37 留学の理由(後編)
「ほんの様子見で、一ヶ月程度の短期留学つもりだったんだけどなぁ」
8回目の《時戻り》により始まった、9回目の一ヶ月の初日。
アンジェリーナが飛び込んできた隠れ家の一つで、ニコラスとアンジェリーナ、それにジェフリーの三人は、木でできた簡素な食卓を囲み、朝食をとっていた。
「ニコの留学も、随分長くなったもんだ。時戻り8回目だから、今九ヶ月目の留学生活か。どうりで俺も、侍従業が板についてきたはずだ。俺の本職は暗部なんだけどな……」
「ジェフリーはまだいいだろ。俺なんか、ループするたびに周りの学生達がプリムローズ学園のことを紹介してくるんだぞ。知らないフリをするのも疲れた」
「あー、それはキツイな。善意の行動だけに断りにくいしなぁ……」
「どこかのリーナが引きこもらなければ、二ヶ月くらい短くなったんじゃないか」
「ちょっと、わたくしを責める話し合いなの、これ!?」
ケラケラ笑うニコラスとジェフリーに、アンジェリーナは涙目で抗議する。
そうやって文句を言いながらも、アンジェリーナはずっとドキドキと胸を高鳴らせていた。
ニコラスはいつもと違い、学生服ではなく、グレーのシャツに黒いスラックスを着ていた。朝ということもあってくつろいでいるのか、第二ボタンまで開いたシャツの合間から鎖骨が見えたりして、妙な色気を醸し出している。どうして彼に抱きついていて平気だったのか、アンジェリーナは先程までの自分が不思議でしょうがない。
しかも、なんだか今までと違って、目が合うたびに蕩けそうな顔でアンジェリーナに微笑みかけるのだ。
その度にアンジェリーナは顔に熱が集まってしまい、ジェフリーを見て助けを求め、ジェフリーが目を逸らすというループである。
(『ループ』はもうお腹いっぱいなのに!)
「それで、そろそろちゃんと説明してちょうだい」
珈琲を一口飲み、カップを置いたアンジェリーナは、まだ食パンを食べているニコラスと、目玉焼きを突いているジェフリーに尋ねる。
「どうしてカルロス様がマリアンヌのひ孫で、《時戻り》の術者だって分かりましたの?」
****
前回の一ヶ月。
ニコラスが刺され、マリアンヌを呼び出したあの時、ニコラスとジェフリーはそれをネタに、マリアンヌと交渉したのだ。
なお、交渉相手のマリアンヌよりも度肝を抜かれたアンジェリーナは、必死に、全て知っているような顔をして震えていた。(絶対に次の一ヶ月で詰め寄ってやりますわ!)と心に固く誓いながら、静かにその場の雰囲気に流されていたのである。
『おそらくあんたの孫が、王家の秘宝を使って《時戻り》の魔術を繰り返している』
『……それで?』
『俺とアンジェリーナは、時を戻る前の記憶を全て残している。あんたがここで助けてくれるなら、恩に着るよ』
『へぇ。あんたが私に、何をできるっていうの』
『あんたのひ孫の救出と、ライトフットへの嫌がらせだ』
ピクリと反応したマリアンヌに、ニコラスは言葉を続けようとして、喉を詰まらせ、咳き込んだ。
血を吐くニコラスに、アンジェリーナは悲鳴をあげ、ジェフリーが青い顔をしながらも口を開く。
『水と癒しの魔女マリー。ライトフット王国を根城とするあんたは、50年前に姿を消した。表舞台にも、世界樹の根元にも現れなくなった。――50年前といえば、ライトフット王国で呪いの魔道具が暴走した時期だ。そしてそのとき、カルロス=カーペンターの曽祖父であるカーティス=カーペンター侯爵が命を落とし、その妻マリアルージュ=カーペンター侯爵夫人は行方不明となっている。悪いが調べさせてもらったよ』
『へえ。随分手慣れているじゃない』
『それが本職なんでね。……あんたのやり口は、魔女の秘宝という大それた手段を使う割に、効果が薄い。第二王子に不貞を働かせてどうする? 第二王子の婚約者の家は、別に大派閥に属する貴族ということもない。王家としては、魔女に捕まった第二王子を切り捨ててなかったことにするだけだ。――それでも、あんたは実行した。そこに見えてくるもの――強い《恨み》と《嫌がらせ》だ」
底冷えするような瞳で見据えるマリアンヌに、ジェフリーは肩をすくめる。
アンジェリーナは、そんな二人を見上げながら、ニコラス横たわるソファの傍らで、彼の手を握りしめていた。
『魔女の力を全て使えば、王家を断絶させたり、乗っ取ったりすることも簡単だ。特にこのライトフット王国は、魔法防衛力に欠けることで有名だからな。あんたの手にかかれば、王家滅亡なんて片手間みたいなもんだろう。……だけど、そんなことをしたら他の魔女や世界樹の精霊が黙っていない。だから、あんたにできることは嫌がらせくらいだった。そして、そのくらいのことしかできないのなら、普通はそこで諦めるもんだ』
『――けど、あんたは諦めなかった』
『ニコ! もう喋るな』
口を開いたニコラスに、ジェフリーが非難の声を上げる。
マリアンヌは口を閉ざしたまま、ニコラスにその鋭利な瞳を向けた。
『ならばそれが、あんたが何をおいてもやりたいことなんだ。それに協力する』
『どうやって?』
『王家の秘宝を、破壊する』
(……!)
アンジェリーナは、その言葉に息を呑む。
彼女は、《時戻り》の術を止めることまでは考えていたけれども、その先には考えが及んでいなかった。
国王に闇に葬るように進言したけれども、自分達が、国の上層部の意思を問うことなく勝手に破壊することは想定していなかった。
ニコラスの提案の後、マリアンヌとニコラスは、しばらく睨み合っていた。
ふと、マリアンヌが失笑する。
『それができる保証はないわね。それに、あんた達が私に助けられた後、恩を返す保証だってないわ。今の話が本当だとして、私は次の一ヶ月、今日この日の記憶を失っているってことでしょう』
『今あんたが助けてくれたら、俺達は裏切らないし、必ず恩義を返す。それだけのアキレス腱を、今見せているはずだ』
マリアンヌは、目の前にいる三者をゆっくりと眺めた。
今にも失血死しそうな様子のニコラス。
裏社会を思わせる風情のジェフリー。
真っ赤に目を腫らしているアンジェリーナ。
そして、大きくため息をついた。
『……確かに、その娘に執着していなければ、私を呼ぶ必要なんてなかったものね』
『……?』
『本当、無自覚で小憎たらしい娘だわ。これに引っかかるなんて、あの子も全く……』
マリアンヌに睨みつけられて、アンジェリーナはビクリと肩を震わせる。
そんなアンジェリーナに満足したのか、マリアンヌはニタリと笑った。
『いいでしょう。最低限の情報収集能力はあるようだし、情に脆そうなあたり、気に入ったわ。ここで恩を売っておくのも悪くないでしょう』
そう言って、マリアンヌは、ニコラス達に協力してくれたのだ。
****
アンジェリーナの疑問に、ニコラスは首を傾げる。
「マリアンヌとカルロスの関係は簡単だろう? あの二人、目元がそっくりじゃないか」
「えぇ……?」
「あとは、前回のラインハルトが教えてくれた」
「あっ、あれもわたくし、分からなかったんですのよ!?」
「裏切り者の話をしたとき、まつ毛に何度も触れていただろう?」
「……!! い、言われてみれば……!」
アンジェリーナは、ラインハルト第二王子の目にゴミが入ったのだと思っていた。
心配して、「目が痛いんですか? 大丈夫ですか?」と聞いたとき、そういえばラインハルト第二王子は微妙な顔をしていたし、ニコラスは腹を抱えて笑っていた。
(全然気がつかなくて本当に申し訳ありませんわ……!)
恥ずかしいやら申し訳ないやらで真っ青になっているアンジェリーナに、ニコラスとジェフリーは肩を震わせてくつくつ笑っている。
「だから、プリムローズ学園に入れないジェフリーに、カルロスの家のことを調査してもらってたんだよ」
「学園に入れない?」
「そうなんだよ、リーナちゃん。ライトフット王国の王都にある主要な施設って、結界魔法だけは強固なんだ。王宮もプリムローズ学園も王宮図書館も王立博物館も、正門以外からの侵入ができない仕様になってる。俺達二人が王宮に侵入するのも大変だったんだよ」
「こういうところ、『王都に秘宝が眠っていますよー』って漏らすようなもんだと思うんだけどなあ。初代ライトフット国王なぁ……」
「……」
ライトフット王国民として申し訳ない気持ちになったアンジェリーナは、眉をハの字にしつつも、話題を変える。
「それで、術者の正体は?」
「オルトヴィーン=オルクスが教えてくれたから」
「ヴィーが!? ニックはヴィーとそんなに仲がいいんですの!?」
「いや、リーナがもらった宿題の話だぞ? リーナはサボってたけど」
「なんの話よ!」
「ニコ。リーナちゃんは探偵作業は得意じゃないみたいなんだから、ちゃんと説明してやれって」
「いいんだよ、ジェフ。リーナはこうやっていじると喜ぶんだから……」
「なんの話よ!!?」
「ほら、元気いっぱいになって可愛いだろ?」
クハッと笑うニコラスに、可愛いと言われたアンジェリーナは涙目でワナワナと震えている。
そんな二人の様子に、ジェフリーはため息をつきながら、「好きな子をいじめると嫌われるからな」と呟いた。
ニコラスは珈琲を飲みながら、アンジェリーナに問いかける。
「リーナはさ、前々回、リーナがオルトヴィーンに接触したとき、奴が言ったことを覚えているか?」
「……覚えているけれど」
アンジェリーナは思い返す。
あの時、オルトヴィーンはなんと言っていた?
「『私はアンジェリーナ様には甘いと思いますよ』?」
「もう少し前だな」
「『入荷先との約束』」
「うん。それで、奴はいつ謎を入荷したって?」
「いつ……?」
『二週間前に、いい素材を入荷したんですよ』
オルトヴィーンの笑顔と共に、その言葉が蘇る。
「……ヴィーに話を聞いたのは、ループの起点から三週間目だったわ……」
「そうだ。だから、『二週間前』ってのは、《時戻り》直後の一週間目のことだな。だから、俺は《時戻り》した後の一週間、オルトヴィーンを見張ってた」
アンジェリーナは、言われた言葉を頭の中で反芻する。
(わたくしの集めてきた情報を元に、有益な情報を入手した。いうことは、つまり)
――わたくしは役立たずですわー!
「わたくし、役に立っていたんじゃない!!」
「ようやく気がついたか」
「わ、わたくしのこと、役立たずって言ったくせに!」
「それはリーナが自分で言ってただけだろ? 俺は期待してなかったって言っただけだ。成果を上げてくるとは正直驚きだった」
「驚くだけじゃなくて、成果を上げたことをわたくしに教えて褒め称えなさいよ!」
「自分で気がついてもいないのに褒めるのはなぁ」
「なんでそんなに、むやみに意地悪するんですの!」
アンジェリーナが不満いっぱいに睨みつけると、ニコラスは溶けそうな笑顔でアンジェリーナの頭をぐりぐり撫でながら、「リーナは本当にすごいよ」と賞賛した。
アンジェリーナは、やはり不満でいっぱいだった。
そんなふうに愛しむような顔で褒められたら、アンジェリーナの心臓が止まってしまうではないか。褒めるふりをして意地悪をするのはやめてほしい。さっきまでしていた話だって忘れてしまうし、ニコラスの顔を見ることすら難しくなってしまう。撫でてくれた手が自分より大きくて無骨だなとか、色々記憶に刻んでしまう。
というか、今日のニコラスは本当に様子がおかしいのだ。
彼は普段からよくアンジェリーナをからかっていたけれども、今日は本当に目線も仕草も甘々で、声まで優しい。これはいわゆる、付き合いたての恋人にするような態度なのではないだろうか。アンジェリーナには恋人がいたことがないため、よく分からないけれども、そんな気がする!
ジェフリーは、二人の様子を見ながら、崖から飛び降りるような顔をして口を挟んだ。
「お熱いところを邪魔して悪いんだが……」
「何の話ですの!!!」
「リーナちゃんは、オルトヴィーン卿と幼馴染なんだろう? ニコが指摘しなかった理由はそれだよ」
「……?」
「ここまで言って気がつかないなら、別に隠さなくてもよかったかもな」
「ニコ、やめなさい」
「……え? な、なんですの、何のことですの!」
「『私はアンジェリーナ様には甘いと思いますよ』」
かつてのオルトヴィーンのセリフに、アンジェリーナは困惑したままニコラスを見る。
「オルトヴィーン=オルクス。多分あいつ、この九ヶ月のこと、全部覚えてるぞ」
「ええ!? で、でもヴィーの得意魔法属性は光で……!」
「この世の謎解きに闇魔法は必須だから、そこそこ使いこなしてるだろうよ。全部分かっててヒントだけ出して高みの見物って訳だ」
「リーナちゃんは、あの時点でオルトヴィーン卿が全部覚えてるって分かったら、ほぼ初対面のニコじゃなくて幼馴染のオルトヴィーン卿を頼ったんじゃないか? そうなると、こっちは情報源がなくなるからなぁ。悪いね」
「……そんな、こと……」
あの時点でオルトヴィーンが全て覚えていると分かったら、アンジェリーナはどうしただろうか。
動きが止まったアンジェリーナに、ニコラスは珍しく不満げな、拗ねたような顔をして、ふいとそっぽを向く。
「あの野郎、本当にいけすかねーな」
「だからニコ、やめなさい」
「じーさんもリーナも、あんなのに甘すぎなんだよ。ジェフリーまで肩を持つのか?」
「おいおい俺に縋るのはやめろ、そういうのはリーナちゃんにだけやってくれ」
「ジェフリーさん!?」
突然の流れ弾に、アンジェリーナは目を剥く。
それはそれとして、アンジェリーナは不思議に思った。
「ニックはヴィーと知り合いなの?」
「知らないし話をしたこともない」
「……ニックの知り合いの『じーさん』様と、ヴィーが、知り合い?」
「リーナもそんなにオルトヴィーンが気になるのか?」
「気にしてるのはニックのことだけど」
「この男たらし」
「だから! 一体、何のことですの!?」
頭を抱え、「この保育園もう無理」と呟いたジェフリーは、ぐい、と珈琲を一気に飲み干すと、話をまとめにかかった。
「とにかく、リーナちゃんはこれからどうしたいんだ」
「……これから」
アンジェリーナは、頭の中を整理する。
男爵令嬢マリアンヌ=マーブル。その正体は魔女マリーで、ライトフット王国又は王家に恨みを抱き、嫌がらせのために第二王子を魅了魔法の支配下に置いている。カルロスの曽祖母。
ラインハルト第二王子。魔女マリーの魅力魔法の支配下にあるけれども、本心ではアンジェリーナの味方でいてくれている幼馴染で、婚約者。
オルトヴィーン=オルクス。オルクス侯爵家の息子で、謎解きに人生を捧げている。アンジェリーナの幼馴染で、謎解きに支障がない範囲なら、アンジェリーナの助けをしてくれる。多分、王家の秘宝の場所を解き明かしたのは彼。
カルロス=カーペンター。宰相であるカーペンター侯爵の息子で、ラインハルト第二王子の側近候補。第二王子が魔女マリーの魅了魔法にかかるよう手引きした疑いあり。そして何より、オルトヴィーンの力を借り、王家の秘宝を手にし、《時戻り》の術者となった可能性が高い。
ライトフット国王。おそらく暗部の力で、《時戻り》前の情報を入手している。王家の秘宝を入手するため、ここからは手段を選ばない可能性がある。前回のアンジェリーナの無礼を忘れていない。
……。
「わ、わたくしの平穏な日常はどこ? どこにありますの?」
「国を捨てるならニコが支援するよ、リーナちゃん」
「おいジェフリー、勝手なこと言うなよ」
「リーナちゃんは第二王子の婚約者で、王家の秘宝の秘密を知った侯爵令嬢だぞ。お前のフィリーちゃんのコネぐらい使わないと、リーナちゃんの身柄は無事でも、ライトフット国王の恨みを買ったアンダーソン侯爵家が断絶だ」
「断絶!?」
「コネを使うのは構わないけど、リーナはそんなことしないさ」
あっけらかんと言われ、情報過多で目が回りそうなアンジェリーナは、とりあえずニコラスの話を聞くことにする。
「リーナはラインハルトを見捨てるようなやつじゃない。そうだろ?」
ニコラスはさも当然だと言わんばかりの表情で、アンジェリーナの方を見る。
アンジェリーナは、その言葉に、その信頼に、ふと笑みがこぼれた。
沢山迷うことはあるけれども、確かに、アンジェリーナの中にラインハルトを置いて逃げるという選択肢はどこにもなかった。そしてそれを、他の誰でもなく彼が信じていてくれたことが、どうしようもなく嬉しい。
「もちろんですわ。わたくし、そんな非情な女ではありませんもの」
「情に脆すぎる気はするけどな。オルトヴィーンが色々隠してることだって、大して怒ってないんだろ?」
「ちょっと、ここは格好良い侯爵令嬢だって褒めるところじゃありませんの!? 大体、それを言うならニックだってなによ、フィリーちゃんフィリーちゃんて随分仲がいいじゃない」
「いや、俺は何も言ってないだろう。ジェフリーが勝手に……」
「いや待て、俺を巻き込むな! 頼むからさ!」
涙目で叫んだジェフリーに、残りの二人は耐えきれなくなったようにケラケラ笑い出す。
「わたくし、何が正解か、まだ分かりませんわ。だけど、やりたいことは分かっていますわ」
アンジェリーナは、自分の手の平を見つめる。
小さくて、頼りない手だ。
けれども、これから多くのことをこの手で成していかなくてはならない。
ラインハルトも、オルトヴィーンだって、アンジェリーナを待っていると言っていたのだから。
「王家の秘宝――《時戻り》の魔道具。あれを壊しましょう」
「……ライトフット王国民のリーナはそれでいいんだな?」
「いいのよ。今回は結果的に、何度も助けてもらったけれど……わたくし達人間に扱い切れる力とは思えないもの。濫用される未来しかみえないわ」
最初の卒業パーティーで、アンジェリーナは《時戻り》に助けられた。
とはいえ、実際にはラインハルト第二王子はアンジェリーナを本当に斬りつけるつもりはなく、ニコラスも彼女を白刃から守っていたため、《時戻り》が起こらなくとも命の別状まではなかったというのが実際のところだ。それに、《時戻り》はアンジェリーナの意思に関係なく起こっているため、彼女にとっては便利な技術というよりも、この一ヶ月に閉じ込められてしまったという感覚の方が強い。
では、術者として《時戻り》の魔術を考えた時は、どうだろうか。
自由意思に基づいて時を戻すことができ、昔に戻って何度でも事態に挑戦することを可能とする魔道具。
人の死すら超越するそれにリスクはないとも思えないが、例えリスクがなかったとして、それを上手く扱い切れる者は存在するのか。
(少なくとも、ライトフット王国にその器量はないと断言できますわ……)
《時戻り》の魔道具を扱い切れる器量がある王国は、おそらくそんな魔術に頼らなくてもやっていける国だ。
こんな小さな王国に、そのような度量があるとも思えない。
(秘宝を手にした瞬間、イキって諸国を敵に回して自滅するに違いありませんわ!)
アンジェリーナは侯爵令嬢で、ライトフット王国民としての誇りはあるけれども、だからといって自国に素晴らしい政治力があるとはカケラも思っていないのである。
それに何より、アンジェリーナには確信がある。
「わたくし今回、全力で《時戻り》を発動させようとしましたわ。ニックの命がかかっていたから」
「……そうか」
「命を救うことができる魔道具。同じようにするのは、わたくしだけじゃないはずよ。手に入れれば、大切な人を蘇らせることだってできるかもしれない――そう思ったら、人はきっと、なりふり構わなくなるわ。きっと、戦争の火種になる……」
目を伏せたアンジェリーナに、ニコラスとジェフリーは神妙にする。
静まり返った室内に、アンジェリーナは居心地が悪くなり、そんな空気を払拭しようとあえて明るい声を出した。
「こんな大それたもの、うちの国ごときで扱えるものではありませんわ。術を解除して、その後、こっそり壊してしまいましょう。マリアンヌさんにも約束しましたしね」
「リーナちゃん。ライトフット王国は国家防衛を、王家の秘宝があるっていう事実にベッタリ頼ってきたんだ。それでも秘宝を破壊していいんだね」
「…………。い、い、いいんです。壊したことが他国に漏れなければ問題ないでしょう!?」
「リーナ」
「何よ!」
「俺達、他国の暗部の人間なんだけど」
「……」
アンジェリーナは目を見開く。
真っ赤な顔をして、次いで、頬を膨らませてプルプル震えだした。
「漏洩……するの……」
ニコラスとジェフリーは爆笑した。
アンジェリーナは、悔しさで胸がいっぱいで、もはや声を出すことすらできない。
「まあ、俺たちも、自分達のせいでライトフットが沈むんじゃ寝覚めが悪いからな」
「ここ三人だけの話って訳だ。いや、他にも知ってる奴らがいるんだけども」
「……ニック、ジェフリーさん……」
「そんな心配そうな顔するなよ、心外だなぁ」
ニヤリと笑ったニコラスに、アンジェリーナは「今だけは悪い顔しないでよ!」と悲鳴のような叫びをあげる。
「さて、どうやったら侯爵令嬢アンジェリーナ様のオーダーを実現できるかな」
「けっこうハードル高いよなあ。それに、真犯人の思惑も分からないし」
「あー、あの子な。何考えているんだろうなあ」
「……え? 真犯人?」
聞き捨てならないその言葉に、アンジェリーナは目を丸くする。
「ああ、そうだ。リーナに言っておかないとな」
「な、なんですの」
「テレーザ=テトトロン公爵令嬢」
なぜ、ここでテレーザの名前が。
嫌な予感しかしない。
真犯人?
聞きたくない。
(やめて……やめてくださいましー!?)
「前回の最初の一週間。俺がオルトヴィーンを見張ってたあの時、あの子もオルトヴィーンとカルロスと一緒に何かやってたぞ」
「…………」
「カルロスはなんか不幸を背負ったこの世の終わりみたいな顔をしていたし、乗り気だったのはテレーザ嬢なんじゃないか?」
「テレーザちゃんて、ただの箱入りお嬢様だよな? 公爵令嬢……王弟の子だったか。ニコと一緒じゃないか」
「変なこと言うなよジェフ。向こうは王弟殿下の掌中の玉として大切にされてきた深窓の令嬢だぞ」
アンジェリーナは、愕然とした。
そして叫んだ。
「そういう大事なことは、最初に言いなさいよ!」
「宿題をサボったツケだぞ」
「ニックなんて嫌い!」
クハッと笑っているニコラスと、肩をすくめるジェフリーを横目に、アンジェリーナは震える。
オルトヴィーンにカルロスにテレーザ。
アンジェリーナの幼馴染達は、一体何をしているのだ。
もう素直に信じられる幼馴染はマルセルしかいないのではないかと、アンジェリーナは頭を抱えた。




