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46 追い詰められた先の決断




「テレーザ。お前に婚約話が上がっている」



 父の言葉に、テレーザは目の前が真っ暗になった。


 相手は当然、彼ではない。


 父は、公爵令嬢であるテレーザに相応しい縁をと思ったのだろう、世襲貴族の侯爵を数人、見繕っていた。


 世襲の侯爵とはすなわち、国の中でも重要地を収める貴族だ。地方官僚の上層を構成する者達。国における重要地の多くは、隣国との境界を守る辺境であり、世襲性の侯爵のほとんどは辺境伯と呼ばれている。

 その侯爵に嫁ぐということは、王都を離れるということを意味していた。


 王都にいられなくなる。

 彼にも、アンジェリーナにも、父にも兄弟達にも、会えなくなる……。


「お父様」

「なんだ?」

「私、嫌です」

「!?」


 テレーザを溺愛している父は、目を剥いて驚いた。

 テレーザは今まで、いたずらはしたものの、父の方針に異を唱えたことはなかったのだ。

 そんな彼女が、父に反抗している。


「男か」

「え?」

「テレーザ。相手は誰だ。正直に言いなさい。お父さんは怒らないから」


 目をギラギラさせて怒り爆発準備中な父に、テレーザはたじろぐ。彼女が想定していない反応だった。それに、相手とは……。

 彼のことが脳裏によぎり、テレーザはボフッと顔から湯気を出す。

 そんな彼女に、父のテレンス=テトトロン侯爵は真っ青になっていた。


「うちの娘によくも……!」

「あ、相手なんていません!」

「ああ、悪かったねテレーザ。うんうん、お友達なのかな。今誰のことを思い浮かべたのか、その馬の骨のことをお父さんに教えてくれるかい」

「馬の骨!?」


 父の勢いに驚きつつも、テレーザはなんとか、言いたいことを言葉にする。


「私、王都を離れたくないの。お父様達にも会えなくなるわ」

「テレーザ! なんて可愛い娘なんだ!!!」

「お父様苦しい! ……その、王都に近い方がいいから、世襲の侯爵以外の方がいいの。……一代伯爵とか……」

「一代伯爵!? そんな凡骨はだめだ」

「凡骨」

「テレーザ。お前は公爵令嬢だ。貴族最上級位の公爵の娘なんだよ。それは分かるかい」


 父の言葉にテレーザが頷くと、父は満足そうに微笑んだ。


「身分の違いは、時として悲劇を生む。生活の文化が異なるんだ。伴侶となる人と、生きる上での最低限度が異なるということは、とても大変なことなんだよ。食事へのこだわり、教育への熱、服装、使用人達の教育水準、会話をする上での配慮、発想力の方向性、目標の水準。若い時から最高水準の教育を受けてきたお前が、そういった環境の水準を下げて生きるということは、非常に難しく、覚悟のいることだ」

「……はい」

「それに、例えばね、テレーザ。一代伯爵にお前が嫁ぐとする。お前の伴侶は、官僚として国を支えるべく、働くだろう。その隣で、お前は何をするんだい?」

「え?」


 テレーザは、思わぬ質問に目を大きく見開く。

 そんな彼女に、父は優しく諭すように話を続けた。


「この国では、女性は基本的に官僚にはならない。女性で王宮に従事するのは侍女ぐらいだが、所詮は侍女なので、その成り手は基本的に子爵令嬢以下、たまに伯爵令嬢がいるくらいだね」

「はい」

「そうすると、屋敷を構えた一代伯爵の妻は、夫と同じように政治に関わることはできない。夫婦と子ども達で住むことができる程度の広さの屋敷を管理をするくらいだ。夫に領地があればそれを共に治めるが、一代伯爵にはそれもない。王都の流行を追いかけながら、夜会に参加し、コネクションを作り、小さな屋敷を管理する。それは、テレーザにとって役不足だと、私は思う」


 父の話にテレーザは愕然とする。


 王都にいたい。

 テレーザはそこまでは考えていたが、それ以上のことは考えたこともなかった。その必要性すら、彼女の頭の中にはなかった。

 彼女のことは、いつだって、父が考えてくれていたからだ。

 何も考えていなかった自分にも、無意識にそうやって甘えていた自分にも、テレーザは驚くと共に、落胆した。


 それから、彼女は学園で過ごしつつも、色々な人と交流するように心がけた。


 中級クラスのメンバーとも交流した。


 そして、学園がこの国の縮図となっていることに、ようやく気がついた。それを肌で感じるために、自分達が学園に通っていることを、ようやく心から理解したのだ。


 身分と成績で分けられたクラスに阻まれた生徒達。

 確かに、おおよそは理にかなったやり方だった。

 立場をわきまえ、世襲伯爵や世襲子爵となるべく研鑽を積んだ中級クラスの若者達は、どことなく特進クラスの令息達とは雰囲気が異なっていた。令嬢達も、さもありなん。

 しかし、一方で、自分の立場が本当に望んだものではないとき、彼らは苦しんでいるようだった。

 特に、本当は官僚になりたい、男性に頼らず身を立てたいと考えている令嬢は意外と多かった。


(どうして、私達の国では、女性が官僚や兵士として身を立てられないのかしら……)


 可能な限り自分でも調べてみたが、風土や伝統はもちろんのこと、魔法の普及率の低さが足を引っ張っていることに、テレーザは目を塞ぐことができなかった。


 事務職はまだしも、兵士となると、魔法騎士が存在する他国とは違い、男性に筋力で劣る女性が身を立てることは本当に難しい。


 魔法の普及を阻害するもの。


 ラインハルト第二王子が、マリアンヌとカルロスに渡さないよう、命を張っているそれ。


 しかし、そもそもそれがなければ、魔法が国内に普及し、ラインハルト第二王子を助けるための力が、このライトフット国にも備わっていた……?




 ――なんとかしようと思ってはいけません。正義感にかられて、大局を見失ってはいけませんよ。




 彼の言葉が、頭を駆け巡る。




 ――王家の秘宝があるからでしょうね。




 彼だって、王家の秘宝に否定的だった。

 そして、テレーザも同じ気持ちを抱いているはずだと、そう言ったのだ。


 テレーザが相談したら、彼はテレーザを止めるだろう。


(卒業して、結婚したら……私は王都にはいられない……)


 期限は迫っている。

 テレーザに選択肢があるのは、プリムローズ学園の卒業まで。


 テレーザは、自分の手を見た。


 小さくて頼りない手だ。

 この手の内、皮膚の下には、お父様の血は入っていない。


 薄汚い、裏切りの証なのかもしれない自分。


 そんなテレーザにだけ、できること……。





 卒業式前1ヶ月を切ったある日。



 テレーザは、アッシュグレーの彼に、声をかけた。



 全て知っていると。

 テレーザの言うことを聞くなら、彼らが第二王子にしたことを黙っていると迫った。


 そして、テレーザの要求の内容を知り、地図を見た彼は、意外なことに、テレーザを止めた。


「あなたは、自分が何を言っているのか分かっているのか!」

「あなたに言われたくはないわ」

「殿下が守っているものを……全て、台無しに」

「そんなことにはしない」


 テレーザの暗い瞳を見たカルロスは、息を呑む。


「秘密裏に、壊すの。知るのは、私とあなたと、オルクス卿だけよ。あなたがマリアンヌにこのことを漏らすなら、私は協力しないし、命を断つわ。私にも、その覚悟はある」

「……テレーザ、様……」

「あなたが私に協力しないなら、全てを明るみに出す。あなたとマリアンヌが第二王子にしたことを、みんなに……アンジェリーナに知らせるわ」

「私が今、あなたを手にかけるとは思わなかったのですか」

「私があなた達二人の所業を知っていること。それを知る第三者がいる」


 目を見開くカルロスに、テレーザは頬を緩める。

 きっと、テレーザが失敗しても、()がなんとかしてくれるだろう。何か積極的に行動を起こすことはないかもしれないけれども、悪い事態にならないよう、火消しはしてくれるに違いない。

 テレーザの表情を見て、カルロスはほんの少し、表情を和らげた。


「大切な方なのですね」

「……なに」

「秘密を知るその方は、あなたにとって、大切な方なのでしょう?」


 カッと顔を赤らめたテレーザに、カルロスはその長いまつ毛を伏せる。

 そうして、しばらく動かずにいた彼は、ゆっくりとまぶたを持ち上げ、テレーザを見た。


「私には、選択肢がないのでしょうね」

「そうよ」

「あなたを、信じてもいいのですか。秘宝を壊すという言葉は揺らぎませんか」

「ええ。それがどんなに素晴らしいものであってもね」


 そうして、青い顔をしたカルロスは、オルトヴィーン=オルクスの元へと向かった。


 オルトヴィーンは、テレーザに協力する一方で、彼女に対して怒りを感じているようであった。やりづらいこと、この上ない。


 しかし、目的さえ果たせばいいのだ。


 とにかく、それを壊してさえしまえば。




 そうやって、テレーザは自分を過信していたのだ。




 自分にだけは、全てを成し遂げる資格があると、思い込んでしまった。




 だから、卒業パーティーの3日前に、ようやく秘宝の間に辿り着き、最後の最後、愛を知る男女二人で――思い合っている必要はない――手にしなければならないという秘宝にカルロスと共に触れた時、まさか己が秘宝に拒絶されるとは、テレーザはつゆほども思っていなかったのだ。



『オマエは、王ではナイ』


『王子、ではナイ』


『王女、ではナイ』


『王兄、ではナイ』


『王弟、ではナイ』


『王姉でも、王妹でも、ナイ』


『儀式が、足リナイ』


『不義の子』


『王の血は、アル』


『――お前には、資格が、足り、ナイ』


『代ワり……代償ニ、血のナイ者、ヲ……』



 頭に鳴り響くその声と共に、カルロスは秘宝の真上に現れた水晶に、吸い込まれてしまった。


 そして、秘宝の周りには紫色の魔法陣が渦巻き始める。


 ――術が、起動を始めている。


 悲鳴をあげるテレーザに、オルトヴィーンだけが嗤っていた。


「あなたの万能感。若さゆえの、偏った正義。打ち砕かれたようで何よりです」


 術式渦巻く水晶に手を差し伸べると、テレーザの手が吸い込まれそうになり、「ひっ」と声を上げたテレーザは素早く手を引っ込める。


 ようやく、テレーザは気がついた。


 これは、テレーザの手に余るものだ。

 壊すことなど、彼女にはできない。


「あなた()()()に、なんとかできるものではありませんよ。操り人形、テレーザ=テトトロン」


 そうして嗤うラピスラズリの瞳の前から、テレーザは逃げ出した。


 カルロスを見捨て、ラインハルト第二王子を見捨て、彼女は逃げた。


 耳を塞ぎ、目を閉じて、自分のしたことから目を逸らした。


 彼には相談できない。

 きっと、呆れられてしまう。


 そうして、3日後。


 卒業パーティーの会場で、まさかの光景を見ることとなった。



「お前との婚約は破棄する! そして私はこの場をもって、心優しいマリアンヌと婚約する!」



 テレーザには分かった。


 ラインハルト第二王子は、断罪する素振りで、実のところ、彼の方こそ断罪されようとしているのだと。

 このような暴挙に出る己を排除しろと、最後の勝負に出ているのだ。


 けれども、アンジェリーナはそのことに全く気がついていない。

 突然の事態に青ざめつつも、毅然と立ち向かっている。


 しかし、事態はそれでは解決しないのだ。


 抑止力となるであろうカルロスは、秘宝に吸い込まれてしまった。


 オルトヴィーンは、柱の傍で、テレーザを見ている。


 彼は――マルセルは、動かなかった。


 なぜ、どうして。いや、彼は言っていたではないか。正義感にかられてなんとかしようとするなと。彼のスタンスは変わっていない。ただ、テレーザが、勝手に動いただけ――。


「うるさい!! こいつが悪いのだ、私に歯向かうのか!」


 ハッと気がつくと、焦れたラインハルト第二王子が、アンジェリーナに白刃を振り上げていた。


 テレーザの脳裏に、今までのことが走馬灯のように蘇る。


 王家の秘宝の地図。


 彼からの情報。


 学園での学び。


 己を過信して動いたこと。


 だけど、始まりは――。



『テレーザ』



 ずっと、一緒にいたかっただけだった。


 あの優しい声に囲まれたまま、ずっと過ごしていたかった。


 大好きな家族。


 お父様。お母様。


 そして、大切なお友達。


 今、彼女が危険に晒されていて――。



 ポロリと、涙と共に、呟きが落ちる。



「誰か、アンジェリーナを、助けて……」



 その瞬間、カルロスとテレーザの思考が一つになったように感じた。


 王家の秘宝は、テレーザを拒絶していた。

 彼女が正当な王家の秘宝の後継者ではなかったという不具合により、術者としての権限はテレーザとカルロスの二人に分たれ、それだけでなく、カルロスとの意思疎通ができないよう、彼を隠してしまった。


 しかし、そんな状況にもかかわらず、二人の術者の意思は一つの方向に向かい、解き放たれた。


 二人にとって大切な、一人の人間、アンジェリーナ。


 彼女を中心として、王家の秘宝は、歪な形で発動を始めたのだ。


 アンジェリーナを中心として魔法陣が展開していく。


 そして、時は1ヶ月前、テレーザがカルロスとオルトヴィーンに接触するより前に、遡った。



 そうして、中途半端な術者であったテレーザは、記憶を失うこととなったのだ。




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