44 出会い
あれから、テレーザは何も聞かなかったことにした。
テトトロン公爵邸でも、プリムローズ学園でも、いつもどおりの自分を演じた。
誰かに言うと、それが悪いこととして確定してしまいそうで、だから言葉にすることができなかった。
それに、そもそも誰に相談できるというのだろう。
父であるテレンス=テトトロン公爵には尋ねることなどできない。
なにしろ、父はテレーザの出生について知らないのかもしれないからだ。
テレーザが兄の子だと知っていて、あのように屈託なくテレーザのことを娘として愛することができるものだろうか。母に、あれだけ自然な笑顔を向けることができるものだろうか……。
この場合、母に聞くのが一番間違いはないだろうけれども、その母は亡くなっていて、テレーザの手の届くところにはもういない。
仲睦まじかった、テレーザの両親。
テレーザは、四人兄弟の中の三番目の子で、唯一の娘としてとても可愛がられてきた。
長兄は、父の子なのだろう。
では、次兄は?
弟は、どうなのか。
考えれば考えるほど、思考は暗礁に乗り上げてしまう。
だから、思考に蓋をした。
考えるのをやめたのだ。
考えることをやめ、聞かなかったことにした。
けれども……。
(胃がシクシクするわ……)
頭では忘れようとしているけれども、どうやら心がついてきていないようだった。
胃は痛むし、夜は眠れないし、何をしていても憂鬱に感じてしまう。
昼食を食べる手が止まってしまい、何度アンジェリーナに心配されたことか。
「テレーザ、ここのところ毎日様子がおかしいわ。今日こそ理由を吐いてもらうわよ」
「アンジーったら。本当に、なんでもないのよ」
「テレーザがなんでもないと思ってない時の癖が出ているもの」
「え!? そんな、癖だなんて……どんな癖なの?」
「教えたら隠すから秘密よ」
「……アンジー」
「そんな可愛い顔をしても……っ、ダメよ……っ!」
テレーザが肩を落としてアンジェリーナを見つめると、アンジェリーナは頰を染めながら必死に虚勢を張っている。
テレーザは背が低く、目も垂れ目がちで小動物のようなこぢんまりとした令嬢だ。上目遣いでおねだりすると、大抵の人はいうことを聞いてくれる。
しかし、親友のアンジェリーナは耐性があるのか、踏みとどまってしまったようだ。おねだりは失敗である。残念。
「テレーザ。わたくし、いつでも相談に乗るわよ」
「……ありがとう」
「そもそもね、テレーザは一人で思い詰めるタイプだから、悩んだときは誰かと一緒にいた方がいいわ」
「ええ? 私、そんなタイプかしら」
「そうよ。怒りも静かに溜めるタイプだもの。悩んでる時も思い詰めるに違いないわ」
「あら私、アンジーに対して怒ったことあったかしら……」
「あるわよ!? そしてその笑顔が怖いからやめて!」
アンジェリーナの怯えを孕んだその言葉に、テレーザは朗らかに笑う。なんだか自分でも久しぶりにちゃんと笑ったような気がして、はたと頰に手をやった。
そんなテレーザを見て、アンジェリーナは柔らかく微笑んだ。
「やっぱりテレーザは笑っている方がいいわ。わたくし、そっちの方が好きよ」
「私、いつも笑ってると思うけれど」
「貴族的な仮面の笑顔は笑っているうちに含めません」
「手厳しいのね」
「厳しく感じるの? じゃあ普段からもっと笑わせないといけないわね」
「ふぅん。どうするつもりなの?」
「お腹をくすぐるとか」
「物理的……」
二人でクスクス笑いながら、その日はなんだか、そこから楽しく昼食をとることができた。
テレーザは思う。アンジェリーナは、やっぱりすごい。
けれども、テレーザの気持ちは、完全に浮上した訳ではなかった。
上手く食事が喉を通らない日々が続いていた。
そんな中、ある日、彼が声をかけてくれたのだ。
「落ち込んだ時には、良いおまじないがあるんですよ」
彼は、アンジェリーナの幼馴染の一人だった。王宮で訓練を受けていた彼と、王子妃教育を受けるアンジェリーナは、頻繁に顔を合わせる仲だったようだ。
テレーザは王弟の娘とはいえ、そんなに頻繁に王宮に行く訳ではなかったので、彼との面識は少なかった。
だから、彼とよく話をするようになったのは、学園で同じクラスに配属されてからのことだった。
「テレーザ様、どうされましたか。顔色が悪いです」
彼と初めて二人きりで話をしたのは、テレーザが学園の渡り廊下でふらつき、柱に寄りかかっているところを、彼に発見されたときだった。
胃がシクシクと痛む上に、あまり食事をとれていなかったテレーザは、貧血によりふらついていたのだ。
青い顔でテレーザが顔を上げると、炎のような赤い髪が目に映った。
心配そうなオレンジの瞳が、こちらをみている……。
「大丈夫ですわ」
「そんな様子には見えません。保健室に行きましょう」
「だめです」
静かだけれども、強い拒絶を示す声音に、彼は驚いたようだった。
テレーザは、小柄で弱々しい見た目と柔らかい笑顔により、あまり強い意思を持たないと思われがちだった。彼もそのように思っていたのだろう。生意気に思われたかもしれないと、テレーザは心の中で自嘲する。
「保健室へ行かなくとも問題ありません」
「……ですが」
「ありがとうございます。もう平気ですわ。行くところがおありなのでしょう? お忙しい中お気遣い感謝いたします」
ふわりと笑うテレーザに、彼は困ったような顔をした後、周りを見渡し、ふうと息を吐いた。
「テレーザ様。では、せめてこちらのベンチへ」
「大丈夫ですわ。お構いなく」
「……あなたは意外と芯がお強い」
体調の悪さから、上手い返しが思いつかないテレーザは、なんとか愛想笑いを浮かべ、すぐに目を逸らす。
彼はもう一度ため息をついた。
流石に呆れられてしまったか。
そう俯いたところで、テレーザはふわりと宙を舞う自分の体に気がついた。
「きゃあ!」
「失礼。あそこのベンチまで運びます」
「離してください!」
「申し訳ありません。体調を崩した令嬢を放っておくのは騎士道に反しますから」
自分を軽々と抱き上げた高身長の彼にそう言われて、テレーザはようやく、彼が王宮兵士を目指していたことを思い出す。
普段から鍛えている彼に、テレーザが敵うはずもないので、彼女は諦めて大人しくベンチに運ばれた。
そんな彼女に、彼はクスリと笑った。
「状況判断が早いのですね」
「無駄なことはしない主義なんです」
「正しい生き方だ」
そう穏やかに笑う彼は、アンジェリーナから聞く彼の様子とは少し違うように思えた。
戦い以外に関して穏やかで、素直で愚直で――。
そう聞いていたけれども、テレーザの目には、もっと思慮深い何かが見え隠れしている。
そんな彼から、テレーザはなんだか、目を離すことができなかった。




