65 カルロスと魔女(前編)
雲ひとつない青い空を見ながら、アンジェリーナは思いを馳せる。
アンジェリーナは、事件から5日後、カルロスに会いに行った。
カルロスは、応接室のソファに座ってアンジェリーナを迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、アンジェリーナ様」
「カルロス様! お出迎え、ありがとうございます。体調はいいとお聞きしたので、伺ってしまいましたが……」
カルロスは男性なので、彼が寝台から出られるようになるまで、アンジェリーナはお見舞いに来ることもできなかったのだ。
彼は自宅から出ることは許されてはいないものの、家の中であれば自由に行動できる程度には回復しているらしい。
「はい。安静に、とは言われていますが、もうほとんど体に支障はないんですよ。普段から鍛えてますからね、マル……国の兵士ほどでは、ありませんが」
言葉尻を濁したカルロスを、アンジェリーナは追求しなかった。
そして、お見舞いの花束を渡すと、彼は嬉しそうにそれを受け取った。
「ありがとうございます、アンジェリーナ様」
「ふふ。お気に召したかしら」
「はい、とても」
「でも、カルロス様のお家は今、花瓶が足りなくなっているんじゃありませんの? お見舞いのお花を沢山いただくでしょうし。そこのピンクのお花もそうなのでしょう?」
「ああ、はい。そうなんです。ピンク色の……」
「カルロス様?」
「とても不器用な女性にいただいたんですよ」
アンジェリーナは、アッと声をあげ、カルロスは、微笑んだ。
「あの方、一体今はどちらにいらっしゃるの?」
「さあ……。でもきっと、どこかでこの国を見ていると思います」
そこから、カルロスはアンジェリーナに、彼女のことを語った。
マリアンヌ=マーブル男爵令嬢。その昔、マリアルージュ=カーペンターと呼ばれた女性。魔女マリー。
彼女は、このライトフット王国にやってきたその時、まだ齢80歳の若年の魔女であった。
水属性の魔法を得意とし、癒しの魔法を使う彼女は、なんの気なくライトフット王国の地に足を踏み入れ、その惨状に驚いた。
大地の魔力資源がほとんど空っぽ、作物を置いておくと通常ではありえない速度で萎びていく。
そんな国で、ライトフット王国の国民は、様々な工夫を凝らし、生き延びていた。細工や工事を得意とし、職人技を連綿と引き継ぐことで、他国と食料のやりとりをし、細々とその命を繋いでいたのだ。
魔女マリーは唖然としながら、村々を巡っていた。そして王都に辿り着こうかというところで、女の一人旅だった彼女は盗賊達に襲われた。
周囲の魔力資源がなく、精霊が呼び出しに応じない中、なんとか魔女マリーは盗賊隊の大多数を気絶させることに成功する。
しかし、あと一歩のところで魔力がつき、その場で毒をあおるか悩んだところで、彼女を助けたのが、カーティス=カーペンター侯爵だったのだ。
魔女マリーは、一目で恋に落ちた。
彼女は幼い頃から魔法が得意で、自力で世界樹に辿り着いた若年の魔女だ。今まで、誰かに助けてもらうといった経験が少なかった。それがまさか、若い男に助けられるなんて青天の霹靂であったのだ。
そして、カーティスはカーティスで、多くの盗賊を一人で倒した魔女マリーを見て、思ったそうだ。
「こいつは使える。手元に置いておこう」
「ええ!?」
「ひいおじいさまは、やり手の領主でしたからね。毒気のない笑顔で人を利用するタイプの人間でした」
「あわわ……」
毒気のない笑みを浮かべるカルロスに、アンジェリーナは蒼白になる。
(マリーさん、国に利用されたって、まさかカーティス様!?)
恐ろしい予感を胸に、アンジェリーナは続きに耳を傾ける。
魔女マリーはそれから、カーペンター侯爵領に居座った。王都近くの鉱山地帯を管理する彼の領土には、よく魔物が出た。ライトフット王国に植物は少ないけれども、この鉱山地帯では、地熱を利用したのだろう、砂漠でも育つと言われる雑穀が何種類か群生している。その雑穀目当てに、魔物が寄ってくるのだ。
だから、国土の中でも重大な課題を抱えた土地として、侯爵を賜ったカーティス=カーペンターが、その地を治めていた。
魔女マリーは、怒った。
「カーティス、これはどういうことなの」
「何か提案があるのですか?」
「こんなに怪我人が出るのに、まともに治療系の魔法を使える人材がいないじゃない!」
それどころか、攻撃魔法だって、ろくに使える兵士はいなかった。
初級攻撃魔法に、魔法を伴わない外科手術。
魔女マリーの憤りに、カーティスはいつもの微笑みを浮かべた。
「では、あなたが教えてくださいませんか」
「え!?」
「水と癒しの魔女マリー。あなたがもし、私達を哀れと思うなら、どうぞお願いします」
あれよあれよという間に、魔女マリーは、カーペンター侯爵領における魔法教師になってしまった。
ただし、それは侯爵領における公然の秘密として扱われた。
何しろ、ライトフット王国では、魔法の知識の普及は推奨されていないからだ。
魔法の使用を認められている兵士達への教育はまだしも、市井の民への医療魔法の伝授は、カーティスの立場を危うくするものだった。実際に、カーティスの部下達の中には、それを蛮行として止める者も多かった。
けれども、カーティスはそれを強行した。
「カーティス。あんたはそれでいいの」
「構わないですよ」
「私は何かあったら逃げるからいいけれど、あんたは違うでしょう」
「それでも構いません」
「どうして?」
本当に不思議そうにしているその海色の瞳に、カーティスは変わらず微笑む。
「私は、悪い男なんですよ。利用できるものはなんでも利用します。あなたのこともね、マリー」
「あんたの身が危なくなるなら、利用も何もないじゃない」
「私は危なくても、民の安全度は高まるでしょう?」
当然のことのように言われた言葉に、魔女マリーは目を丸くする。
「私は、私の領民達が好きなんですよ。あの人達が笑っているなら、私という人物の価値を、最大限利用することに、ためらいはないのです」
「……カーティス」
「私は、あなたのことも利用しています。……あなたは、危なくなったら、自分の力で逃げられるでしょう? 餞別はここに用意してありますから、何かあったら持っていきなさい」
魔女マリーは、去らなかった。
その日から、彼女はカーティス相手に攻めて攻めて、一ヶ月かけて彼を口説き落とし、妻の地位を手に入れた。
「……妻になったら、もう逃げられません。本当にいいのですか」
「ばか! 鈍感! 最低!」
そうして、魔女マリーは、ただのマリーから、マリアルージュ=カーペンターとなった。
仲睦まじい侯爵夫妻のいるカーペンター侯爵領は、ライトフット王国にしてさ医療技術の高い領地として名を上げていった。
ただし、魔女マリーには定期的にするべきことがあった。
「じゃあ、行ってくるわね」
「うん。気をつけて」
「ちょっと、もう少し寂しそうにしなさいよ!」
「君がいないと寂しいよ、マリー」
「……浮気したら、許さないわ」
「もう私も年だよ」
「あなたがまだまだモテているのは知ってるんだから!」
「見た目の年齢を偽装している君に言われるとはねぇ」
魔女マリーは、魔女であるが故に、その見た目は18歳のままだ。世界樹のが、彼女の寿命を引き延ばしている。それを、侯爵夫人としての立場を考え、魔法や化粧などの細工で、そこそこ歳を重ねたように見せている。
そんな若々しい妻が、もう50にも届こうかというカーティスの浮気を本気で心配している。それが、カーティスにはおかしくて仕方がない。
「じゃあ、精霊様達によろしくね」
「すぐ帰ってくるわ」
「うん。待ってるよ、可愛い奥さん」
「『愛してる』は?」
「帰ってきたらね」
そうしていつものやり取りを終え、いってらっしゃいのキスをすると、魔女マリーは名残惜しそうにカーティスを見つめた後、旅立っていった。
魔女マリーは、何人かの精霊と契約している。特に、世界樹の根元で出会った水の大精霊ヴァネッサとは長い付き合いだ。
しかし、魔女マリーがライトフット王国にいる間は、精霊達は彼女の呼び出しに応じることも、会話をすることもできない。
だから魔女マリーは、精霊達との繋がりを保つために、二、三年に一度、ライトフット王国を離れ、精霊達との時間を作っているのだ。
そして、魔女マリーがカーペンター侯爵領を離れたその時、事件は起こった。
ライトフット王国に潜む反国家勢力が持っていた呪いの魔道具が暴走したのである。




