71 アンジェリーナの決断
あのとき、ラインハルト第二王子の告白に、アンジェリーナは頭を下げた。
「ごめんなさい」
アンジェリーナは、顔を上げることなく続ける。
「気持ちはとても……とても、嬉しいです。けれど、わたくしは、あなたと結婚することはできません」
そよそよと初春の風が流れる中、二人は動かない。
そして、沈黙を破ったのは、ラインハルト第二王子だった。
「……私を、好きになれない?」
「いいえ!」
「私を見ると、辛い思い出が蘇るからだろうか」
「違います。ラインハルト第二王子は悪くないんです。わたくしの問題です」
アンジェリーナは、顔を上げて、真っ直ぐにラインハルト第二王子を見た。
「わたくし、格好良くなりたいんです」
アンジェリーナは、心から微笑んだ。
「わたくしは今回、多くのことを経験しました。怖いことも辛いことも沢山ありました。ラインハルト殿下の態度に傷ついたのも、そのことを忘れ切ることができていないことも事実です。けれど、わたくしの心に残っているのは、そんなことじゃないの」
アンジェリーナは、想いを聞いた。
テレーザの想いを聞いた。
カルロスの想いを聞いた。
ラインハルト第二王子の想いを聞いた。
オルトヴィーンの、初代王妃アビゲールの、時の大精霊フェニの想いに触れた。
皆、悩み、苦しみ、けれども自分の想いを受け止め、命を賭してやり遂げたいことを見つけ、大切にするために戦いもがいていた。
そして何より、アンジェリーナは恋を知った。
彼女の恋した男の望みは、皆の想いに触れたアンジェリーナの気持ちに、具体的な形を与えた。
――俺が、カッコつけたいから。
――ああ。それでこそ誇り高い侯爵令嬢だ。あんたやっぱり、いい女だな。
「わたくしは、わたくしの大切な人達の姿を見て、格好良いと思ったの。そして、わたくしもそうありたいと――皆と肩を並べていられる自分でいたいと、今も強くそう願ってる」
「アンジェリーナ……」
「ラインハルト殿下。わたくしは、わたくしの想いに誠実でありたい。だから、わたくしは自分の伴侶を誰にするのか、流されるのではなく、押し切られることもなく、自分自身で決めたいの。それが、わたくしの矜持のために、必要なことなの」
ラインハルト第二王子は、揺らがないアンジェリーナの水色の瞳を見つめながら、時の大精霊フェニの言葉を思い出していた。
――僕は僕の家族を、自分で選ぶ。それは、僕の幸せを願ってくれたラジーとアビーの気持ちを、僕が大切にしたいからだ。人間ってだって精霊だって、僕に誰を家族にするか、指図することはできない。
――大切な人は、ちゃんと自分で選ぶんだ。だって、最高に格好良い大精霊は、大事なことを人任せにしない。そうでしょ、アビー。
「……大切な人は、ちゃんと自分で選ばないとな」
「殿下」
「そうだな。私達は、フェニの家族だ。彼を導く私達は、誰よりも格好良い人間であらねばならない」
そう言って、ぎこちないながらに、笑顔を見せてくれるラインハルト第二王子に、その気遣いが嬉しくて、アンジェリーナは涙を滲ませながら微笑んだ。
こうして、アンジェリーナとラインハルト第二王子の婚約は解消された。
そして、ラインハルト第二王子はフェニの契約者をアンジェリーナに譲り、兄のレイファス国王代理に根回しをし、アンジェリーナに、ライトフット王国では女性初の一代侯爵の地位を与えた。
「ラインハルト殿下……! わたくし、侯爵だなんて、役者不足だわ」
「そんなことはないさ。……実はテレーザから、女性官僚の採用について提案があったんだ。まずは手始めに、国の象徴ともいえる人物が第一人者になるというのは彼女の提案で、私はいい手法だと思う」
「テレーザは何をしていますの!?」
「それに、私達の婚約解消の理由の裏付けにもなる」
「裏付け……?」
コテンと首を傾げるアンジェリーナに、ラインハルト第二王子は、なんだか切ない表情で微笑む。
「どこから説明したらいいかな。……実は、フェニのことを、我がライトフット王国の象徴として公開しようと考えているんだ」
「いいんですの? 芋蔓式に、王家の秘宝が壊れたことまで……」
「人の口に戸は立てられない。王家の秘宝が壊れた事は、秘匿しようとしてもいつかは知られる。ならば、今あるものを最大限に利用すべきだ。時の大精霊の守る国――なかなか攻め込むには勇気がいるだろう?」
頷いたアンジェリーナに、ラインハルト第二王子は満足した顔で続ける。
「時の大精霊フェニは、ラジェルド様とアビゲール様の記憶情報に会うことを喜んでおり、地図をもつ王家の血筋の存続を誰よりも願っている。その契約者まで王家に連なるものにするなんて、王家の権力が強くなりすぎるな?」
「……ラ、ラインハルト殿下」
「要は政治的なバランスの問題だ。だから私達は婚約を解消した。君は王家と誼を結ばない存在として、国の象徴としての立場を背負う。もちろん、フェニとともにだ。……そのためには、魔法と精霊に詳しい者の支援がいるだろう。可能であれば、それが聖女様のいる隣国ラマディエールの者であると、何かあった時に心強い」
涙をこぼすアンジェリーナに、ラインハルト第二王子は笑顔を向けた。
「アンジェリーナ、行ってくるんだろう?」
「……はい。でも、こんなに……」
「これくらいのことはさせてくれ。私は今まで、君に何もしてあげられなかった。幼馴染として、元婚約者として、そしてフェニの家族として、君のやりたいことを応援したい。それが、私の願いで、私が格好良くあるために必要なことなんだ」
アンジェリーナは、涙をハラハラとこぼしながら、ラインハルト第二王子に感謝した。
「わたくし、頑張ります。フラれるかもしれないけれど、ちゃんと気持ちを伝えてきますわ」
「え?」
「え?」
「……フラれる可能性が?」
「わたくしの片想いですもの」
ラインハルト第二王子は、なんだか困ったような、戸惑ったような顔で、「そういえばアンジェリーナは鈍感……」と呟く。しかし、アンジェリーナの耳に入らないくらいの小声だったため、彼女には聞こえなかったようだ。
こうして、アンジェリーナは、ラインハルト第二王子の支援を受け、隣国ラマディエール王国へと発ったのだ。




