 何やらよく理解できないけれども、どうやらニコラスの口は、アンジェリーナのことを拒絶したいらしい。

 けれども、体はわざわざこんな夜中に会いにきて、勝手に彼女を抱きしめて、離そうとしない。


 思わず笑いがこぼれて、その笑い声を聞いたニコラスは、不満そうな声をあげた。


「リーナ」

「だって。さっきから、言ってることとやってることが正反対なんだもの」

「全部リーナのせいなのに」

「ふふ……そうなの?」


 クスクス笑っているアンジェリーナの声を聞きながら、ニコラスは、彼女が笑顔で自分の腕の中にいることに、これ以上ないほどの安心を覚えた。そして、どうしようもなく嬉しくて、それと同時に、この手を離さないといけないと思う。

 けれども、それがうまくできずにいる。


 自分が自分でコントロールできなくて、ニコラスは動揺していて――だから彼は今まで、彼女から逃げていたのだ。





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