64 三週間後
あれから、三週間後。
アンジェリーナは、プリムローズ学園の裏庭のベンチに座っていた。
膝の上に置いた小さなカゴの中では、彼女の契約精霊が布にくるまり、すやすやと寝息を立てている。
平日の昼日中であったが、アンジェリーナはぼんやりとそのベンチに座ったまま、空を見上げていた。
実は、アンジェリーナ達が通う、ライトフット王国のプリムローズ学園は、4月に次年度が始まるまで休校となってしまっていた。
地下から王家の秘宝が見つかり、今まで起こった《時戻り》の魔術の後始末や、遺跡の調査で、学園自体が国家によって封鎖されてしまったことのよるものだ。アンジェリーナは、その封鎖された校舎に忍び込んでいるだけなのである。
ちなみに、学園の調査を手配したのは、ライトフット王国の時期国王となる準備をしている、………………ラインハルト第二王子だった。
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まず、現国主であるライトフット国王だが、彼は職務に復帰することができなかった。
《時》の大精霊フェニによって、三年間時の止まった空間で一人きりで過ごした結果、精神を病み、回復の見込みが立たないのだそうだ。
ライトフット国王の身には、聖女の治癒魔法がかけられたため、火傷の傷は完治している。しかし、聖女の治癒魔法は、体の傷は癒しても、心の傷は癒せないのだとか。精神関係に特化しているのは、聖魔法よりもむしろ闇魔法であり、ニコラスに頼んで彼の契約精霊である闇の大精霊に頼めば、望みはなくはないらしい。
けれども、ラインハルト第二王子も、レイファス第一王子も、それを望まなかった。
「ハッハッハ。父上はたぎる欲望を抑えられない方だからな! 少し病んだくらいが、大人しくて丁度よかろう! 母上もそうおっしゃっているしな!」
「レイファス殿下……」
「兄上……」
「王家の秘宝も破壊され、我が国も方針転換を余儀なくされるからな! 国主も代替わりした方が何かと都合がよい! あとは任せたぞー、ラインハルト!」
「え?」
「え?」
笑顔のまま固まるラインハルト第二王子とアンジェリーナに、レイファス第一王子は笑っている。
「なんだ、俺が後を継ぐと思っていたのか? そんな訳なかろー!」
「いや! いや!? 兄上、突然何をおっしゃるのです!」
「俺は小難しいことを考えるのが嫌いだからな! 周りに全部押し付けてきたが、国王となると本当に荷が重いんだ! これが!」
「兄上、あなた王太子ですよね!?」
「お前が三年間も魔女に捕まるから、王太子を譲れなくて困っていたのだ! 魔女も、俺に国王の資質がないのを分かっていて、お前を絡め取りにきたようだしな。本当に、嫌がらせの天才だ! いやー、お前が無事で本当に良かったー!」
「よくありません! ちっともよくないぞ、バカ兄貴!」
「ハッハッハ。久しぶりに取り乱すラインハルトを見たなあ!」
「兄さん!!!」
ハニーブロンドに、助けるような水色の瞳、体が大きく、鍛え抜いた体をしているレイファス第一王子は、笑いながら、細身のラインハルト第二王子の背中をバンバン叩いて、彼を咳き込ませていた。
アンジェリーナの脳裏には、しがない金髪クイーンの日記のある文面が思い浮かんでいた。
『実は、鉱山地帯ライトフット領の時代から、ラジェルドの血筋である領主一族には悩みがありました。何故かは分からないのですが、子どもを産むと、強欲な子と、脳筋な子と、苦労性の子しか生まれないのです』
(脳筋……! レイファス王太子殿下、脳筋!? ラインハルト殿下は苦労性……!)
そして、開いた口が塞がらないラインハルト第二王子とアンジェリーナが呆然とする目の前で、あれよあれよという間に、ラインハルト第二王子を王太子とする手筈が整ってしまったのである。4月となり、年度が切り替わった後の最初の王家主催のパーティーで、デビュタントの若い女性達の集う中、新《王太子》の発表をする予定だ。
なお、新《国王》ではないのは、レイファス第一王子の温情らしい。ラインハルト第二王子の年齢やこれまでの経緯をを考え、準備期間として、3年間限定で、24歳のレイファス第一王子が渋々《国王代理》として国を収めるのだとか。
「兄さん、代理じゃなくてそのまま即位してくださいよ!」
「いやだー!」
「兄さん!!」
「大丈夫、心配するな。布石は打っておいたからな! 俺はこれまでの王太子としての業務において、全てを周りに丸投げし、みなを褒めちぎり、大体のことを許しつつ、ぬるま湯にならないようにイヤーなタイミングで全ての事業を混ぜっ返してきた。国民は気にしないが、官僚はイヤーな気持ちになる絶妙なラインでな! 官僚はみな、俺が国王代理を辞めてお前が現れるのを待っている!」
「その能力を統治に使ってください!!」
「ここだけの話なんだがな、ラインハルト……俺にも何故か分からないんだが……俺の素晴らしい能力は、戦いのときと、俺が雑務から逃げるときにしか発揮されないのだ……!」
「それはやる気の問題です!!!!」
「ハッハッハ」
笑うレイファス現王太子に、ラインハルト第二王子は、肩を落とした。
そうして、ラインハルト第二王子は、王太子となるべく、準備を始めたのである。
****
こんなふうに急にラインハルト第二王子を王太子にして、政争でも起きるのではないかと、ラインハルト第二王子とアンジェリーナはこの三週間、戦々恐々と過ごしていた。
しかし、どうやらレイファス第一王子は相当嫌がられていたらしく、少なくともここ三週間、ラインハルト第二王子を非難する声は驚くほど聞こえてきていない。
極め付けは、テレーザの父であるテレンス=テトトロン公爵が、ラインハルト第二王子の立太子に関して、全面的に支援してくれることになったことだった。
「あなたは良い国王になるでしょう」
「……テトトロン公爵」
「あなたはものの道理の分かっている方だ。そして何より、私の大事なテレーザを助けてくれた。私は今後、決してあなたを裏切ることはないでしょう」
ライトフット国王の弟であるテレンス=テトトロン公爵の言葉に、アンジェリーナは、テレーザを想ってじわりと目に涙を浮かべる。
《時戻り》の魔術の術者であったテレーザとカルロスは、あの事件の後、一週間程度、それぞれの自宅で寝込んでいた。
二人とも、慣れない魔法の使用で肉体的に疲労している上、8回に及ぶ時戻りの記憶を持つことで精神的にも疲弊しきっていたため、医者に絶対安静を言い渡されたのである。
そして、事件から4日経過し、お見舞いに行ったアンジェリーナを、テレーザは翳りのない笑顔で迎えてくれた。
「テレーザ、大丈夫なの?」
「アンジー! いらっしゃい、来てくれて嬉しいわ」
事件から4日経過し、血の気の戻ったテレーザは、寝台にいるものの、回復傾向にあることがみてとれた。
アンジェリーナはほっと胸を撫で下ろしつつ、テレーザに尋ねる。
「テレーザ、あのね。結局、どういうことだったの?」
「……うん。実はね、私、お母様の子でもなかったの」
「ええ!?」
テレーザは、体力の回復した昨日ようやく、今回の事件の真相を知ったテレンス=テトトロン公爵に、改めて、自分の出生について聞いたらしい。
そうしたらなんと、テレーザは父テレンスだけでなく、母ターニャの子ですらなかったのだ。
「で、でもでも! テレーザ、あなたターニャ様にそっくりよね?」
「私、ターニャお母様の双子のお姉様の子なんですって」
驚きのあまり目を白黒させるアンジェリーナに、テレーザは笑った。
実は、テレーザは、ラインハルト第二王子の父であるロイド=ザルツ=ライトフットが、ターニャ=テトトロンの姉であるトリシャ=トンプソン伯爵令嬢と、半ば無理矢理浮気をしてできた子らしい。
国王ロイドは元々、弟の妻であるターニャを気に入っていた上、弟のものが欲しいという常日頃の病も加わり、色々よろしくないことを画策していたらしい。その事実を知ったターニャの双子の姉トリシャは、国王に直談判したところ、計画を中止する条件で強請られ、たった一度だけ身を差し出したのだとか……。
その一度きりの関係で身籠ったトリシャは、悩んだ結果、妹とその夫を頼った。
テレンスとターニャは、国王ロイドに対して怒りを溜めると共に、黙って一人でなんとかしようとしたトリシャを叱った。そして、トリシャとそのお腹の子をどうするか考えた。何しろ、同時期に正妃が子を――ラインハルト第二王子を身籠っていたのだ。浮気相手のトリシャが国王の子を産むなどという醜聞を公表したら、どうなることか。
考えた結果、テトトロン公爵夫妻は、トリシャの子を、公爵夫人ターニャが生んだテトトロン公爵家の子として偽装することにしたのだ。
姉妹二人は、病気療養と出産準備と称して避暑地に籠り、トリシャは娘を産み、ターニャはその子を、自分が産んだ子として育てることにした。
出産時にトリシャが亡くなってしまったため、テレーザは実母に会うことはなかった。
「そりゃあお父様も、『今の国王は危うい』って言うはずよね。アイツ、最低だわ」
「テ、テレーザ……」
「大丈夫よ、アンジー」
テレーザの気持ちを慮って青ざめるアンジェリーナに、テレーザは微笑む。
「私には、お父様がいるから。兄弟も、素敵なお友達もね」
「……! テレーザ!」
アンジェリーナが感極まってテレーザに抱きつくと、テレーザは幸せそうに微笑んだ。
「それよりもね、アンジー。私、ちょっと意趣返ししたい相手がいるのよ」
「え?」
「分かるでしょう? あの人よ、あの人。素直じゃないのは分かるけど、意地悪ばっかりしてくるんだもの。……お見舞いに来るとは思わなかったけれど」
ぷりぷり怒りながらも、嬉しそうにしているテレーザに、アンジェリーナはなんだか、むず痒いような気持ちになりつつ、口を閉ざした。
友情……なら、いいのだが……。
実は、テレーザは、内々の国家命令で、基本的に王都を出られない身となったのだ。
今回、テレーザは国家に報告すべきことをしなかったため、処罰を検討されていた。
しかし、テレーザを処罰するということは、王家の秘宝の発見だけでなく、彼女が王家の秘宝を扱うことができる存在――国王ロイドの子であることを世間に知らしめることに繋がる。制度改革が必要な今、国王不祥事を明るみにするのは良くないとの判断で、テレーザのしたことは表向きなかったことになったのだ。
その代わり、《時》の大精霊フェニのために、いつでも初代王妃アビゲールの呼び出しができるよう、王都にとどまる命が下された。
なにやら、地図を放棄した女性の王族からしか、アビゲールは現れないらしい。
【殿方にわたくしが取り憑いていたら、色々と障りがあるでしょう?】
「障り……」
【ですから、殿方からは、ラジーが現れましてよ】
「え!?」
ということで、ラインハルト第二王子が地図を放棄したところ、初代国王ラジェルドが現れたのだ!
フェニもアビゲールも、現世に現れたラジェルドに大変喜んでいた。
そんなこんなで、侯爵との婚約がなくなり、テレーザが王都にとどまることを知ったアンジェリーナの家族から、まさかの声が上がったのだ。
「テレーザさん、王都に残るの!? じゃあ僕、婚約を申し込む!」
「ええ!?」
なんと、アンジェリーナの弟のエリックは、初めて会った時からずっとテレーザが好きだったらしい。
「エリック、あなた、この間だって女の子の家にって」
「本命に手が届かなくてやさぐれてたんだよ。心を入れ替える。父さん兄さん、僕、国の官僚になるね」
家族全員が唖然とする中、エリックは翌日には婚約申込みの書類を整え、あとは父のアンダーソン侯爵が印を押すだけの状態になっていた。
あまりの手際の良さに、アンジェリーナ達家族一同は、やはり口を開けて固まっていた。
(エリック、恐ろしい子……!)
アンジェリーナは、目の前の小柄で可愛い友人を見ながら、ため息をつく。
青い髪の偏屈な友人と、お調子者の弟……。
「この様子だと、テレーザはまだ、申込みのことを知らないのね……」
「? なぁにアンジー」
「いえ、いいの。それよりね、テレーザ。嫌なものは嫌って、断っていいのよ? あなたが何を選んでも、わたくし達の友情には一ミリも影響はないんだからね」
「……? 分かったわ、ありがとう」
不思議そうにしているテレーザに、アンジェリーナは満足げに頷いた。




