69 別れ
事件から三週間後のアンジェリーナは、プリムローズ学園のベンチに座ったまま、ラインハルト第二王子とのデートのことを思い出していた。
あの時の決断を思い返し、ふうと息を吐いて空を見上げる。
自分で決めたと言うのに、心が揺れて、結局思い出に縋るようにここに来てしまった。
8回の時戻りが起こっていた間、本当に色々なことがあった。
辛いことも苦しいことも、沢山あった。
けれども同時に、アンジェリーナは、これまでに知らなかったことを知った。
自分ではどうにもならない想いを知った。
そしてそれは、今でも彼女のうちに燻っている。
「リーナ」
聞き慣れた声が聞こえて、アンジェリーナは身を震わせた。
約束をしていた訳ではない。
なのにどうして、現れてしまうのか。
神出鬼没で、彼女が困った時にいつだって駆けつけてくれた黒髪の彼に、アンジェリーナは振り向いた。
「ニック」
アンジェリーナの顔を見たニコラスは、一瞬その場で怯んだ。そして「嬉しそうにしすぎ」とモゴモゴ呟いたけれども、その呟きはアンジェリーナの耳には届かなかった。
流れるような仕草で隣に座った彼に、アンジェリーナは笑う。
「レディの隣に座るのに、声かけはないの?」
「お隣、よろしいですか? 美しいお嬢さん」
「……! ……!! 意地悪!」
美しいと言われて真っ赤になったアンジェリーナに、ニコラスはクハッと笑う。
「リーナは最初からブレないよなぁ」
「どう言う意味よ!」
「チョロくて可愛い」
「ちょ……っ!?」
「真面目で、素直で、頑張り屋で」
「……!」
「だからリーナを選んだんだ」
驚いて顔を上げたアンジェリーナに、ニコラスはいたずらをするような得意げな顔で応えた。
「俺はさ、完全に外野だったろ。事件さえ解決するなら、味方するのは別にリーナじゃなくてよかった」
「……じゃあなんで」
「リーナがいい女だったから」
アンジェリーナは息を呑む。
「最初の卒業パーティーのときからさ。そこからずっと、リーナを気にしてたよ」
「ずっと?」
「だって、格好良かった」
ニコラスは懐かしそうに遠くを見る。
最初の卒業パーティーといえば、もう半年以上前の話だ。
「誰かに頼ってるふうはないのに、折れずに戦ってた。貴族として侯爵令嬢としての矜持があった」
アンジェリーナの瞳に涙がジワリと浮かんで、それを嬉しそうに見たニコラスは、彼女に満面の笑みを向けた。
「俺はリーナと組めてよかったよ」
アンジェリーナは涙をこぼしながら、ニコラスに頭を下げた。
「ニック。本当に、今までありがとう。あなたがいなかったら、わたくし……」
「私は大したことはしてませんよ? お嬢さん」
得意げにそう笑うニコラスに、アンジェリーナは悔しくて、胸が熱い。
『こっちは色々と辛いこともあった訳でさ。そこから掬い上げてくれたんだから、感謝とか憧れとか、色々思うところもあるだろ? あのじーさんはそういうのを、『大したことはしてませんよ、坊ちゃん?』とか言いながら躱してくるんだよ』
『それは……なんだか、悔しいわね』
『だろ? 凄く腹が立つし――俺は、格好良いと思った』
「悔しい……腹立つ……っ」
「だろ?」
「そんなに自慢げにしないでよ!」
「ハハハ」
悔しそうな顔で恨めしげに見てくるアンジェリーナに、ニコラスは笑顔で答える。
そして、アンジェリーナは、微笑んだ。
「あなたは最高に格好良い男だわ」
ニコラスは、軽く目を見開くと、照れたように目線を逸らした。
そして、しばらく目を彷徨わせた後、ようやくアンジェリーナの方を見て、本当に嬉しそうに笑った。
そうして、ニコラスは長くて短い留学を終え、ラマディエール王国へと帰国したのだった。




