47 ループ♾
テレーザは、時戻りの度に記憶を失っていた。
カルロスも同様だった。
ただしテレーザには、カルロスと違って、ほんの少しだけ、記憶のカケラが残っていた。テレーザは、2年半、マルセルに教えてもらった闇魔法を週に一度使っていた。それにより、テレーザは軽度の闇魔法耐性を身につけていたのだ。
時が戻る前の罪の記憶のカケラは、心の奥に巣食うどうしようもない不安感として、テレーザを蝕んだ。
動いてはいけないという危惧。
だから、二回目の1ヶ月で、テレーザは何もしなかった。
カルロスに接触しなかった。
それなのに――。
「……どうして」
卒業式3日前。
テレーザは、秘宝の間に呼び出されていた。
秘宝の力で強制的に召喚されたテレーザとカルロスは、全てを思い出し、カルロスはそのまま、秘宝の真上に現れ出た金色の光を放つ水晶に吸い込まれてしまう。
そして、水晶の周りを衛星のように漂っている、紫色の宝石が、一つ。
「いやよ……何故なの……」
秘宝の間で一人になったテレーザは、前回自分がしたこと、再び囚われてしまったカルロス、何より逃げ出したはずの場所にいる自分に、蒼白になりながら震える。
血の気が引いた顔で、テレーザが秘宝の間の扉を開けると、扉の先は、無人ではなかった。
愉悦に歪んだ、ラピスラズリがそこに光っている。
「……オルクス、卿……」
「おや、これはよかった。どうやら全て思い出されたようですね」
台座の間、中央にある台座近くに侍るオルトヴィーンを、テレーザは恨みがましい目で睨みつけた。
「何をしたの」
「台座のところまで、扉の解除を進めただけですよ。今日は地図の用意がなかったのでどうしようかと思っていましたが、秘宝が反応したようで何よりです」
「……ちょっと待って。あなた、全て覚えているの」
テレーザの怯えを孕んだ声に、オルトヴィーンは唇を弓形に曲げ、愉しそうに微笑む。
「それぐらいの術は身につけていますから」
なんということだろう。
決してテレーザの味方ではないこの厄介な男は、時を戻る前の記憶を保持しているのだ。
術者であるテレーザとカルロスは、こうして秘宝に呼び出されるまで、全てを失っているというのに。
「ここまで侵入すると、秘宝の防衛装置が起動するようですね」
「……防衛装置?」
「かの秘宝はいまだ、起動中ですからね。術の起点となった時点から1日を経過するか、術者が術を解かない限りは、その動きを止めることはありません。術の起動中に秘宝の間に人が近づいたので、起動中の術を守るために、術者であるあなた方を召喚したのです」
「……! あ、あなたが近づかなければ!」
「おや。あなたはアンジェリーナ様をも見捨てるのですか?」
ギクリと身をこわばらせたテレーザに、オルトヴィーンは蔑んだ目を向ける。
「テレーザ=テトトロン。あなたは秘宝に呼び出され、全てを思い出したのでしょう。知らないとは言わせません」
オルトヴィーンは、逃げることを許さない。
「3日後の卒業パーティー。あなたは、何もしないつもりなのですか?」
目を塞ぐことを、この事態に蓋をすることを、許さない。
「カルロスを、ラインハルト殿下を見捨て、絶対に秘宝を壊すと言ったその口で、知らなければよかったと言い、――最後に親友を見捨てるのですか」
オルトヴィーンは決して、アンジェリーナを見捨てるテレーザを許さない。
その弱い心を逃さぬよう、怒りと共に目を光らせている。
つう、と涙を落としたテレーザに、オルトヴィーンは嗤った。
「傲慢無垢な公爵令嬢。王家の罪に最も近づいた独りよがりなあなたは、これからどうするんでしょうね」
それだけ言うと、オルトヴィーンはその場を去っていった。
テレーザは呆然と、その場に立ち尽くしていた。
もう何も、考えたくない。
こうして迎えた、二回目の卒業パーティー。
やはり、アンジェリーナは断罪され、白刃は振り上げられた。
時を戻す以外に、テレーザに、カルロスに、選択肢はなかった。
三回目の卒業パーティー。
パーティーの3日前に、オルトヴィーンはまたしても、秘宝の間の扉を開いていた。全てを思い出したテレーザは、再び絶望を味わい、その混乱のまま、卒業パーティーへと向かう。
しかし、そんな打ちひしがれたテレーザの目の前で、驚くべきことに、アンジェリーナはラインハルト第二王子に対する断罪返しを行ったのだ。
テレーザは、喜びに震えた。
アンジェリーナは、全てを覚えている。もしかしたら、アンジェリーナは自力で命の危機を回避するかもしれない。そうすれば、そこから1日、《時戻り》を起動させず、術を終結させてしまえばいい。
そして、四回目の1ヶ月。
アンジェリーナは、プリムローズ学園に来なくなった。
テレーザは彼女を心配して見舞いに行ったが、彼女は会ってもくれない。
そうして、卒業パーティー3日前、変わらずオルトヴィーンは扉を開いた。
全てを思い出したテレーザは、秘宝の間から、術の中心にいるアンジェリーナの様子を窺う。
部屋を出ることもなく、鬱々と過ごす彼女の様子がみてとれた。
家族に監視され、疑われる彼女の姿が――。
テレーザとカルロスは、時を戻した。
五回目の1ヶ月。
やはりアンジェリーナは、学園に来なくなった。
オルトヴィーンが扉を開き――なんてしつこい男だ――記憶を取り戻したテレーザはやはり、秘宝の間から、アンジェリーナの様子を窺う。
アンジェリーナは、意外と元気そうだった。
ふくふくと横に育った彼女は、美味しそうに限定スイーツや名産物を口にし、「美味しいですわ〜〜〜」と現実逃避をしている。その合間合間に、「私の体は銘菓でできている……」「体がプクプクですわ〜、今回《時戻り》がなかったら大変なことですわ〜」「誰も信じてくれないなんて酷いですわー!」と愚痴を挟んでいる。
オルトヴィーンは、記憶が戻ったテレーザとカルロスを見届けた後、秘宝の間から去っていった。彼が笑いを堪えて震えていたのは、テレーザを嘲笑していたからではなく、アンジェリーナの様子を見たからだろう。
テレーザは、自室でくだけた様子のアンジェリーナに、いけないものを見てしまった気持ちになりつつも、心がほぐれていくのが分かった。
ふと、自分が笑っていることに気がついて、テレーザは驚く。
驚いた拍子に、涙がポロリとこぼれ落ちた。一度こぼれてしまうと、それは止め処なく溢れてくる。
アンジェリーナはすごい。やっぱりすごい。
何も話していないのに、こんなにもテレーザの心を軽くしてくれる。なんてかけがえのない人なんだろう。
ぽろぽろと涙をこぼしているテレーザの脳裏に届いたのは、アンジェリーナの決意の声だった。
「わたくしは侯爵令嬢アンジェリーナ! こんなところで、めげてなるものですか!」
(そうよ。そうよね。アンジーはそういう子だもの。きっと、時間さえあれば、彼女なら、大丈夫……)
自然と頰が緩む中、アンジェリーナの周りに紫色の魔法陣が幾重にも重なりつつ、展開した。カルロスも、アンジェリーナを見ていたのだ。そして、きっと彼女を見て思ったことは、テレーザと同じはず。
そうして、テレーザはアンジェリーナを、祈るような思いで、次の1ヶ月へと送り出した。
六回目の1ヶ月。
彼女は、死んだ。
テレーザの大切な友人は、めげずに努力し、真実に近づきすぎたことで、命を落とした。そして、ラインハルト第二王子も亡くなった。
失ったものの大きさに、泣きくれる日々。
そして、そんな状況下でも、オルトヴィーンはやはり扉を開いた。
テレーザは、笑った。
王家の秘宝を手にしたことに、初めて喜びを感じた。
アンジェリーナを、取り戻せる。
その力に、これ以上ないほど感謝した。
アンジェリーナは、きっとテレーザを許さない。
彼女は全てを覚えている。時を遡っても、自分が殺されたことを覚えている。殺された理由、虎の尾を踏んでしまったその原因が、何も知らない彼女をこの1ヶ月に閉じ込めた術者にあることを、覚えている。
テレーザはきっともう、今までのように彼女の傍にいることはできない。
だけど、彼女を生き返らせることができる。
ならば、他のことはもう、構わない。
七回目の1ヶ月。
そして、八回目の1ヶ月。
アンジェリーナの横に、不要な男が現れた。
無意識に開き直ったテレーザが、最初の回と同様に、卒業前一ヶ月の時点でカルロスに話しかけたというのに、オルトヴィーンは卒業パーティー3日前にならないと扉を開いてくれなかった。
そうして、テレーザが何もできない間に、あの男はアンジェリーナの心に入り込んでしまったのだ。
テレーザはきっともう、アンジェリーナと共にいられないのに。
全てを隠して、彼女の傍で笑っていることは、テレーザにはできない。心が壊れてしまう。だけど、全てを知られたら、軽蔑され、嫌われてしまう……。
そんなテレーザの目の前で、アンジェリーナの信用を、信頼を、心を、一瞬で奪っていった余計な者がいる。
きっと、カルロスも同様に思ったのだろう。
テレーザが思ったタイミングで、《時戻り》の魔術は起動した。
あんな奴、あんなのは要らない。
アンジェリーナの傍にいて欲しくない。
だって、ずるい。
ずるすぎるではないか……。
だけど、アンジェリーナが、泣くから。
その、余計な男を助けるために、立ち向かっていたから。
どうしたらいいのか分からないけれど、テレーザはその男が大嫌いだったけれど、だけど。
テレーザは、アンジェリーナのために――。




