49 覚悟
赤色が、舞う。
鉄の匂いのするそれに、アンジェリーナは悲鳴をあげた。
「テレーザ!」
ふらり、と揺れ、倒れ込んでくるテレーザを、アンジェリーナは必死に受け止める。
そのまま二人で座り込み、アンジェリーナはテレーザの胸元にナイフが刺さっているのを見た。
「アン、ジー……」
「テレーザ、どうして! な、なんてことを……」
「無事で、よかっ……」
痛みに顔を顰めるテレーザに、アンジェリーナは青くなる。
いつしか、ニコラスが刺されたときの光景が、重なるようだった。出血が多い。致命傷かどうかは、アンジェリーナには、分からない。けれども、ニコラスの時と同じくらい、テレーザの傷口から血が滲んできている気がする。
「ニューウェル卿、この愚図!」
「悪い……」
オルトヴィーンの罵倒に、ニコラスは歯噛みする。
言うだけのことはあり、オルトヴィーンはしっかりラインハルト第二王子を守りきったようだ。
そもそも、ニコラスの得意魔法属性は闇属性だ。防御魔法は主に、その反対属性である光魔法の領分である。潜伏や精神操作、重力関与を得意とする彼が、防御魔法が得意ではないのは、仕方のないことではあった。ニコラスは全ての属性の魔法を使えるよう訓練をつんではいたが、光属性が得意なオルトヴィーンのように、攻撃や破壊に特化した炎属性の騎士の攻撃を防ぐことができる防御魔法を、咄嗟に編み出すことまではできない。
それはニコラスも自覚していたので、前回の反省を生かし、魔道具も仕込んでいた。けれども、魔道具の普及していないライトフット王国で入手できる魔道具では、マクファーレンの攻撃に耐えられなかったようで、最初の2撃で破損してしまっている。
あとは彼自身の力でなんとかするしかない。
「テレーザ! テレーザ!」
アンジェリーナの悲鳴を背に、ニコラスもオルトヴィーンも、扉から目を離さない。
「――テレーザ。お前が秘宝を使っていたのだね」
その聞き覚えのある声音に、アンジェリーナはギクリとして扉の方を見た。
そこにいるのは、近衛兵に暗部長、暗部の部下三人に――ライトフット国王。
「父上!」
「ラインハルトか。お前はいい、静かにしていなさい」
「何を……なぜ、私とアンジェリーナを攻撃したのです!」
「それが分からないから、お前は未熟者なのだ」
羽虫を見るような、感情のない目で国王はラインハルト第二王子を見る。
息を呑む第二王子に興味を失ったのか、国王は背後の近衛隊長に話しかけた。
「マクファーレン。大事なテレーザを害するとは、後で分かっているな」
「はい」
「大事な……?」
アンジェリーナの呟きを拾った国王は、笑顔になる。
「そうだとも、アンジェリーナ。テレーザは私の大切な娘なのだ。テレーザ、痛いだろう、すまないね。私はお前を害するつもりはなかったのだが……」
「陛下、話をしているときではありません! テレーザは重症です、はやく近衛兵達に応急処置を命じて……」
「秘宝の力を使えば問題なかろう」
テレーザを横抱きに抱えたまま絶句するアンジェリーナに、国王は笑顔のまま続ける。
「さあ、テレーザ。我が娘よ。王家の秘宝を起動しなさい。そうすれば、お前の怪我も治る」
「さ、最初から、そのつもりで……!」
「それは誤解だ。私は、我が娘テレーザを害するつもりはなかった。これは不幸な事故なのだよ、アンジェリーナ」
「……!」
アンジェリーナは、信じがたいものを見る目で国王を睨みつける。
しかし、テレーザには、すぐに分かった。
確かに、テレーザが傷を負ったのは、ライトフット国王にとって誤算だったのだ。あの刃は間違いなく、アンジェリーナとラインハルト第二王子を狙っていた。
アンジェリーナが重症を負わされたら、テレーザとカルロスは迷わず《時戻り》を起動させただろう。《時戻り》の術の中心人物。術者であるテレーザとカルロスの弱点。
そして、テレーザとカルロスはいつも、同じ時点にしか時を遡ることができない。馬鹿の一つ覚えのようにこの1ヶ月を繰り返してきたことで、国王にもそのことがバレているのだ。
ラインハルト第二王子がいれば――別の術者候補がいれば、もっと違った秘宝の使い方をする可能性が出てくる。だから、念のため、第二王子も潰そうとした。
(――自分の、息子なのに!)
『今の国王は……兄さんは、危うい。何をしでかすか分からない、無茶なところが目立つ。抑止力が欲しい』
父の、テレンス=テトトロン侯爵の言葉が脳裏に浮かぶ。
国王に、この秘宝を渡してはいけない。
「……テレーザ、早く! 悔しいけれど、陛下の言うとおりだわ。《時戻り》を起動するのよ!」
アンジェリーナの叫びに、テレーザは答えようとして、かふ、と血を吐く。
息をするのも痛くて、今にも気を失いそうだった。どうやら、ナイフが肺に届いているようだ。
(わ、私……)
このままだと、命を落とす。
そのことに気がついたテレーザは、愕然とした。
まだ、何もできていない。
アンジェリーナに謝っただけで、この事態を引き起こしたのはテレーザなのに、まだ、何も……。
「――動くな。動くなら容赦しない」
近衛隊長のマックス=マクファーレンが、ニコラスに向かって告げた。
唯一彼の魔法を弾くことができるオルトヴィーンは、ラインハルト第二王子を背に庇っており、動くことができない。
いよいよ他に手段がなくなる中、テレーザは浅く息をする。
「テレーザ、さあ。術を起動させなさい」
「血が止まらない……っ、テレーザ、早く! あなたが死んでしまう!」
国王とアンジェリーナの促しに、テレーザは考える。
焦りが、思考を鈍らせる。
だけど、時間がない。どうしたら。
ここで《時戻り》を起動させれば、おそらくいつもどおり、テレーザ達は2日前のあの時点に戻るだろう。
秘宝の間までの侵入経路を知った国王達が、初日に秘宝の間を開く。既に侵入方法を知った国王達には、アンジェリーナ達を泳がせる必要がないので、きっと次は、アンジェリーナ達は秘宝の間にたどり着くことができない。
国王達が秘宝の間を開き、テレーザとカルロスは呼び出され、起動中の秘宝は奪われるだろう。
アンジェリーナだけに執着しているテレーザとカルロスでさえ、繰り返す《時戻り》を止めることができなかった。国の魔力資源に、国民に、多大なる負担をかけていると分かっていながら、繰り返し《時戻り》の術を起動した。
このライトフット国王は、王家の秘宝を手に入れた時、どうするだろうか。
『あなたを、信じてもいいのですか。秘宝を壊すという言葉は揺らぎませんか』
『ええ。それがどんなに素晴らしいものであってもね』
自分がカルロスに言った言葉が思い起こされる。
王家の秘宝を、国王に渡さないために、どうしたらいいのか。これ以上、《時戻り》の力を使わず、国民の命を削らず、アンジェリーナ達の安全も維持するために、テレーザにできること。
仮にテレーザが秘宝を壊したとして、その後はどうなるだろう。王家の秘宝を失った国王は、アンジェリーナ達を害さないだろうか。ああ、でもそうか。ここには、隣国の王弟の子だという、あの留学生が……。
「テトトロン公爵令嬢! 術を起動しなさい、あとは私がなんとかします!」
オルトヴィーンの焦った声に、テレーザは心の中で失笑する。
いつも余裕ぶっているあの青い男が焦っている。
テレーザは不思議と、その様子を可笑しく思った。
なんとかできるならば、とうの昔になんとかしている人だろうに、そんな根拠薄弱なことを言うなんて、らしくない。まるで、テレーザを心配して、取り急ぎの案を叫んだだけにみえる。
(……いえ、違うわね。私じゃなくて……きっと、カルロス様を心配して……)
術者であるテレーザがこのまま死ぬと、もしかしたら秘宝に吸い込まれたもう一人の術者であるカルロスも元に戻れなくなるのかもしれない。王家の秘宝を破壊したならば、尚更だろう。アンジェリーナは解放されたけれど、テレーザとカルロスは、術者として未だ王家の秘宝に拘束されているのだから。
自分の決意に、カルロスを道連れにする。
テレーザにも、流石にそれは躊躇われた。
「アン、ジー……」
「テレーザ、喋ってはだめよ!」
「私を、小箱の、……ころ、へ……」
ハッと顔を上げたアンジェリーナは、蒼白な顔でテレーザに肩を貸し、なんとか彼女を立ち上がらせる。
ニコラスがアンジェリーナを手伝おうと身じろぎしたが、近衛隊長のマックスがそれを許さなかった。
アンジェリーナの補助の元、テレーザは秘宝が載る台座に近づく。
「カル、ロス……様……」
テレーザは、カルロスを呼ぶと、術を起動させるべく、アンジェリーナのことを想った。
――術は、起動しなかった。
《時戻り》は、発動しない。
テレーザは微笑んだ。
彼も、覚悟を決めたのだ。
全てに、決着をつけるために……。
「……ルロス、様、ありが、とう……」
テレーザは、最後の力を振り絞って、金色の小箱に手を伸ばす。
「そうだ、テレーザ。そのまま、術を起動させなさい」
嬉しそうな国王の声が聞こえる。
テレーザの、本当の父親の声。
けれども、そんなものはどうでもよかった。
テレーザの心は動かない。
「テトトロン公爵令嬢!」
テレーザに対して、最後の最後に静止の声を上げたのは、いつもテレーザに意地悪をする彼だった。テレーザの意図を悟ってしまったのだろう。謎解きの天才というのも難儀なものだ。
彼は必死の形相で、やはりテレーザか心配されてるような気持ちになるけれど、心配しているのはカルロスのことだ。この男はきっと、テレーザの墓の前で、カルロスの命を奪ったと、愚痴を聴かせるに違いない。
テレーザは、息をするのも忘れて、微笑んだ。
なんだか、気持ちが軽い。
最後に、できることがあってよかった。
一緒に、支えてくれるカルロスがいてよかった。
テレーザは、差し出した手が、小箱の上の水晶に吸い込まれそうになるのを見て、クスリと笑う。
初めて秘宝に触れた時、テレーザは畏れた。自分には壊せないと、自分の命を惜しんで、手を引いた。
だけど、今は。
『このおまじないはね、騎士が戦いの時に使うものなんです』
『戦いのとき?』
『はい。倒すべき敵を前に、怯まないように、守るべき人を、命を賭して守れるように、最善の力を尽くせるように、騎士となる日の初日に学びます』
穏やかなその声を、テレーザは想う。
『けれども、本当の騎士には、こんなものは必要ないんです。守るもののために心が奮い立つことがあっても、怯えて動けなくなるようなことは、真実、騎士であるならばあり得ないのだから』
(……私も、本当の騎士に近づけたかしら)
テレーザは吸い込まれていく手元に、魔力を集めて風を起こした。
そして、その手を振り下ろして――風の力を使って、王家の秘宝と呼ばれる小箱を、硬い石の床に叩きつけたのだった。




