62 精霊契約
アビゲールの日記を読み終わり、アンジェリーナ達は無言だった。
いや、二人ほどハンカチを握りしめながらぐじゅぐじゅ泣いている。アンジェリーナとテレーザだ。
男達三人は、難しい顔をしていた。
「感動ですわ。フェニ様、なんて健気ですの」
「お別れは辛いわね」
「「「……」」」
「……なぁに、どうしたの三人とも」
「いや、別に」
「なんでもない」
「……」
「ヴィー?」
言葉を濁すニコラスとラインハルト第二王子と違い、オルトヴィーンは眉間に皺を寄せている。
アンジェリーナが不思議に思って顔を覗き込むと、オルトヴィーンが急に口を開いた。
「戦犯は聖女ショコラだな。偉そうにしておきながらこの体たらくはなんだ? 聖女の伴侶ジルベスターとやらもそうだ、人の国にこんな爆弾を置いて自分だけさっさと死ぬとは何事だ。オーウェン=オルクスも無能がすぎる私の祖先とは思いたくない命を拾った意味はあるのか。大精霊の魔力を消費するすべがないだと? この王家の秘宝の魔道具を後少し改良するだけでそこそこの魔力消費量の魔道具は作れただろうに無能を理由に選択肢を潰すとはオルクス伯爵家の面汚しが、当時40過ぎの王妃が映像記録だと50歳前後、ということはこの装置を作り上げるまでに10年近くをかけたのかそれだけの時間をかけてもっと効率の良い魔道具を作れなかったのか、大体人類の代表とは何だ国の長であるからには国民を上手くノセるのが基本の仕事だろうが愚直で素直な態度が全てを肯定するなど幻想だぞ田舎領主が」
「お前、分かったから、もうそろそろ口を閉じろ。分かったから」
ものすごい早口で怒りを吐露するオルトヴィーンを、ニコラスが静止する。
日記の内容に感動していた女二人は、オルトヴィーンの様子に青ざめていた。テレーザは「やっぱりこの人ダメだわ」と、震える声で呟いている。アンジェリーナがラインハルト第二王子とニコラスに「殿下とニックも同じことを……?」と小声で尋ねると、ラインハルト第二王子は「ここまでのことは思っていない!」と慌て、ニコラスは「そりゃ、聖女については思うところはあるが……あれと一緒にするか?」とげんなりしていた。
【読み終わりましたの?】
「あ……アビゲール様」
【青い彼を怒らせちゃったみたいね。わたくし達の力不足で申し訳ない限りだわ】
「いえ……」
【それにしても、ライトフット王国が未だこの地から遷都していないだなんて、信じられないわ。あの子達、王家の秘宝に目が眩んだのね。全くもう……】
祭壇から立ち上がり、こちらに近づいてきたアビゲールは、近くをフワフワ浮いている金色スズメを侍らせながら、申し訳なさそうに眉をハの字にした。
(あの子達……というのはきっと、彼女の子ども達のことよね)
おそらく、初代国王ラジェルドと初代王妃アビゲールの死後、子ども達の判断で、遷都を取りやめたのだろう。
アンジェリーナがそうやって物思いに耽っていると、アビゲールは天気について語るが如く、アンジェリーナとラインハルト第二王子に話しかけた。
【じゃあ、アンジェリーナさん、ラインハルトさん。フェニのことをよろしくね】
「ええ!?」
「……その。もしかして、次の大精霊様の家族は、私とアンジェリーナなのですか?」
【そのようね。フェニは二人がいいんでしょう?】
『僕、ラインハルト君とアンジェリーナちゃんが良い〜』
【ね? それで、精霊契約のことなのだけれど……】
「――お待ちください!」
その静止に、その場の全員が彼の方を見た。
「お待ちください。それは、王家の秘宝の中にいらっしゃった大精霊様との契約者を、この場で決めるということですか」
「マクファーレン近衛隊長」
「それは認められません。王家の秘宝、ひいては大精霊様との契約については、王家と国家の総意をもって判断されるべき内容です。この場の限られた人員で決めて良いことじゃない!」
近衛隊長のマックス=マクファーレンの視線は、アンジェリーナとラインハルト第二王子に向かっている。そこには、近衛隊長としての義務だけでなく、彼自身の怒りも込められていた。
その様子に、周りの近衛兵達や、暗部の四人も動揺するばかりだ。彼に指示を出す立場であるライトフット国王は、へたり込んだまま動かない。
ラインハルト第二王子は、マクファーレンの怒気に身をすくませたアンジェリーナを、彼自身の背後に隠した。
その様子を目で確認したニコラスは、マクファーレンに向かって口を開いた。
「そんなことをしても意味がないぞ」
「ニック」
「マクファーレン……近衛隊長、だったか? 精霊契約は、精霊の意思で一人の人間と契約を結び、その者の声を精霊に届かせるものだ。声をかけられた精霊は、気が向けば呼び出しに応じ、契約者の手助けをする。人間が契約者を指定しても、当の精霊本人が嫌がれば無意味だ」
「それでもだ! それでも、議会の審議にかけた上で判断すべき重要事項だ。大精霊様が議会が指定した者との契約を拒絶するのであれば、次の者を指定すれば良い!」
『僕は今回、ラインハルト君とアンジェリーナちゃん以外とは契約しないよ』
金色スズメの声が、広間に響いた。
近衛隊長のマクファーレンの言葉を打ち砕いたのは、他でもない、《時》の大精霊フェニ本人だった。
金色の炎を纏うスズメは、静かな水色の瞳で、彼を見据える。
『僕は僕の家族を、自分で選ぶ。それは、僕の幸せを願ってくれたラジーとアビーの気持ちを、僕が大切にしたいからだ。人間ってだって精霊だって、僕に誰を家族にするか、指図することはできない』
【……フェニ】
『大切な人は、ちゃんと自分で選ぶんだ。だって、最高に格好良い大精霊は、大事なことを人任せにしない。そうでしょ、アビー』
大精霊フェニの言葉を聞いて、アビゲールは思わず泣き崩れた。慌てたフェニは、『アビー! 泣かないで、アビー』とアビゲールの周りを飛び回る。そして、【フェニが格好良すぎて感動しちゃったわ】というアビゲールに、大精霊フェニも結局泣き出していた。
その二人の横で、ニコラスが再度、近衛隊長のマクファーレンに釘を刺す。
「聞いてのとおりだ。……精霊に、よりにもよって精霊契約の内容を指示するなんて、下策もいいところだ。あんた、ライトフットの人間の割に、やたら魔法に詳しいんだから、精霊の怒りを買うだけだと分かっているだろう」
「下策だろうと、関係ない」
「マクファーレン」
「それが、ライトフット王国のあり方だからだ。王家の秘宝のために、全てを犠牲にする。国の魔法資源も、土地の実りも、国民の魔法学の知識も、人の命もだ! それが、ライトフット王国の、国家としての決断なのだ。――高々数人の若者が、勝手に壊して良いものじゃない!」
怒りの声と共に、マクファーレンの周りに、真っ赤な炎が燃え上がる。
それは、彼自身が、自らの意思で放出したものではなかった。魔法は、強い感情を鍵に引き起こされることもある。彼が、身のうちに孕んだ憤りが、鍛え抜かれた彼自身の炎の魔力に火をつけ、それを着火剤に、周りの魔力を巻き込み、地獄の炎として具現化したのだ。
マクファーレンは知らなかった。
彼は生粋のライトフット王国民であり、自らの鍛え抜いた魔力が、王家の秘宝による魔力搾取のない世界で、どれほどの威力を持つものなのか、理解していなかった。
だから、周囲から、自分の炎に焼かれる部下達の悲鳴が上がり、我に返ったものの、その炎を止める術が分からなかった。
「うわぁあああ」
「た、隊長から離れろ!」
「この炎、消えないぞ! み、水の魔法で……」
「だめだ、俺達の魔法じゃ消えない! 隊長……!」
阿鼻叫喚の中、アンジェリーナは青ざめていた。
王国民のアンジェリーナも、時戻りの魔法以外でこのように大きな魔法を見るのは初めてだ。しかもアンジェリーナの得意魔法は炎で、この魔法を止める術など持っていない。
この炎を鎮めることができるとしたら、きっとただ一人。
(水の魔女マリアンヌ――!)
しかし、アンジェリーナがその一人の方を振り向くより早く、三人が動いた。
「えっ」
「来て、ヴァネッサ」
「私の女神、ビューティフル=ピオニエ=リュミエール」
「――クロ」
魔女マリアンヌの手元から、謎解きの天才オルトヴィーンの背後から、闇魔法の申し子ニコラスの足元から、それぞれ魔力の塊が現れ出でる。
そうして、三つの魔力がそれぞれ、蛇、白フクロウ、黒虎を象ると、呼び出した者の傍に寄り添った。
「ヴァネッサ、お願い」
「リュミエール」
「クロ、頼む」
それぞれの契約者の声に反応し、蛇は大量の水で炎をかき消し、白フクロウは炎の影響を受けていない者を光の壁で守り、黒虎は怪我をした者の精神を鎮めた。
そうして静まり返った広間は、大量の怪我人でひどい有様だ。中心には、魔力の多くを消費し、膝をついたマクファーレンが、ギラついた瞳でラインハルト第二王子を見ている。
「マクファーレン、今は休戦とすべきだ」
「……それは、できない。私、は……」
「父は今、この場の指揮を取ることができる状態ではない。マクファーレン、あなたのせいでもある」
ハッとしたマクファーレンは、周囲を見渡す。
ライトフット国王は、左半身に重度の火傷を負っていた。
マクファーレンはいつだって、ライトフット国王の近くに侍っていた。だから、マクファーレンの魔力暴走の被害を最も受けたのは、当然ながら、国王だったのだ。
「私は……」
言葉を失うマクファーレンを、ラインハルト第二王子は痛ましいものを見るように目を細めた後、顔を上げた。
「この場は、第二王子ラインハルトが預かる! 皆の者、怪我をしていない者は、怪我人の手当てを。それから……」
「待ちなさい」
ラインハルト第二王子は目を見開き、声のした方に顔を向けた。
そこにいるのは、マリアンヌだった。




