48 懺悔
「軽蔑したでしょう?」
二人きりの空間で、アンジェリーナと向き合ったテレーザは微笑む。
全てを知り、全てを解決するために、ようやく目の前に現れたアンジェリーナ。
ずっと、ずっとずっと待っていた。
テレーザはアンジェリーナを、ただひたすら待っていたのだ。
アンジェリーナが、テレーザのところまで来ることを。
アンジェリーナが、テレーザを裁きにくると信じて、全てに耐えていた。
「全部、私がやったの。カルロス様を脅して、オルクス卿の力を使って、王家の秘宝を呼び起こして、術を発動させて」
微笑むテレーザに、アンジェリーナは何も言わない。
ただ、ひたすらにテレーザを見つめている。
「何かどうしてもやりたことがあった訳じゃないのよ。ただ、自分にできると思ったから」
テレーザは、ずっと考えていた。
記憶が戻るたびに、後悔に暮れるたびに、省みていた。
どうしてこんなことになったのか。
……どうして自分は、こんなことをしてしまったのか。
自信のない自分という存在。
少しずつ溜まったあらゆる不満。
そして何より――正面からぶつかる勇気と覚悟のなさ。
「私は、向き合わなかった。お父様に、出自のことを聞かなかった。ラインハルト殿下を助ける努力をしなかった。カルロス様の話を聞かなかった。侯爵に嫁ぐことを最後まで拒絶しなかったし、女性として社会的に自立する努力もしなかった。全部、最後の奥の手で――王家の秘宝を壊すことで、全ての不満に、嫌なことに、意趣返しをしようとしたの」
テレーザは、気力を振り絞って、アンジェリーナに向き合う。
手が震える。
声が掠れる。
弱くて最低な自分を曝け出すのが怖くて、そんなふうに怖がる自分がさらに嫌いで、テレーザの心臓は軋むように痛む。
けれども、そんな痛みがなんだというのだろう。
テレーザは、アンジェリーナと違って、死んだ訳でもないというのに。
「そうやって、あなたを危険な目に遭わせた」
「……そう」
「私がやったの。分かってるんでしょう? 術者は私で、この1ヶ月にあなたを閉じ込めたのも、私」
「……テレーザ」
「流されて、調子に乗って、うまくいかなくなったら逃げ出して。でも、都合のいい時だけ、この力に頼って」
「テレーザ」
「アンジェリーナ、私は……」
テレーザが気がついたときには、アンジェリーナは彼女の傍までやってきていた。
テレーザの右手を、大切なものみたいに両手で包み込む彼女に、テレーザはその手を振り払おうとする。
けれども、アンジェリーナは手を離さなかった。
しっかりと、友人の手を握りしめている。
「私を、許す気?」
「いいえ」
「……っ、そ、う……。そうよね。当たり前だわ」
テレーザは、自らの動揺する心に怯みつつも、なんとか自分を立て直す。
そうして心の壁を作り直したテレーザに返ってきた言葉は、彼女の予想していないものだった。
「だってわたくし、謝られてないもの」
テレーザはハッと顔を上げる。
目の前のアンジェリーナは、穏やかに微笑みながら、テレーザを見ている。
「テレーザは、どうしたいの?」
何をしたいのか。それは分かっている。
けれども、そんな都合のいいことを口にしていいのだろうか。
そう思うと言葉が出てこなくて、テレーザは、何度も口を開いて言い出そうとしては、俯いてしまう。
「何も相談してくれないなんて……わたくしのこと、もう嫌いになった?」
「そんなことない!」
「そう。よかった」
必死の面持ちで叫んだテレーザに、アンジェリーナは微笑む。
「じゃあね、もう一回聞くわよ。テレーザはどうしたいの?」
優しい声音に導かれるように、テレーザの視界が歪んでいく。
本当に、言葉にしていいんだろうか。
テレーザが、心から望むものは……。
「テレーザ」
ポロリと、涙と一緒に、色々なものがこぼれ落ちた。
ポロポロ流れ落ちていくそれを、テレーザは止める術を知らない。
「アンジー、私……」
「うん」
「私、謝り、たくて」
ようやく言いたいことが言えそうなのに、胸が苦しくて、声がなかなか出ない。息をするのも難しくて、それでもテレーザは、必死に言葉を紡ぐ。
「私……っ、お父様と、家族と、一緒にいたい」
「うん」
「アンジェリーナ……ともっ……、ずっと、一緒にいたいの……」
「うん」
「沢山悪いことを、したのに、わ、私っ……」
「悪いことをしたら、どうしなきゃいけないんだったかしら」
優しい顔で待っている友人は、コテンと首を傾げて、テレーザを見た。
テレーザの友人は、そうやって首を傾げると、このうえなく可愛い。それを、彼女は知らずにやっているのだ。
そして、テレーザは知っていた。アンジェリーナがこの癖を出すのは、気の置けない間柄の人の前でだけであることを。そのことが、今のテレーザの心をどれほど浮かび上がらせたことか。
「ごめん、なさい……」
「うん」
涙でボロボロのテレーザを、アンジェリーナは優しく抱きしめた。
そして、耳元で囁く。
「じゃあ、わたくしの言いたいことも言わせてね」
身を固くしたテレーザに、アンジェリーナは朗らかに笑う。
「わたくしのこと、助けてくれてありがとう。流石はわたくしの親友だわ」
テレーザは、久しぶりに心からの笑顔を浮かべた。テレーザはきっと一生、この友人には敵わない。
そしてそのまま、親友の腕の中で、心ゆくまでわんわん泣いたのだった。
****
「それで、この空間ってどうなっているの?」
ドーム状の結界の中、アンジェリーナはテレーザに尋ねる。
泣き腫らした目の親友は、アンジェリーナの左腕にしがみついたまま離れようとしない。そんな可愛い親友に悶えながらも、アンジェリーナは気を取り直して、辺りを見渡した。
ドームの外側は、どうみても時が止まっているように見える。
秘宝の力は、時を戻るだけではなかったのか。
「王家の秘宝は、《時》に関する操作をすることができる魔道具なの。術者は私とカルロス様よ」
「そうだわ、それ。カルロス様はどうなったの?」
「私が、正当な後継者ではなかったから……秘宝に取り込まれてしまったの。けれど、意識はあるし、秘宝を通して周りを見ているようなのよ」
「そうなの?」
「ええ。私とカルロス様が息を合わせないと、王家の秘宝の力は使うことができないの。……アンジェリーナが危険な目に遭って、私が慌ててなんとかしなきゃって思ったときに、術が起動していたから……カルロス様も、秘宝の中から、状況を見て、同じタイミングであなたを助けようとしていたんだと思う」
「そうなの……。……え? 毎回、息を合わせて?」
「そうよ」
「わたくし、引きこもっていた時もありましたわよね?」
「秘宝の間からなら、国内どこでも見えるでしょう?」
「え? 秘宝の間から? ……み、見て?」
「……プクプクですわ〜……」
「いやぁああああ」と叫ぶアンジェリーナに、テレーザはクスクス笑っている。アンジェリーナは顔を真っ赤にして泣いていた。泣いていた?
「泣くほど!?」
「乙女の秘密なのよ! カ、カルロス様も見ていたの? わたくしに死ねと?」
「美味しそうに食べていて可愛かったのに」
「いやぁ……殺してぇ……」
うずくまるアンジェリーナに、テレーザは「ごめんね」と肩をさする。そこから5分かけてようやく落ち着いたアンジェリーナは、本題に戻った。
「それで、これってどうやったら解除できるの?」
「多分、だけれど……段々と秘宝を使うことに慣れてきているし、今ならカルロス様が納得すれば、解除できると思うわ。この停止だけじゃなくて、時戻り自体もね」
「時戻りも?」
「ええ。今までは、アンジェリーナの安全が確保できなかったから、私もカルロス様も、心から《時戻り》を解除したいと思えなくて……今回も、危なそうだけれど……」
テレーザは目を伏せたあと、アンジェリーナの腕に絡みついて、下から見上げるようにしてアンジェリーナを見つめた。
「でもきっと、今回は大丈夫よね。次回に回すよりはずっとマシなはずだわ。ラインハルト殿下も……あの青い人と黒い人もいるし」
「……ん?」
「アンジェリーナは、私のことが一番好きよね?」
「んん?」
「あんな青いのや黒いのじゃなくて、私が一番の友達よね? 親友だものね?」
上目遣いにアンジェリーナに擦り寄ってくる、小柄な天使。可愛い。可愛いが具現化している。愛の化身。
アンジェリーナは、その魅惑の視線に負けた。「そのとおりです……」と言わされ、テレーザは「よかった。アンジー、大好き」と嬉しそうにはにかんでいる。そのトドメの一撃に、アンジェリーナは血を吐くかと思った。可愛い。
「じゃあ、術を解除しましょう。術を終わらせれば、私とカルロス様はともかく、アンジーは秘宝の力から解放されるはずよ」
「二人はどうすれば解放されるの?」
「……青いのが、教えてくれればいいんだけど」
テレーザは、ジロリとオルトヴィーンを睨んだ。
仲が悪くなったものだ。アンジェリーナはそんな彼女に失笑する。
テレーザは、秘宝の小箱の上にある水晶に向かって語りかけた。
「カルロス様。もういいの。術を止めましょう」
ふわりと、小箱が金色の光を放った。
紫色の魔法陣が、アンジェリーナを中心に展開する。今まで何度も見てきたものと同じだった。
そして、その魔法陣は、ふわりと蒸発するように、掻き消えた。
「リーナ!」
「えっ、あ……ニック」
時が動き出し、慌てていた表情のニコラスは、キョトンと目を瞬くアンジェリーナと、その腕に絡みついているテレーザを見て、ため息をついた。
「……分かった、とにかく解決したんだな」
「あ……ご、ごめんなさい。心配させてしまって」
「本当だよ。気をつけろ、心臓が止まるかと思った」
コツンと額をこづかれて、アンジェリーナは頬を染めて額を空いている方の手で抑える。
そんなアンジェリーナを見て、青筋を立てたのは、一人ではなかった。
「アンジー! そんな人より、私の方が好きだものね? 一番の親友だものね?」
「えっ? そ、そうね?」
「アンジェリーナ、心配した。私が一番心配していたからな!」
「は、はい……」
「アンジェリーナ様、ご無事でよかった。不用意に先陣を切るのはおやめください」
「ごめんなさい……」
急に詰め寄られて、疑問符で一杯のアンジェリーナは、とりあえずその場しのぎの言葉を口にする。
「と、とにかく! カルロス様を秘宝から解放しましょう。ヴィー、どうしたらいいの?」
「それはですね……」
おもむろに手帳を開くオルトヴィーン。
そのボロボロに使い込まれた革の手帳に、アンジェリーナはクスリと笑った。
そして、その様子を眺めながら、ニコラスは扉の方に意識を向けて――。
「リーナ!」
「えっ……」
投擲された炎の刃で、視界が緋色に染まる。
宙をかけるそれは一つではなく、主にアンジェリーナとラインハルト第二王子に向かっていた。
アンジェリーナを庇うようにニコラスが立ちはだかったけれども、彼女に向かって投擲された刃の二本目で彼の防御魔法は砕け、三本目は起動を変えつつも、アンジェリーナに向かっていく。
(これは、だめですわ)
避けられない。
そう思ったアンジェリーナは、衝撃に備えて目をつぶろうとする。
しかし、そんな彼女の視界を、ダークブラウンの影がよぎって、アンジェリーナは目を見開いた。
赤色が、舞う。
「――テレーザ!」
鉄の匂いのするそれに、アンジェリーナは、悲鳴を上げた。