66 カルロスと魔女(後編)
魔女マリーがカーペンター侯爵領を離れたその時、事件は起こった。
ライトフット王国に潜む反国家勢力が持っていた呪いの魔道具が暴走したのである。
王都で魔道具を暴走させ、大量の呪いの感染者を生み出したことに動揺した反国家勢力は、王都に近く、医療技術に長けていると噂されるカーペンター侯爵領に、呪いの魔道具を持ったまま逃げ込んだ。そうして、王都とカーペンター侯爵領で、大災害級の感染事故が発生したのである。
王都には魔法に詳しい者は少なく、その感染力と致死率の高さから、他国からの応援もなかなか到着しない。
そんな中、魔女マリーの教育を施されたカーペンター侯爵領の者達は、必死に対処方法を考え、そして見つけたのだ。
「カーティス様! 侯爵夫人が作りおいて下さったこの秘薬が、この呪いには効果的のようです」
「よくやった! 今すぐ増産できるか」
「材料はありますが、秘薬の調合ができる者に限りがあります。これは、かなりの魔力を注ぎ込んで作らなければならない代物なのです。自然界に魔力資源がある他国ならいざ知らず、我が国で量産となると、人の持つ魔力を吹き込まなければならないので……」
「具体的な残量は」
「残量は秘薬400本。しかし、今回の呪いには二百倍までなら希釈しても効果はあるようです」
「在庫だけなら8万人分か。我が領土の人口は10万人だ。増産可能なペースは」
「我々だけなら、一日3本から5本。侯爵夫人ならば、一日10本は固いでしょう」
「……ギリギリだな。やるしかない。全員、秘薬作成を最優先事項として動け! 動ける者は秘薬配布を急ぐんだ。子どもを優先しろ!」
カーティスは領民に、秘薬を与えていった。
そうして呪いから解放される者が増えていくと、王都から軍がやってきた。
「治療薬の在庫の9割を王都に運ぶように」
「何を馬鹿なことを……!」
「そんなことをしたら我が領土が……」
「王都には、宮廷魔術師と、外国からの応援で来た魔術師がいるはずでしょう!」
取り乱す部下や息子達を見ながら、カーティスは穏やかに、目の前の将軍に問いかける。
「王都でも、感染は広がっているんだね」
「……はい」
「感染者は何人くらいなのかな」
「推定、15万人」
侯爵領の面々は、息を呑む。
「宮廷魔術師はなんと言っているんだい」
「……治療法は、分からないと」
「外国からの応援は」
「感染力が高く、致死率も高いことから、応援をしぶられています」
「国王陛下は、なんと?」
「……ご子息が、感染されています。何を置いても、秘薬を手に入れてこいと」
「そうか」
カーティスは、目を閉じた。
王都の民の、侯爵領の民の命が、彼の決断にかかっている。
「父上、抵抗しましょう! 王都が対応できないのは、国家が彼らが魔法の知識の普及を阻害してきたからです。そのツケを、私達の領地の領民が払うなんて、おかしいではありませんか!」
「そのとおりです、侯爵! 私達は日頃から魔物と戦っているんだ。普段から王都でのんびり過ごしている国王軍を蹴散らすなど、造作もありません!」
「父上、決断のときです!」
「そうして、今度は争いで命を削るのか。全ての者に行き渡るほど、治療薬はなく、呪いで多くの人が亡くなるのは確定だというのに」
カーティスの言葉に、彼の息子も部下達も、悔しそうに俯く。
カーティスは、決断した。
「将軍。今、この侯爵領にある在庫は、200本だ。元々、300本しかなかった。我々の力では、日に3本しか増産できない中、既に100本以上を消費している」
「200……」
「この治療薬は、二百倍に薄めての使用が可能だ。200本で、4万人分。その9割である180本を差し出そう」
「父上……!」
「三百倍に希釈した場合、完治はせず、多少の呪いは残る。健康な男ならば、耐えて、自力で回復できるかもしれない。その使い方をするかどうかは、国王陛下の判断にまかせる」
「それでいいのですか」
大量の軍を引き連れ、交渉という名の脅しをかけてきたはずの将軍は、カーティスに問いかけた。
カーティスは、いつもどおり微笑んだ。
「君の家族も、感染しているんだね」
「……私、は」
「ここで争うことで、さらに命を削っている場合ではない。治療薬のレシピも渡すから、宮廷魔術師達にも作らせるように。これ以上感染者を増やさないためにも、早く帰りなさい」
将軍は、その場に崩れ落ちた。カーティスの前で地に頭をつけ、何度も「申し訳ありません」と泣きながら詫びていた。
そこからは、時間との戦いだった。
治療薬をいかに増産するか。治療薬が届くまでの間、いかに患者を生きながらえさせるか。
子どもと若者を優先させて治療薬を配り、多数の死者を出す中、二ヶ月後、ようやく事件は収束しつつあった。
そして、その一ヶ月後に、魔女マリーはカーペンター侯爵領に戻ってきた。
そこに、彼女の愛する夫はいなかった。
「母上……、わ、私達は、ずっと勧めていたんです。治療薬を飲むように、ずっと……!」
最前線で指揮をとっていたカーティスは、最後の最後に、呪いに感染した。そして、頑なに治療薬を飲まなかった。一人でも多くの領民を救うようにと、自分が服薬することを拒絶したのだ。
魔女マリーは、これが現実のことだなんて、信じられなかった。
彼女の夫は、言ったのだ。
戻ってきたら、彼女に『愛してる』と言ってくれると、約束した。
たった、三ヶ月前のことだ。
「父上から母上に、手紙です」
息子から差し出された手紙を、魔女マリーは震える手で受け取った。
そうして、中身を開くと、いつもどおりの彼の字で、魔女マリーへの言葉が綴ってあった。
出会った時のこと。今まで、共に生きてくれたことへの感謝。勝手に先に逝くことへの謝罪と、秘薬の増産してほしいこと。
そして何より『愛してる』と――。
魔女マリーは、侯爵家を飛び出した。
息子達の静止も無視し、王都へ向かった。
そして、夜、国王の寝室に忍び込んだ。
「だ、誰だ」
「この、愚王……」
魔女マリーの剣幕に、ライトフット国王ラッセルは慄く。
「誰か! 侵入者だ、誰かいないのか!」
「ここには誰も来ない。お前達が、怠惰だからだ。魔法を学ぶことをせず、許可なく学ぶ者を罰し、その使い方を、意図的に隠してきた。だから、私の侵入を邪魔できる者が、この王宮にはいない」
「そ、それは、代々引き継がれてきたことだ! わ、私のせいではない! 全て、受け継がれてきたもので……!」
「では、お前はそれを変えるの」
冷たい海色の視線に、ライトフット国王は固まった。
「変えるつもりがあるの、ラッセル=ザルツ=ライトフット。あなたは魔法の知識の普及を促して、このようなことが起こらないようにするつもりがあるの」
「それは……」
「どうなの」
責め立てる彼女に、ライトフット国王ラッセルは、逡巡した後、叫んだ。
「そのようなことは、しない!」
「なぜ」
「この地には、王家の秘宝が眠っているからだッ! 有象無象が、秘宝を見つけ出しては敵わん! あれは私の、王家のものなのだ。誰にも渡さない!」
「そんなことのために、あんたたちは人の命を無碍に扱うっていうの」
「そうだ! 国民の命よりも、何よりも優先されるべきことだ! 独立国家としての立場を守るため、王家の秘宝は、王家が所有していなければならないのだ。そうでなくなった場合、国民の命にだって影響があるのだから、多少のリスクは負うべきなのだ!」
「そう。あんたはクズだけど、正直なところだけは、褒めてあげる……」
そう言うと、魔女マリーは、ライトフット国王ラッセルに、呪いをかけた。
世界樹の葉の力を利用した、魔女の力。
通常の魔力検査程度では反応を示さないような、隠密性の高い魔法。
「なっ、な、何をしたんだ! 私に一体、何を……」
「何もしていないわ」
「なんだと!?」
「私は何もしてない。何かしたというのなら、証拠を出すことね」
「……!」
「けれど、あんたの手足は、ゆっくり動かなくでしょう。あんたの手足を流れる水が、それを許さなくなる。10年かけて、ゆっくりね」
魔女の宣告に、ライトフット国王ラッセルは蒼白になりながら叫んだ。
治せと、何故こんな真似をするのかと、自分は悪くないと叫んでいた。
泣き叫ぶ彼を置いて、魔女マリーは去った。
そして、彼女はカーペンター侯爵領に戻った。
そこから3ヶ月、秘薬を作り続け、領民に呪いの感染者がいないことを確認した後、姿を消した。
****
「そこから、ひいおばあさまは姿を消しました。姿を消していた間はおそらく、ラインハルト第二王子に飲ませた媚薬を作っていたのでしょう。あの魔女の秘薬は、水魔法というより、闇魔法の比重の高いものなので、時間がかかったのだと思います」
「……そして、ラインハルト殿下の前に現れたのね」
「いえ。それより前に、ラインハルト殿下のお父上であられる、ロイド国王の前に現れたようです」
「え?」
魔女マリーは、ライトフット国王ロイドの前に現れた。
そして、もう一度、魔法を普及させる気がないのか尋ねたのだという。
「あの陛下ですから、魔法を普及させることは拒絶したようです」
「そうでしょうね」
「その後、魔女マリーは私のところに現れました。ラインハルト殿下を殺されたくなければ、この飴を食べさせてこいと」
「……!」
「私は、抵抗できなかった」
目を伏せるカルロスは、しばらく黙って、言葉を選んでいた。
「私は、ひいおばあさまを止めることができなかった。助けを求めるべき人を見つけることができなかった。三年間、ラインハルト殿下に、辛い思いをさせました」
「カルロス様は悪くないわ」
「それだけじゃない。ラインハルト殿下の状況を分かっていながら、あなたと親しくなれないかと画策した。ひいおばあさまが、私の気持ちを踏まえた上で、レイファス第一王子でなくラインハルト第二王子を餌に選んだことを知っていながら、浅はかな私はそれに乗ってしまった」
息を呑むアンジェリーナに、カルロスは笑う。
「私はあなたが好きなんですよ、アンジェリーナ様」
「……わ、わたくし……」
「あなたの気持ちが私に向いていないことは分かっています。だからこうして、伝えることができる。それに、その気持ちが誰に向いているのかも、私は分かっているつもりです」
「カ、カルロス様」
「言ったりしませんよ。まあ言わなくても、みな気づいていると思いますが」
「!?」
動揺しきりで真っ赤に顔を染めたアンジェリーナに、カルロスは微笑む。
「思えば、私があなたにそんな顔をさせることができたのは、これが初めてかもしれませんね。脈なしにもほどがあるな」
「……そ、そんな、うぅっ……」
「本当に、ありがとうございました」
カルロスの言葉に、アンジェリーナはパッと顔を上げる。
「あなたが全てを解決してくれた。オルトヴィーンに言われるまで、私はそんなことが現実に起こるなんて、思ってもみませんでした」
「……そうなの」
「私のしたことの被害者にすぎなかったのに、あなたは、私を、ラインハルト殿下を、王家の秘宝に搾取されていた全ての者を救ってくださった。本当に、ありがとうございます。そして、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるカルロスに、アンジェリーナは一瞬狼狽えたけれども、すぐに毅然とした顔つきをした。
「カルロス様。その感謝と謝罪、このアンダーソン侯爵家が長女、アンジェリーナが受け取りました」
「受け入れてくださり、感謝します」
「そして、わたくしがあなたを許すためには、条件があります」
「はい」
アンジェリーナの視線を、カルロスは正面から受け止める。
そういうカルロスを見て、アンジェリーナは彼の胆力に、誠意に、頰を緩める。
「わたくしと、いつまでもちゃんと、お友達でいてちょうだい」
「……え?」
「勝手に姿を消したりしないで。挫けたら相談に乗るわ。わたくしが挫けたら、逆に相談に乗って。いつもいつでも味方でいられるかは分からないけれど、わたくしがあなたのことを、友人として大切に思っていることを、忘れないで」
微笑むアンジェリーナに、カルロスは目を彷徨わせた後、手で目元を隠した。
アンジェリーナは、それをずっと笑顔で見つめている。
「……アン、ジェリーナ様は、ズルい方ですね」
「そう?」
「私は今、あなたにフラれたばかりだというのに。そんなふうに、格好良いところをみせられたら、心を残してしまいそうだ」
「ふふ。わたくし、いい女でしょう? そうやってなかなか諦められないのが、あなたへの罰よ」
「悪い女ですね」
「そうなのよ。……それにね、わたくしも、そうだから」
「え?」
「……片想いだもの」
頰を染めて俯くアンジェリーナに、カルロスは目を丸くする。
そういえばそうだった、と彼は思い出した。アンジェリーナはいい女だけれども、至高の鈍感令嬢でもあったのだ……。
しかし、アンジェリーナに心を揺らされているカルロスは、真実を告げることをやめた。
「アンジェリーナ様でも悩むのですね」
「わたくしが、こういうの、得意な訳ないでしょう?」
「いい女なのに、モテないのですか」
「も、モテっ、モテるわよ! カルロス様が、好きって言ってくれたもの!」
「……他は?」
「えっ……」
「冗談ですよ。あなたはラインハルト殿下の婚約者ですからね。陰ながら想いを寄せている有象無象は知っていますが、想いを告げてくることはないでしょうから」
涙目で震えるアンジェリーナに、カルロスはクスクス笑う。
アンジェリーナは、その笑いが、『心配性だなあ、君はモテているよ』という意味なのか、『君はモテないけど、安心させるための嘘をついておいてあげるよ』という意味なのか分からず、そのまま震えていた。
こうして、アンジェリーナはカルロスと仲直りをした。
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なお、カルロスの処遇は、テレーザと同様に不問とされることとなっていた。
なにしろ、カルロスは魔女マリーの息子である。ここで厳罰に処すると、あとで何をされるか分からないということで、カルロスのしたことは無かったことになったのだ。
ライトフット王国では、魔女に関わることは災害と同様に扱われる。
その慣習を考えると、今回の対応は当然のことではあったのだが、肝心のカルロスが納得しなかった。
「ラインハルト殿下の三年間を考えると、私の処遇がそんなに甘いものであっていいはずがない」
事件があった二日後にお見舞いに来たラインハルト第二王子に、カルロスは謝罪すると共に、そう言ったのだ。
けれども、不問となったからには、カルロスに処罰をすることはできない。
結局、カルロスは、ラインハルト第二王子の側近候補を自ら辞退し、隣国ラマディエールに留学することにしたそうだ。
「魔法を学べる学校を作りたいのです。この国の行く末に関わる資格は、私にはない。けれども、市井に生きる民のために、魔女マリーの子孫としてできることがあると思うのです」
そう言って、彼はアンジェリーナに微笑んでくれた。
彼はきっと、いい学校を作るに違いない。




