68 婚約者の二人
「アンジェリーナ。デートしよう」
「ええ!?」
事件から15日後、アンジェリーナは三年ぶりに、ラインハルト第二王子からデートの申し込みを受けた。
アンジェリーナは動揺した。
(デッ、デート!? それは一体、何をどうしたらいいんですの!?)
今回の時間ループに巻き込まれるまで、アンジェリーナとラインハルト第二王子の関係は冷え切ったものだった。
まだ子どもだった15歳のときの、お友達のようなお出かけ以来、アンジェリーナは彼と二人で出かけたことはない。
何より、アンジェリーナはデートなるものをしたことがない。何しろ、婚約者がいて、その婚約者と不仲だったのだから!
「ナサリー! わたくし、一体何をどうしたらいいの!?」
「お任せください、お嬢様。私ども侍女達の鬱憤、ここで全てお嬢様の美に昇華してみせましょう」
「!?」
なにやら、アンジェリーナの侍女達は、ラインハルト第二王子と出かけることのないアンジェリーナに不満を抱いていたらしい。
「この美しくも可憐な私達のお嬢様を着飾る機会の少なさ……!」
「ナ、ナサリー?」
鬼気迫る侍女達は、前日からアンジェリーナを磨き上げ、当日も、塗り、飾り、結って締めてと、有無をいわせずアンジェリーナを飾り立てた。
アンジェリーナは、デートの前に疲労で倒れるのではないかと思った。
「お嬢様。社交界デビューをなさったら、夜会の前に今の作業を全て行いますのよ」
「ええ!?」
「令嬢の宿命でございます。観念なさいませ」
涙目になったアンジェリーナに、「お嬢様、泣いてはなりません!」「最高傑作が!」と声が飛んでくる。
そして、よたよたと鏡の前に立ったアンジェリーナは、その鏡の中に知らない女性がいて、目を丸くした。
「え? 誰?」
「やはり私達のお嬢様は最高です!」
アンジェリーナが驚きを受け止めきれずにいると、ラインハルト第二王子が到着してしまった。
「ごきげんよう、殿下」
「……」
ラインハルト第二王子は、その場で固まってしまった。
彼は、可愛い婚約者との念願のデートに向かうにあたり、彼女を喜ばせるため、様々なことを計画していた。
出会い頭に彼女の美しさを褒めるというのも、その計画に入っていた。それは、今まで彼女の美しさに惚れ込みながらも、魔女マリーに操られていた彼にはできなかったことで、ずっとしたいと思っていたことだったからだ。
しかし、目の前に現れたアンジェリーナは、ラインハルト第二王子の想像を超えていた。
軽やかな水色に、金糸の刺繍が入ったワンピースドレス。ホワイトブロンドのストレートヘアを結い上げてまとめており、後れ毛が色っぽさを演出している。大きい吊り目がちの水色の瞳は長いまつ毛に彩られ、艶っぽいラメ入りの水色アイシャドウが、彼女の魅力を引き立てている。
時の大精霊の力により、時戻り前の記憶を全て取り戻したラインハルト第二王子は、卒業パーティーのためにおめかしをしたアンジェリーナの記憶も持っていたが、街行き用の装いに身を包んだ彼女は美しさだけでなく可愛らしさも演出されていて、ラインハルト第二王子を釘付けにしてしまったのだ。
「殿下?」
「……すまない。その」
「はい」
「あまりに、美しくて」
「……!?」
アンジェリーナは動揺した。
アンジェリーナは今まで、女性として男性に容姿を褒められたことは今までほとんどなかった。だから、こんなにもストレートな賛辞を受け止めるための免疫ができていなかったのだ。
なお、ここでいう《男性》からは、父や兄妹、小さな頃のラインハルト第二王子のことは除外されている。
「街行き用のドレスなんだな。卒業パーティーのときも美しかったが、今日は一段と可憐だ。似合ってる」
「……! ……!?」
頬を染め、照れながらも真っ直ぐに褒めてくる婚約者に、アンジェリーナは顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。
うまく反応できないでいるアンジェリーナに、ラインハルト第二王子は嬉しそうに微笑みながら、右腕を差し出す。
アンジェリーナは、その腕に手を添え、馬車に乗り込み、本日のデートは始まった。
「午前中は、王都のライト通りを見て回ってから、昼にしよう」
「午後はどこに行きますの?」
「それは午後のお楽しみだな」
「もう。……楽しみにしていますね」
「うん」
王都のライト通りは、貴族御用達の店が立ち並ぶ、高級繁華街だ。洋服や宝石など、商品も素晴らしいが、細工や工事などの職人芸に秀でたライトフット王国の匠の力の集大成ともいえるアンティークな街並みが、国内貴族や観光客に人気を博している。
見るだけでも楽しめるような華やかな通りに、アンジェリーナは、まさか自分がラインハルト第二王子とここに来るとは、最近まで想像もしなかったなと思う。
「素敵な街並みですね」
「そうだな。美しい通りだ。アンジェリーナの方が美しいとは思うが……」
「……!?」
「店にも入ってみようか」
不意打ちに顔を真っ赤にしたアンジェリーナを、ラインハルト第二王子はクスクス笑いながらエスコートする。
そして、店に入ってからも、猛攻を重ねた。
「この宝石は、アンジェリーナの瞳と同じ色なんだな。石よりもアンジェリーナの方が魅力的だが……」
「この服はアンジェリーナの華やかな魅力をより際立たせるな。買おう」
「この靴の繊細なイメージは、アンジェリーナの清楚で透明感のある姿に合う。買っておこう」
「この手袋は……」
「この髪飾りは」
「この」
「――殿下!」
褒め言葉の嵐に思考を飛ばしていたアンジェリーナは、自分の背後に購入物の箱が山のようになっていくことに気がつき、ようやく静止の声を上げた。
「殿下! 買いすぎですわ、こんなに沢山」
「今までずっと、アンジェリーナに、贈り物をしたかったんだ」
「で、でも……」
「これは私がしたかったことだからいいんだ。好みじゃないというのでなければ、受け取って欲しい」
「……どれも、素敵です……」
「よかった。アンジェリーナならなんでも着こなせると思うが、この品々は特に似合うと思ったんだ」
本当に嬉しそうな様子のラインハルト第二王子に、アンジェリーナはなんだか気恥ずかしくて、頬を染めて俯く。
「ラインハルト殿下」
「うん?」
「……あの、ありがとうございます」
「うん」
耳まで赤いアンジェリーナに、ラインハルト第二王子は満足しながら、商品を購入し、店を出るべくエスコートした。
昼食のための店でも、ラインハルト第二王子は店を貸切で予約していた。
そこで出された料理は、アンジェリーナの好みの食べ物ばかりで、アンジェリーナは喜ぶものの、段々と恥ずかしくなってきてしまう。
そして午後、ラインハルト第二王子に誘われて向かったのは、国立大公園の展望台だった。
もちろん、貸切である。
二人は初春の花畑を通り抜け、展望台に登り、そこから見渡す自然豊かな公園の全景を楽しんだ。
「殿下! 下で見るのと、全然景色が違います!」
「そうだな。特に木々に咲く花々は、下から見るのと違った美しさがある」
「はい。とても素敵です」
喜んでいるアンジェリーナに、ラインハルト第二王子は微笑む。
そして、彼女の手を取った。
「アンジェリーナ」
呼ばれたアンジェリーナは、体に緊張を走らせる。
それを感じ取ったラインハルト第二王子は、苦笑した。
「ちゃんと、話をしないといけないと思っていたんだ」
「……はい」
「そこに座ろうか」
二人は展望台のデッキにある豪奢なベンチに腰掛け、改めてラインハルト第二王子はアンジェリーナに向かい合う。
「アンジェリーナ。私達は、8歳の頃から婚約者で、いつも一緒にいたな」
「……そうですわね」
「君が私のことを、異性として見ていなかったことは分かっていた。こういうことは年齢の問題ではないかもしれないが……あの頃、私達はまだ子どもだった」
「……」
アンジェリーナは、目を伏せる。
ラインハルト第二王子の言うとおりだった。アンジェリーナは、ラインハルト第二王子のことを、友人のように思っていた。誰かに恋をしたことがなく、胸のうちに燻る熱い気持ちを知らない彼女は、ラインハルト第二王子を、異性としてというより、将来家族になる大切な人として認識していた。
「だが、私は一目会った時から、君のことが好きだったんだ」
「えっ……」
「貴族として振る舞おうと背伸びをしている様子が、好きだった。美人で黙っているとクールに見えるのに、話をすると素直で人懐こいところも、少しおっちょこちょいなところも、嫌いなものを食べる時に泣きそうになっているところも、可愛いと思っていた」
「わ、悪口ですの!?」
「自然体の君は、あまりにも魅力的で、私はいつでも目が離せなかった」
涙目で取り乱すアンジェリーナに、ラインハルト第二王子は笑いながら気持ちを伝える。
その愛おしげな笑顔に、アンジェリーナは何も言えなくなってしまった。
「君が、私のことを何とも思っていなかったことは分かっている。そして、私が君に気持ちを伝えなかったことで、マリアンヌとの歪な関係が君に伝わり切らなかった。君は私が三年間、不義を働いていると誤解したまま、第二王子から無碍に扱われる侯爵令嬢という辛い境遇を強いられることになった。それは、例え君が私に恋情を抱いていなかったとしても、辛く苦しいことだったと思う……」
後悔にくれるその姿に、アンジェリーナは声を掛けなければと思った。
しかし、声が出ない。
ラインハルト第二王子が、アンジェリーナの手を取ると、ポロリとアンジェリーナの目から涙がこぼれ落ちた。
一度出てくると、涙は一向に止まる様子を見せない。
脳裏に、この三年間のことが駆け巡る。マリアンヌと仲睦まじく過ごすラインハルト第二王子の姿。取り巻きからの嫌味。苦言を呈した時の罵倒。エスコートをされなかった卒業パーティーの記憶。
とめどなく涙をこぼすアンジェリーナに、ラインハルト第二王子は、ハンカチで彼女の涙を拭った。
「……っ、ごめん、なさい。わたくし、こんなつもりじゃ……」
「いいんだ、アンジェリーナ。君はこの三年間、侯爵令嬢として、毅然とした態度で私を正そうとしてくれた。真っ直ぐに、私と向き合おうとしてくれた。それが茨の道であったことは、誰よりも私が分かっている」
「わたくし……」
「本当に、ありがとう」
涙で揺れる視界の向こうに、ラインハルト第二王子の笑顔が見える。
「そして、本当にすまなかった。私が君にしたことは、謝ってなかったことにできるようなものではない。三年と言う月日は、それほどに長い」
「そんな……」
「けれども、その上で、私は君に伝えたい」
ラインハルト第二王子は、一度息を吐くと、顔を上げてアンジェリーナを真っ直ぐに見た。
「私は、今でも君が好きだ」
アンジェリーナは、自分の手を握る彼の手が震えていることに気がついた。
ラインハルト第二王子は、ふ、と笑みをこぼす。
「柄にもなく緊張しているんだ。情けないだろう?」
「そんなこと……!」
「アンジェリーナ。私は、私が君にしたことも、今の君の気持ちがどこにあるのかも理解した上で、それでも君を求めてしまう……」
ビクリと肩を振るわせたアンジェリーナの手を、ラインハルト第二王子が固く握りしめる。
「すぐにとは言わない。このまま、私との婚約を結んだまま、ゆくゆくは結婚してくれないだろうか」
アンジェリーナは、考えた。
ラインハルト第二王子が、自分のことを大切に思い、それだけでなく、男としてアンジェリーナを想ってくれていることを知った。
今日の彼の様子からも、彼がいかにアンジェリーナを気にかけてくれているのか、十分に伝わってくる。
そしてアンジェリーナは、ラインハルト第二王子の魅了魔法が解けてからというもの、彼がみせる誠実な心根を、好ましく思い、尊敬していた。
魅了魔法にかかった彼の言葉に傷ついた過去はある。その傷は、完全に癒えてはいない。
けれどもそのことは、アンジェリーナの中で、ラインハルト第二王子を拒絶するほどの理由にはならなかった。
そして、ただの侯爵令嬢であったかつてと違い、今のアンジェリーナは、時の大精霊の家族であり、今回の事件の立役者である。今の彼女には、ラインハルト第二王子と婚約を解消するだけの力があるのだ。
それでもなお、ラインハルト第二王子は、アンジェリーナに、自分を選んでほしいと請うている。
自分はこれから、一体どうしたいのか。
全ては、アンジェリーナの心次第だった。
(わたくしは……)
アンジェリーナは、決断した。




