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43 血の証



「テレーザ」



 テレーザは、自分を呼ぶその声がとても好きだった。


 いつだって、テレーザのことをそう呼ぶ声は優しい。


 テレーザが8歳の時に病で亡くなったお母様。


 お母様が亡くなってからずっと、男で一人で――使用人達はいたけれども――テレーザを含む子ども達を育ててくれた、お父様。


 それに、王宮のお茶会で出会ったお友達。

 従兄弟のラインハルト第二王子の婚約者である彼女は、いつだってテレーザを見ると、嬉しそうに微笑んで、声をかけてくれる。


 テレーザは幸せだった。


 テレーザが15歳になり、学園に入学して間もなかったあの日、お父様がお兄様と話をしているところを見てしまうまでは。




****





 あの日は、お父様が、長兄のティモンお兄様だけを執務室に呼び出した。


 お父様が、子ども達全員に対してではなく、お兄様一人だけを呼び出すのは珍しい。

 それだけでなく、お父様は、廊下を一人で歩いているティモンお兄様に、こっそり声をかけて、執務室に連れて行ったのだ。


 ちょうど部屋から出ようとしていたテレーザだけが、そのときの二人の密会に気がついた。


 ちょっとしたいたずら心だったのだ。


 お父様の執務室の真上の部屋から床下に入り、天上裏からこっそり覗き見をした。


 あとでお兄様に、話を聞いていたと、そう告げて、叱られるつもりだったのだ。



「――王家の秘宝」



 テレーザは、聞こえてきた声に、ビクリと体を震わせる。


「そうだ、ティモン。これが、王家の秘宝の場所を指し示す地図だ」


 すぐに、これは聞いてはいけない話だと、テレーザは気がついた。


 しかし、動くことができない。


 聞いてはいけないのに、惹かれるままに、その場にうずくまってしまう。


「ほんの少しでいい。血を空気に触れさせるんだ。そして、呪文を唱える。そうすると、このように地図が現れる」

「わ、私の血も……?」

「いや。これは、ライトフット国王と、その2親等以内の親族に与えられるものだ。甥のお前は3親等の親族だから無理だろう」

「……やってみます」


 テレーザは、昔作った覗き穴から、室内の様子を覗き見る。

 すると、ティモンお兄様が、指の腹をナイフで薄く切り、そこから出た血に向かって、『時の流れに打ち勝つもの、継がれしものを映せ』と唱えている姿が見えた。しかし、特に何も起こらない。

 残念そうな様子のティモンお兄様に、お父様は失笑する。


「やたらと地図が広まっても困る。地図のために、お前が誘拐でもされても堪らないしな」

「父様。私は誘拐されるほどやわではありません」

「それもそうか」


 お父様は、笑いながら、小さな小瓶を差し出した。

 本当に小さな、親指サイズの小瓶だ。

 その中に、赤黒い液体がほんの少し入っている。


「これは、私の血だ」

「……父様、それは」

「この瓶を持って、呪文を唱えてみろ」


 青い顔をしたお兄様が、小瓶を手に、再度呪文を唱える。

 すると、小瓶が金色に光り輝き、その真上に羊皮紙の映像が映し出された。金色の羽ペンの幻が、羊皮紙の上に地図を書き表していく。


「これをティモン、お前に預ける」

「で、ですが、それは」

「あくまでも保険だ。だが、今の国王は……兄さんは、危うい。何をしでかすか分からない、無茶なところが目立つ。抑止力が欲しい」

「抑止力……ですか」

「そうだ。我が国の強みと王族の後ろ盾は、王家の秘宝の存在だ。そして、その在処を示す地図」


 そう言いながら、お父様は、息子の手にある小瓶を見つめる。


「その地図は、兄さんが国王である限り使うことができる。代替わりするまでのお守りにすぎないが、私に何かあった時にはティモン、頼むぞ」

「父様! 父様に何かだなんて……」

「もちろん用心はするが。今の兄さんに苦言を呈することができるのは、私くらいだ。何があるか分からない」

「父様。そんなに状況は悪いのですか」

「……いや、念のためだよ。用心は必要だろう」


 そう言うと、お父様はティモンお兄様の頭を撫でた。


「ティモン。私はお前を信用している」

「……父様」

「親の欲目もあるだろうが……お前は真面目だし、誠実に生きたいと願っているいい子に育った。そしてそれだけでは、この小瓶は渡せない。分かるか」

「はい」

「正義を貫くだけでは駄目なのだ。己の正義に従うということは、実のところ簡単で楽なことだ。けれども、人はみな、それぞれに己の正義を持っていて、それが全て合致するとは限らない。我々統治者は、それを理解した上で、何を選び取るのか決断しなくてはならない」

「……決断」

「そうだ。そしてそのためには、世を生きるため、みなの幸せのために、場の最善を考えることができる柔軟さが何よりも必要だ。そしてその素養が、お前にはあると思っている。……受け取ってくれるな?」


 お父様のまっすぐな期待を、ティモンお兄様は受け取った。少しの間、逡巡していたものの、最後にはしっかりと頷いて、小瓶を握りしめた。


「父様の期待を裏切らないと誓います」

「うん。……お前が第一王子であればと、いつもため息が止まらないよ」

「父様、それは流石に親の欲目です」

「今の第一王子。あれはだめだ」

「……父様」

「兄さんよりはまともだが、支える周りの苦労は絶えないだろう。いや、ある意味いい王になるのかもしれないが……。お前には沢山のものを背負わせてしまって申し訳ない」

「……第二王子はまともではありませんか。ラインハルトはいいやつですよ」

「そうだったな。そういえば、お前達は仲が良かったんだったな」

「ラインハルトだけは、うちによく遊びに来ますからね。気取らないし、自分をよく知っている。――あれは良い施政者になりますよ」

「……そうだな。あれが第一王子であればよかったんだが」


 深いため息をついたお父様に、ティモンお兄様は失笑する。


 そんな様子を見だ後、テレーザはそっと天井裏から離れた。


 ……大変なことを聞いてしまった。


 心臓が早鐘のように打っているのに、手が冷えていく。


 テレーザは、その背徳感と罪の意識で焦りながらも、埃をはたいて床下への扉を元に戻し、早足で自室へと戻った。

 なんとなくソワソワして落ち着かず、部屋を見渡していると、ふと、手紙を開けるためのペーパーナイフが目に入る。

 ペーパーナイフは、刃先を研がれてはいないけれども、少し血を出すくらいの傷を作るだけなら……。


 テレーザは、震える手で、そのナイフを手に取り、きっさきで指を傷つけてほんの少し血を出すことに成功した。


 出来心だったのだ。


 だって、ティモンお兄様だってやっていた。


 ほんの少し試したくなっただけ。



「『時の流れに打ち勝つもの、継がれしものを映せ』」



 傷口が、ふわりと金色の光を放った。


 ところどころ虹色に光る羊皮紙の映像が現れて、金色の羽ペンが地図を描いていく――。


「やめて!」


 テレーザが叫ぶと、その羊皮紙はくるりと巻物のように丸まり、テレーザの傷口の光にとぷんと吸い込まれ、光自体も収束した。

 後に残されたのは、自室の机の前の椅子に座った、呆然としたテレーザだけだった。


「ど、どうして……」


 ――これは、ライトフット国王と、その2親等以内の親族に与えられるものだ。甥のお前は3親等の親族だから無理だろう。


 お父様の言葉が、脳裏を駆け巡る。

 実際に、長兄のティモンお兄様の血からは、地図は現れなかった。


 けれども、テレーザの血からは。


「私……お父様の子ではないの……?」


 テレーザは、お父様の子どもではない。

 それだけではなく、本当の父親は……。


『テレーザ』


 テレーザをそう呼ぶ、記憶の中の優しい母の声が、今は鋭い刃物のようにテレーザの心に突き刺さった。




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