67 黒幕?
そして、アンジェリーナは、事件から10日後のことを思い出す。
その日の夕方、アンジェリーナとラインハルト第二王子は、王宮図書館の自習室で彼を待っていた。
そこは、いつもアンジェリーナとラインハルト、第二王子、それにオルトヴィーンが集まっていた部屋だった。
そして、その三人以外にも、たまに足を運んでいた友人がいた。カルロスと――。
「おや。お待たせしてしまったようですね」
扉から入ってきた者がいて、アンジェリーナは顔を上げた。目に映る赤髪は、見慣れた彼のものだ。
「いらっしゃい、マルセル。来てくれてありがとう」
「アンジェリーナ様のお呼びとあれば、いつでも参じますよ」
「そう? ありがとう」
穏やかに微笑むアンジェリーナに、マルセルは一瞬、頬をピクリと振るわせる。
「今日は一体、どうされたのですか? 先日からのプリムローズ学園の休校に関係があるのでしょうか」
「テレーザの話を聞いたのよ」
マルセルは、それを聞いても不思議そうな顔をしている。
「彼女ですか。……何度か相談には乗りましたが、それが一体?」
「あなた、テレーザを利用したでしょう」
流石にこれには、マルセルも苦笑した。
「なんのことか分かりません」
「マルセル、もういいんだ。君は全部、分かっているんだろう?」
「なんのことですか?」
「君は、高度の闇魔法耐性を有している」
ピタリと動きを止めたマルセルに、ラインハルト第二王子は悲しそうな顔をする。
「君は全て知っていた。私が操られていることも、カルロスが苦しんでいることも、――時が戻っていることも」
「殿下。誤解ですよ。私は……」
「ならば何故、君は椅子にも座らず、体が私達の方を向いていないんだ。自分の背後を警戒しているのは何故だ」
「……」
その瞬間、マルセルはその場にしゃがんだ。
先程までマルセルの頭があった空間を、紫色の魔法陣が薙ぐ。
その魔法陣は、何に当たることもなく蒸発した。そして、アンジェリーナには何もないように見えた空間――扉の近く、マルセルの背後から、ニコラスが現れた。
「ご覧のとおりだ。こいつ、全部見えてるぞ」
そう言って、ニコラスは闇の大精霊である黒虎を呼び出した。
「あんたは俺がリーナを卒業パーティーでエスコートした次の回――7回目の時戻りの後、リーナに魔法の知識を植えつけた。全部覚えてる上で、俺とリーナを仲違いさせるために」
「……」
「あんたは、俺が関与して事件が正面から解決してしまったら困ると思ったんだ。テレーザが、この時戻りに嫌気がさして王家の秘宝を壊すまで、あんたはこのループを続けたかった。時戻りが何か大きな代償を要求していることや、秘宝の破壊がテレーザの命の危険をもたらす可能性に気がついていたくせにな」
嫌悪感も露わに睨みつけるニコラスに、マルセルは息を吐く。
「……そうですね。私は、闇魔法耐性があることを秘密にしていました」
彼はそう言うと、ゆっくりとの場で立ち上がった。
「ですが、それがなんだというのです? 今の話だって、全て推測に過ぎないではありませんか」
困ったように笑うマルセルに、アンジェリーナが口を開く。
「どうして、テレーザに王家の秘宝のことを教えたの、マルセル」
アンジェリーナは、尋ねる。
「どうして、テレーザに、カルロス様を脅す手段を与えたの」
アンジェリーナ、追求する。
「真面目なあの子が、それを聞いて決断してしまったのだと知っていて――時戻りが起こったことを理解しておきながら、何故あの子を放っておいたの」
アンジェリーナは、責め立てる。
マルセルがしたことを、アンジェリーナはしっかりと彼に突きつける。そこから、目を逸らさない。
マルセルは、アンジェリーナを見つめた後、ふと、笑った。
「……仕方がないな」
「マルセル様」
「そうですよ。……何も知らない、愚直なマルセルは、全て仮面です。――私は、全部分かっていてやりました」
その歪んだ笑いに、アンジェリーナが体を震わせると、彼女とラインハルト第二王子を囲う形で、光の障壁が現れる。
「わざわざ可視化しなくても大丈夫ですよ、ヴィー。あなたもこの場にいるのは、分かっています」
「そうですか」
白フクロウを連れ、アンジェリーナとラインハルト第二王子の背後から現れたオルトヴィーンに、マルセルは失笑する。
「私如きのために、大した面子が集まったものだ。大精霊様が、二人もいらっしゃるとはね」
「マルセル」
「ラインハルト殿下。申し訳ありませんでした。私はあなたの境遇を知っていましたが、あなたを救い出すことはついぞできなかった」
「……そうじゃないだろう、マルセル」
「彼女のことですか」
マルセルは、はは、と渇いた笑いを浮かべる。
「テレーザ=テトトロン。彼女が本当に王家の秘宝を見つけるなんて、私も驚きですよ」
「マルセル様。あなた、どうしてなの」
「私は何も、悪いことはしていませんよね?」
マルセルは、本当に不思議そうにアンジェリーナを見た。
「私は何もしていません。確かに、テレーザ様に情報をお伝えしました。けれども、彼女にも、決して手を出さないように止めました。私は別に、彼女が行動を起こさなくてもよかったんだ。内情を知った用心深い知人ができるだけでも十分だった。……彼女はが想定以上にいい仕事をしたことは認めますがね」
「あなたはなぜ、王家の秘宝を壊したかったの。その存在を、知っているの」
「……魔女マリーが、父のところに来た時、私もその場にいたんですよ」
アンジェリーナは目を見開き、ラインハルト第二王子は目を伏せた。
「私の母ミーファが、魔道具の故障事故で亡くなったのは、みなさまご存知でしょう?」
マルセルが10歳の時、彼の母ミーファは、魔道具の故障事故に巻き込まれた。
それは小さな事故だったけれども、しかし、マルセルの母ミーファの命を奪ってしまった。
ミーファが負った傷は、侵食性の魔法傷で、魔法治療を施せば対応できる内容のものであったけれども、魔法知識のないライトフット王国では、その治療ができなかった。
国による魔法学の普及阻害による犠牲者。
その夫である、マルセルの父マックス=マクファーレンの元に、魔女マリーは現れたのだ。
「魔女マリーは、父に手を差し伸べました。彼女は父に、協力するよう促した。王家の秘宝と王家の判断が全ての要因であることを教えてくれたのも、彼女でした。けれども、父は断りました」
「……あなたは、お母様を奪った王家の秘宝が、憎かったのね」
「いいえ?」
なんの翳りもないその笑顔に、アンジェリーナは身を震わせる。
「私はただ、ああ、邪魔だなあ、と」
「邪、魔……」
「はい。私がこれ以上強くなれないのも、魔法のことを独学で学ぶことしかできないことも、この国が弱いままなのも、全て王家の秘宝のせいではありませんか」
「それはそうよ。だけど、お、お母様のことは」
「母は、弱かったのだから仕方がありません」
マルセルは困ったような顔で、アンジェリーナを見る。
「母のことは嫌いではありませんでしたが、王家を憎んでも、私にはなんの利益もありません。憎しみの連鎖は、何も生みませんしね。父も割り切って働いているようで何よりです」
「マルセル様。あなたは、あなた自身のことが一番大切なのね」
「そうかもしれませんね。ですが、それは普通のことではありませんか」
「それだけじゃないわ。あなたは、自分のためなら、他の誰を犠牲にしてもいいと思っている」
アンジェリーナの悲しげな視線に、マルセルは息を呑んだ。この日初めて、彼は怯んだ様子をみせた。
「マルセル様――いいえ、マルセル。わたくしの幼馴染。わたくしはあなたを、大切な友人だと思っていたの。それは私だけじゃない。ラインハルト殿下も、カルロス様も、ヴィーだってそうよ。きっと、テレーザだって、そう」
「……」
「だけど、あなたは違うのね」
「……私は、友人だと思っていますよ。今までもこれからも。アンジェリーナ様にとって私のやり方が気に食わないなら、仕方ありませんが」
「違うわ、マルセル。違うのよ。気に食わないとか、そういうことじゃないの。……わたくしは、友達がやりたいことを、やらねばならないことを尊重したいと思うわ。そのために、敵に回ることだってあると思ってる」
「なら、何も問題は」
「だけど、自分の目的のために、相手の心をいたずらに弄ぶのなら、それはもう、友人ではないじゃない」
アンジェリーナの目から、一筋の涙が落ちる。
マルセルは、言葉を発することができなかった。
「マルセル。あなたが王家の秘宝を壊すために、自ら動き、テレーザの持つ地図を使って欲しいと彼女に懇願したなら、わたくしは何も言わなかったわ。それが何よりもあなたの望むことで、それしか手段がないのであれば、わたくしは尊重した。だけど、あなたのしたことは違うじゃない」
「ほ、他に手段なんてなかったですよ」
「そんなこと、ないでしょう? あなたは、どっちでもよかったと言ったわ。テレーザが王家の秘宝を壊さなくても、別に良かったと。あなたは何をおいても秘宝を壊したかった訳ではなかった。そして、その程度の目的のために、あなたは敢えてあの子に近づいて、あの子の気持ちを利用してそそのかしたの。……大した必要も、なかったのに!」
「アンジェリーナ」
ポロポロ涙をこぼしているアンジェリーナに、ラインハルト第二王子が気遣うように声をかける。
けれども、アンジェリーナはマルセルから目を離さなかった。
ラインハルト第二王子が、マルセルに告げた。
「マルセル。私は、お前を側近候補として認めない」
「……殿下! それは」
「お前が、王族の近衛兵となることはない。この国の兵士としても、雇わない」
「私は、そこまでのことをしましたか。友人として気に入らないからといってそのような対応……それは、職権濫用では」
「濫用ではなく、正当な行使だ。それに、ここは王国だ。例え君が濫用だと感じたとしても、この国の王子であり、未来の国王である私にはそれを押し通すだけの権力がある」
「こ、国王……!?」
「そうだ。最近そのように決まった。君は私を心のどこかで、ただの第二王子だとみくびっていたのだろうな」
言葉もないマルセルに、ラインハルト第二王子は続ける。
「マルセル。君のやり方、君の生き方は、私とは合わない。確かに、それは罪となるようなことではないのだろう」
「なら……!」
「けれども、君のことを信用することができないんだ」
ラインハルト第二王子はマルセルを見つめる。
「君の、己のために、大した理由もなく周りを踏み台にすることを厭わないその姿勢は、私は騎士道に反すると思う。国を導く者としても、資格が足りないと判ずる。私は、次期国王として、マルセル、お前が国の行く末に関わることを許さない。お前を側に置くことはない」
「……私は」
「言いたいことはそれだけだ」
ラインハルト第二王子の言葉を聞いたマルセルは、しばらく呆然としたまま、立ち尽くしていた。
そして、唇を噛み、手を痛いほど握りしめている。
そんな彼に声をかけたのは、ニコラスだった。
「まあ、市井や他の国で何をするかは自由ってことさ。カルロスも、市井で頑張るらしいぞ。色々考えることだな」
カッと顔を赤くしてニコラスを睨みつけたマルセルは、そのまま怒りに震えた後、何も言わずに部屋を出て行った。
アンジェリーナは、その姿が悲しくて仕方がない。
「あんな奴のために、リーナが泣くことなんてない。リーナが勿体無い」
そううそぶくニコラスに、何も言わずに涙を拭ってくれるラインハルト第二王子に、扉を閉めて気遣う視線を向けてくるオルトヴィーンに、アンジェリーナは泣きながら微笑んだ。




