50 スズメ
キィーンという金属の鳴る音と共に、小箱は、みなの目の前で砕け散った。
その瞬間、紫色の魔法陣が幾重にも浮かび上がり、割れたガラスのように砕け散る。
その後、ふらり、と倒れるテレーザに、アンジェリーナは取りすがった。
「テレーザ!!」
アンジェリーナは、テレーザと共に地面に倒れ込んだ。
そんなふうに衝撃がかかったにも関わらず、テレーザはぐったりしたまま動かない。その目は重く閉じられていて、アンジェリーナの方を見てくれない。
「テレーザ! いやよ、目を開けて……テレーザ!」
「リーナ、小箱から離れろ!」
「いやっ、だってテレーザが……テレーザ!」
何度もテレーザの名前を呼び、泣き叫んでいるアンジェリーナの後ろで、壊れた金色の小箱が光を放っていた。
小箱の上の水晶玉にヒビが入り、吸い込まれていたカルロスが姿を表す。しかし、彼も目を閉じたまま、微動だにしない。
「な、なんてことを……テレーザ、この愚か者が! 我が王家の秘宝を、お前ごときが!」
「陛下、冷静になさってください」
「これを冷静に受け止められるか!」
ライトフット国王は、顔を真っ赤にしてテレーザを罵倒している。
そんな国王達に構わず、ニコラスは金色の小箱を見ていた。金色の小箱は、いまだ光を放ちながら不穏なほどの魔力を放出している。割れた水晶の周りを衛星のように周回していた紫の宝石達が、宙に浮いたままブルブルと震えている。
「オルトヴィーン! これはどうなる!?」
「紫の宝石は、世界の記憶です。割れると、過去の記憶が破損して終わるのか、はたまた一気に世界の全員に記憶が戻って脳が破壊されるか……」
「……!? 小箱はどうなる」
「分かりません」
「分からない!?」
「地図には、壊すなら、相当の覚悟をしておけと」
青い顔をしているオルトヴィーンに、ニコラスは舌打ちすると、アンジェリーナ達に駆け寄った。
近衛隊長のマクファーレンも、もはやそれを止めなかった。
「リーナ、ここから離れるぞ!」
「いやっ、テレーザ……!」
「彼女は俺が運ぶ。だから、早く!」
「いや、いやよ! ……っ、どうして……っ!」
テレーザの体にとりすがり、泣いて動かないアンジェリーナを、ニコラスは必死に説得する。
ニコラスはテレーザを見たが、テレーザは既に息をしていなかった。魔力も一切感じられない。おそらくもう、手遅れの状態だった。
それでも、ニコラスはアンジェリーナをテレーザから引き剥がし、テレーザを抱き抱える。
「行こう。リーナ、早く」
「ま、待って……テレーザ……カ、カルロス、様も……」
涙でボロボロの顔で、アンジェリーナは小箱の方を振り向く。
倒れているカルロスの隣で、小箱はさらに光を増し、魔力の奔流も勢いを増している。
「な、何……」
「分からない! リーナ、カルロスは無理だ、こっちへ!」
「……! こ、壊れていない。壊れていないぞ! 我が王家の秘宝は、その力を失っていない!」
「陛下、危険でございます! 離れてください!」
「私のだ! 王家の、私の……私の秘宝……!」
アンジェリーナ達は秘宝から距離を取ったが、対してライトフット国王は、熱に浮かされたように秘宝に向かって歩みを進めた。
その狂気を浮かべた瞳に、アンジェリーナは背筋を凍らせつつも、ニコラスに導かれるままにオルトヴィーンとラインハルト第二王子の傍まで移動する。
「アンジェリーナ! よかった、怪我はないか」
「で、殿下……て、テレーザが……ううっ……」
「君のせいじゃない」
泣いているアンジェリーナの肩を、ラインハルト第二王子が引き寄せる。
アンジェリーナの涙がさらに止まらなくなったその時、秘宝の間に声が響き渡った。
『キライ』
「……え?」
驚きの声を上げたのは、ライトフット国王だった。
秘宝が語りかけたその相手は、まさに今、かの秘宝に最も近付いていた、彼であったのだ。
そして、その拒絶の言葉に、――蒼白になっている。
『オマエは、キライ』
『愛ヲ、知らナイ』
『二人デ、来る、約束だっタのに』
『キライキライ』
『オマエは、国王』
『儀式は、足リテいル』
『愛が、ナイ』
『――お前には、資格が、足り、ナイ』
『代ワり……代償、ヲ……』
最後の言葉と共に、近付いていたライトフット国王の右手が、小箱に吸い込まれていった。
「う、うわぁあああ!」
「――陛下!」
近衛兵や暗部の誰もが硬直して動けない中、近衛隊長のマクファーレンだけが、ライトフット国王の体を掴み、秘宝に吸い込まれないよう力を込める。
しかし、彼が力を込めずとも、ライトフット国王の右腕以外は、吸い込まれずにその場に残っていた。
「わ、私の、手が! わ、私の……!」
「陛下、痛みはありますか! 患部をお見せください」
「私の腕が!」
半狂乱で暴れるライトフット国王に、マクファーレンは歯噛みしつつも彼を取り押さえる。
『腕、モラッタ』
『他にモラウモノ、なかっタ』
『オマエは、愛を知らナイ』
『大切ナノは、自分、ダケ……』
マクファーレンは、なんとか国王の服の袖をめくり、患部を確認すると、そこにはただ、腕がないだけで、傷口等は一切存在していなかった。本当に、秘宝は右腕だけを貰ったのだろう。出血により、命までを奪うつもりはないらしい。
自分の状態を受け入れられず、半狂乱で叫んでいる国王をよそに、アンジェリーナ達は最大限に警戒を高める。アンジェリーナは、テレーザを失ったことをまだ受け入れられていなかったが、自分達もこの場から戻ることができるか危うい状態であることに気がつき、泣き叫びたい気持ちをなんとか抑え込んでいた。
暗部の者達は、そろそろと扉に向かって歩みを進めていた。どうやら自分達だけ逃げ出すつもりのようだ。
近衛兵達もそのことに気がついたのか、扉に向かってじりじりと歩を進めている。
『キライ』
『二人でクルって、言ってタのに』
秘宝の間に響きわたる、責めるような声。
アンジェリーナは、その声が、なんだか幼げな雰囲気の声質であることに気がついた。壊れた金色の小箱の光が膨れ上がれば膨れ上がるほど、その声に幼さが混じっていく。悲しくて、寂しくてしかたがない、子どものような……。
『嘘ツキ』
『ウソツキ』
『ウソツキ!!』
「や、約束を、したの……?」
『――』
アンジェリーナの呟きに、声の主の意識が、アンジェリーナに向いたのが分かった。
これは、まずい。
アンジェリーナは、王家の者でもなんでもないのだ。秘宝に関わる資格など、全くない。ライトフット国王のように、右腕だけでは済まないかもしれない。
焦るアンジェリーナは、肩を抱き寄せる手に力が込められて、驚いて顔をあげる。
「――私が次の術者候補だ!」
「ラインハルト殿下! そんな……」
「彼女は関係ない!」
アンジェリーナの静止も虚しく、秘宝は今度は、ラインハルト第二王子を注視した。魔力の渦が、彼の方に向かって蠢いている。
「オルトヴィーン、来るぞ!」
「分かっていますよ、少しは手伝ってください」
「やってるだろうが!」
ニコラスとオルトヴィーンの言葉のとおり、限界に達していたのか、壊れた小箱が弾け飛んだ。
二人が障壁を張ってくれているせいか、風による圧力はあまり感じないけれども、広間に溢れる光までは遮ることができない。眩しさでアンジェリーナは目を閉じる。しかし、瞼を貫く光に、視界は真っ白に染まった。
そうして、しばらく身を固くしていたけれども、何も起こらず、何の音もしなかった。
アンジェリーナの肩を抱くラインハルト第二王子の手の力が緩まり、おそるおそる目を開けると、世界はまたしても、時が止まっていた。
例外は、アンジェリーナと、ラインハルト第二王子と――目の前の小鳥。
『ラジー、アビー!』
「……えっ?」
「ラジーと、アビー?」
それは、光り輝く小鳥だった。
金色の羽をしたスズメの形をしているそれは、二人の真上を、くるくると軽快に飛び回っている。
アンジェリーナがおそるおそる手を差し出すと、小鳥はその手の中に止まり、ふくふくの羽を膨らませながらチュンチュン鳴いた。
その目線の先には、アンジェリーナ。
クリクリの深い青色の瞳にアンジェリーナが魅入られていると、その小鳥がコテンと首を傾げた。
あまりの可愛さに、アンジェリーナは心臓が止まるかと思った。
しかも、その小鳥はそのまま、蜂蜜を思わせるキュートな甘い声で話し出したのだ!
『アビゲールはまだ生きていたの? 魔女より長寿なの〜、凄いの〜』
チュンチュン笑っている小鳥に、アンジェリーナは慌てる。
「……アビゲール?」
『あれ、違うの? ラジェルドもいるのに?』
「わ、私のことか? いや、ラジェルド、ではないが……」
小さな羽で指し示されたのは、隣にいるラインハルト第二王子だった。
その反応を見て、小鳥は訝しげに再度首を傾げる。
『もしかして、ラジェルドの子孫かな? なんだぁ、ラジーもアビーも、やっぱりもう死んじゃったのかぁ』
小鳥は、カクンと首を下げて落ち込んでいる。
その庇護欲をそそる光景に、アンジェリーナは思わず「死んでないわよ!」と言ってあげたくなったが、知らない人達のことなので、何も伝えることができない。
それにしても、ラジーとアビーとは、誰のことなのか。ラジーはラジェルドの愛称、アビーはアビゲールの愛称らしい。もしかして、初代ライトフット国王ラジェルドのことだろうか。では、アビゲールというのは……?
『みんな僕のことを知らないのかな』
「……ごめんなさい、寡聞にして存じ上げませんわ」
『そっかぁ、なんでだろ〜。僕って有名精霊だったのにぃ』
残念そうにしょげる小鳥に、気の毒に思ったアンジェリーナはその頭を指先で撫でる。
そうすると、小鳥は嬉しそうにチュンチュン鳴いた。
『えへへ。でもさでもさ、何の精霊かは一目瞭然でしょ?』
「え?」
『僕って不死鳥だから、一目見てすぐバレちゃうんだぁ。ラジェルドもすぐに気がついたんだよぉ』
照れたようにモジモジしている小鳥に、アンジェリーナは貴族らしい愛想笑いを浮かべる。ラインハルト第二王子も口元だけで笑っていた。
どう見ても、アンジェリーナの手に止まった小鳥はフェニックスではない。スズメである。金色に光る、たまに尻尾から金の炎を出しているスズメ……。
「……そ、そうね。あなたはとても立派な不死鳥だものね。でもね、念のため、何の精霊か答え合わせをしてくれるかしら」
『いいよぉ。えーと、君の名前はなんだっけ?』
「アンジェリーナ=アンダーソンと申します。ライトフット王国、アンダーソン侯爵家の長女です」
『うんうん。アンジェリーナちゃんね。覚えたぁ。隣は?』
「ラインハルト=ザルツ=ライトフットと申します。ライトフット王国の第二王子です」
『そっかそっかぁ。第二王子! ラジーとおんなじ、二男なんだねぇ』
小鳥は満足げに頷くと、ふくふくと空気を含んで柔らかそうな胸を、思い切りそらした。どうやら本人は、威厳たっぷりの姿のつもりのようだ。
アンジェリーナは思わず「可愛い」と呟き、ラインハルト第二王子は「しっ」とアンジェリーナに黙るよう促す。
『僕はね、《時》の大精霊なんだぁ。名前はフェニ。ラジェルドがつけたんだよ。不死鳥のフェニって自己紹介するんだよってラジーとアビーに言われているんだぁ。よろしくね〜』
そう言って自信満々にしている小鳥を、アンジェリーナとラインハルト第二王子は呆然として見つめた。




