53 再登場
「なぜお兄様がここに!?」
仰天するアンジェリーナに、近衛兵に綱で犬のように引かれている兄イアンは、顔を赤くして叫ぶ。
「お前を脅すために連れてこられたんだよ!」
「妹を脅すために連れてこられるなんて恥ずかしくありませんの!?」
「恥ずかしいに決まってるだろう、お前が思ってる百倍くらい恥ずかしいわ! 俺はっ……辺境の戦士なのに……っ!」
「大体、エリックはどこですのよ! まさか、ここに連れてこられないような怪我でも……」
「あいつは逃げた」
「逃げた!?」
どうやら昨日、国王軍がアンダーソン侯爵家に、アンジェリーナの家族を捕らえに来たらしい。兄と母はこの時期、王都別邸と侯爵領本邸を特殊許可の要る転送陣を使って行き来していたはずだが、国王軍はご丁寧にも、王都別邸だけでなく、転送陣を使って辺境にある侯爵領本邸までやってきたのだとか。大した手間暇をかけたものである。
最初は使者の体を装っていたのだが、あからさまに大人数で怪しく、その時点で弟のエリックは、「うわぁ、嫌な予感がするから、僕は隠れる! しばらく女の子の家に行くね」と言って姿を消したらしい。
「エリック……!?」
「アンジーは、エリックの言う女の子の家って誰の家だか分かるか? 父さんも母さんも知らないって言うんだよなぁ」
「知りませんわよ!」
「だよなぁ。あいつ、女の子の友達多いからなぁ……全員を渡り歩いてるのかもなぁ……」
アンジェリーナは愕然とする。
(え、お兄様のエリックに対する評価って、そんな感じですの? エリック、そんなに乱れていますのー!?)
「いい加減にしないか! ここは神聖なる秘宝の間だぞ!」
真っ赤な顔で唾を吐きながら叫んだのは、ライトフット国王だ。
兄イアンは若干引き気味に口を閉ざす。アンジェリーナも同じく、口を閉ざした。
静かになった二人に満足したのか、国王は咳払いをする。
「さあ、ラインハルト。アンジェリーナ」
促されたアンジェリーナは、困り果てた顔でラインハルト第二王子の方を見る。
すると、彼は全て承知したと言わんばかりの顔で頷いた。
「父上。どうしても、引いていただけませんか」
「引く道理がない。これは我が王家の秘宝である。国王である私の手に委ねられるべきものだ」
「……そうですか」
ラインハルト第二王子は一度目を伏せた後、オルトヴィーンとニコラスに視線を走らせる。
「動くな。動くなら容赦しない」
近衛隊長のマクファーレンの言葉に、ふと笑ったのは、ニコラスだった。
「動いたりしないさ。俺たちはな」
「ここは魔法が複雑に絡む秘宝の間。とはいえ《時戻り》の術自体は解除されている。……まあ多少のリスクは仕方ないでしょう。――ラインハルト殿下」
「分かった」
オルトヴィーンの呼びかけに、ラインハルト第二王子が応える。
「男爵令嬢マリアンヌ――別名、魔女マリー! カルロスが危ないぞ、いいのか!」
アンジェリーナは、こぼれ落ちんばかりに目を見開いた。
彼女は聞いていなかった。アンジェリーナを囲む男達はなにやら納得済みの顔をしているけれども、アンジェリーナは全然知らない。
ここに、あの魔女を呼ぶだなんて、聞いていない!
叫んだ後、魅了魔法に抵触したせいだろう、苦しそうな顔をして片足をついたラインハルト第二王子に、アンジェリーナは悲鳴を上げる。
ライトフット国王は、焦ったような顔で、ラインハルト第二王子を睨みつけた。
「魔女だと? ラインハルト、お前――」
「――よくもまあ、こんなところに呼びつけてくれたわね」
青い光を放ちながら、空間に亀裂が入る。
金色の光が、その亀裂の周りを、火花のように飛び散っていた。
しかし、亀裂は広がり、閉じるどころか、人が一人通ることができるぐらいに、その大きさを広げていく。王家の秘宝が金色に輝きながら、亀裂を塞ごうとするけれども、華を模したような魔法陣に彩られたその亀裂は、しっかりとその存在を主張していた。
中から現れ出たのは、ピンクブロンドの髪に海色の瞳の、悠久の時を生きる女。
水属性、癒しの魔法を得意とする、魔女マリー。
怒りに震え、魔力を放つその姿に、国王や近衛兵達は震え上がっている。
「私の魅了魔法を何度も呼び鈴みたいに使うなんて、豪腹だわ。……本当に、生意気な小僧」
長いまつ毛がゆっくりと持ち上がり、その奥にある海色の瞳が捉えた先にいたのは、ニコラスだった。
「やっぱり覚えてたか」
「えっ!?」
「私は魔女よ。精神魔法に抵抗する手段くらいは持ち合わせていて当然でしょう」
「一回こっきりの魔道具とか、その程度だろう? なにしろ、闇魔法はあんたの専門じゃない」
「口の減らないガキだこと。前回は血濡れで助けを乞うていた身だというのに」
ギロリと睨みつけられ、ニコラスは両手を上げて降参を伝える。
アンジェリーナはとにかく気配を消していた。こういうときは、気づかれないに限る。息を鎮め、気配を凝らし、視界から遠ざかるのだ。
「小僧。それから、そこの小娘」
びゃっと飛び上がったアンジェリーナに、魔女は冷たく笑う。
「あのときの交換条件、忘れていないでしょうね」
前回、瀕死のニコラスが、魔女マリーに出した手助けの条件。
――王家の秘宝を、破壊する。
「わ、忘れていませんわ! わたくし達、だからここに……!」
「だが、あんたが協力してくれないと難しいだろうな」
国王達の方を見ながら挑発するニコラスに、魔女マリーは冷たく言い放つ。
「人の力にばかり頼っていると、お姫様がガッカリするんじゃないかしら」
ぐ、と息を呑んだニコラスに、魔女マリーは溜飲が下がったのか、クスリと笑う。
そして、視線をニコラスから、国王達の方へと移した。
「み、水の魔女、マリー……」
その震える声は、ライトフット国王のものだった。
国王は、魔女マリーのことを知っているのだろうか。
「久しぶりね、ライトフット国王。そして――薄情者のマクファーレン!」
近衛兵達は、自分達の上司が魔女から名指しで呼ばれたことにざわつく。
しかし、当の本人である近衛隊長のマクファーレンの反応は静かなものだった。
「あなたのように、恨みに駆られることが最善とは思い難い」
「お前から見たらそうなのね。けれど、国王に与する今のあなたを見て、ミーファはなんて思うかしら」
「――お前が、ミーファを語るな!」
炎が巻き上がり、近衛隊長のマクファーレンを包むように渦巻く。
それに向き合ったのは、水の魔女マリー。
青く光り輝く魔法陣が、華のように咲き誇り、彼女を包んでいく。
「あなた、魔女に勝てると思っているの」
「お前は水と癒しの魔女で、戦いは本分ではない。そして、この国には魔力資源がない。――自分の体内の魔力しか使えないのなら、魔女もただの人だ」
「こざかしい男だこと。本当にそう思うなら、好きにすればいいわ」
ビキビキと血管を浮き上がらせ、魔女マリーは魔法陣を広げていく。
魔法陣が花開くように煌めくと、その中から何匹もの水の蝶が現れ出でた。
その幻想的な光景に、アンジェリーナはほう、と思わず息を吐く。蝶に取り囲まれた近衛兵達も、攻撃とは程遠いその様子にざわめいた。
「蝶だと?」
「一体これは……」
「近づくな!」
叫んだのは、近衛隊長のマクファーレンだ。しかし、彼の制止は時遅く、水の蝶の近くに寄った近衛兵の一人が、悲鳴をあげる。
蝶に触れたその手は紫色に染まり、汚染は見る間に広がっていた。
「うわぁああ!?」
「毒だ!」
「こ、この……!」
近衛兵達は水の蝶に斬りかかるけれども、何度切りつけても、水は形を一時的に変えるだけで、蝶に戻ってしまう。それどころか、斬りつけた剣が錆びて朽ちていくものだから、近衛兵達からさらに悲鳴が上がった。
近衛隊長のマクファーレンが炎で水の蝶を何度か攻撃すると、ようやく一匹が消滅した。炎の刃を使えば一撃で落ちたが、近衛隊長のマクファーレンの手持ちのナイフにも限りがあるため、全ての蝶を撃ち落とすことはできない。
アンジェリーナは、体が汚染された近衛兵達が死んでしまっていないかと慌てたけれども、よくよく見ると、彼らは倒れてはいるが、息はしており、命はあるようだ。戦っている近衛兵達は、気づいていないようだが……。
「魔女マリー、やめさせろ! そこの人質がどうなってもいいのか!」
「私は別に構わないわね」
「……!」
「待って構いますわ!? お、お兄様……!」
見捨てられてしまいそうな兄イアンに、アンジェリーナは慌てるが、彼女を制止したのは意外なことにニコラスだった。
「ニック!? なんで……」
「大丈夫だ」
青い顔をしたアンジェリーナに、ニコラスは笑う。
その瞬間、アンジェリーナの兄イアンの足元から黒い槍が何本も突き出て、彼の拘束を解き放った。
遠くから、兄イアンに向かって、言葉が投げかけられる。
「辺境の戦士! あとは自分で逃げろよ」
「……っ!? 言われなくても――」
縄から解き放たれた兄イアンは、近衛兵の一人から剣を奪うと、その場から逃げるために周りの兵に斬りかかった。
多勢に無勢な状況に、アンジェリーナは息を呑んだが、意外にも兄イアンは善戦している。どうやら、自称『辺境の戦士』は伊達ではないらしい。弟のエリックではこうはいかなかっただろう。
(エリック、ナイスですわ!?)
兄イアンの周囲は敵だらけなので、もちろん危ない場面もあるのだが、いいところで黒い槍が助太刀に入るので、なんとかあの場を抜け出せそうな様子だ。アンジェリーナが周囲を見渡して黒い槍の術者を探したところ、秘宝の間の扉の向こう、台座の間にいる彼を見つけた。
「ジェフリーさん!」
「リーナちゃん、無事か?」
「リーナちゃんとはなんだ、うちの妹だぞ! 勝手に変な呼び方をするな!」
「辺境の戦士は頭が硬いな、もう!」
「リーナ、行くぞ!」
「わ、分かったわ! テレーザ、こっちよ!」
「……!」
アンジェリーナはテレーザを助け起こすと、ニコラスと共に秘宝の方へと歩みを進める。
その瞬間、炎の刃がアンジェリーナ達の方へと向かい、アンジェリーナは身構えたが、水の龍がその刃を食い尽くし、その後、蒸発した。
もちろん、水の龍を作り出したのは魔女マリーである。
「よそ見をするなんて、近衛隊長様は余裕がおありなのね」
「……! 近衛兵、手の空いた者は秘宝を守れ! 奴らを小箱に近寄らせるな!」
近衛隊長のマクファーレンは、部下に指示を出したが、それを聞くことができる者はいなかった。
背後の部下は暴れるイアン=アンダーソンとジェフリーに手を焼いているし、魔女に立ち向かう兵士達は、下級魔法や弓矢などで距離をとりながら、水の蝶に対処するだけで手一杯の様子である。
暗部の者達は、「私を守れ! お前達は、私の側を離れることを許さん!」と叫ぶ国王の周りに待機し、動く様子はない。
アンジェリーナ達五人は、その間に秘宝の近くに集合した。オルトヴィーンが改めて光の障壁を張り、ラインハルト第二王子は彼に尋ねる。
「それで、ヴィー。テレーザ達を術者から外す方法を教えてくれ」
オルトヴィーンは一瞬、ためらいを見せた。
テレーザはその珍しい様子に、目を瞬く。
「……地図の放棄です。血を出して、古代ライトフット語でそれを宣言してください。『道標を永遠に放棄する』とでも」
苦虫を噛み潰したような顔をしているオルトヴィーンを、テレーザは凝視した。
テレーザが、秘宝に触れたことを後悔するくらい、意地悪をしてきた人……。
「オルクス卿って……」
「私はあなたが嫌いです」
「ひねくれ者」
憮然とした表情のオルトヴィーンに、テレーザはふふっと笑う。そして彼女は、魔法でほんの少し自分の右手の指を切った。
じわりと滲んだ血を見ながら、テレーザは思う。
テレーザは、この血にずっと、振り回されてきた。
けれども、こんなものはもう、必要ないのだ。テレーザには、彼女を支えてくれる友達がいるのだから。
テレーザがアンジェリーナを見ると、アンジェリーナは笑顔でテレーザの左手を握りしめてきた。テレーザも思わず、笑顔になる。
「『道標を永遠に放棄する』」
テレーザの血が光り輝き、地図が現れた。その地図は、ぐるりと巻物のようになると、煌めく虹色の軌跡を残しながら、秘宝の小箱にとぷんと吸い込まれた。
小箱が震え、真上に浮かぶ水晶がパキンと割れて、小箱が置かれた台座の横に、意識のないカルロスが現れる。
グラリと倒れ込んできた彼を、ニコラスとラインハルト第二王子が受け止め、その場に寝かせた。
穏やかに息をするカルロスを見て、テレーザはポロリと涙をこぼした。
「後は、壊すだけです」
オルトヴィーンの促しに、アンジェリーナは頷く。
ここに来るまで、長かった。
繰り返した《時戻り》は8回。初めての《時戻り》から経過した時間は、7ヶ月と2日。
ようやく、このループを終わらせることができる。
それも、アンジェリーナの望むように、誰も欠けない形で!
「もう、ループはお腹いっぱいですわー!」
国王の「やめろおおおお」という言葉を背景に、アンジェリーナは炎の初級魔法で、小箱を薙ぎ払って床に叩きつけた。




