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36 留学の理由(中編)



 ニコラスはずっと一人だった。


 使用人達が彼を育てた。ただし、ナサニエルからニコラスと親しくしないように厳命されていたため、使用人達は必要以上にニコラスに構うことはなかった。

 ニコラスは小さい頃から、家族と話をすることもなく、食卓を共にすることも少なく、教育を受けることもほとんどなく、なんとか使用人達にねだって文字を学び、自分で本を読み、家の中を一人で探検して過ごしていた。

 そうしているうちに、ニコラスは、自分の手から紫色の光や黒い物質を作り出せることに気がついた。彼は、それが闇魔法であることは知らなかったけれども、有り余る時間を使って、何をどこまでできるのか、毎日その紫色の光と(たわむ)れていた。


 そしてある日、()()()()が現れた。


 気になる気配があったので、闇魔法で気配を消しながら様子を伺ったところ、屋根を移動する二人組を発見したのだ。そこからこっそりついていったところ、二人はニコラスの隠遁魔法を見破り、ニコラスを見つけてしまったから、更に彼は驚いた。


「やぁ、たまげた。坊ちゃん、闇魔法が使えるのか」


 二人組は、60代の男と20代の男の組合せだった。

 当時7歳だったニコラスは、人と会話したことがほとんどなかったため、上手く言葉を発することができなかった。とりあえず、「じーさんとおっさん」と呟くと、()()()()が衝撃を受けていた。一方、()()()()は肩を震わせて笑っている。


「いや、坊ちゃんから見たら、こんな若造もおっさんだよなぁ。まあ気の毒だから、お兄さんと呼んであげてくれるか」

「じーちゃんやめて。優しさが痛い」


 自分の言葉で笑う人をその時初めて見たニコラスは、二人の様子を興味深そうに眺める。

 そんなニコラスに何を思ったのか、じーさん――ビルは、ニコラスの頭を撫でた。


「……坊ちゃんのことは知っとる。公爵様も無体なことをなさるな」


 そう言って、ビル達は去った。


 それからニコラスは、たまにニューウェル公爵邸にやってくるその二人組――ビルとジェフリーにつきまとうようになった。

 ニコラスは二人から多くのことを学び、彼らの方も、ニコラスを連れ回すようになった。

 特に、放置されていたニコラスのために多くの時間を割き、厳しい教育を施したのは、ビルだった。


 文字の読み方。知識を入れることの大切さ。貴族としてのマナー。闇魔法の使い方や、潜入時に気をつけること。ブラフの張り方。


 何も知らなかったニコラスは、ビルの詰め込み型の教育を受け、貪欲に知識を吸収していく。


 あるとき、ビルは貴族に扮しての潜入にニコラスを連れていった。


 ニコラスは唖然とした。 

 パリッとした紳士服に身を包んだビルは、威厳のある洗練された空気をまとい、普段のくたびれた様子を微塵も見せない。


「どうしましたか、卿。私の姿に気になるところがおありかな?」


 悪戯をするような目をしているビルに、ニコラスは悔しくて、どうしようもなく憎らしくて、これ以上なく胸を高鳴らせた。

 何も持たず、ただ流されて生きてきたニコラスは、このとき、自分のあり方を決めた。

 自分を育ててきたこの男のようになりたいと――こんなふうに格好良くありたいと、心から願った。


 こうして、ニコラスは『育ちの悪い公爵家令息』として成長していった。


 その一方、ニコラスの従兄弟のラファエルは、『育ちのいい優秀な第一王子』として表の道を歩んでいた。


 両親に愛され、小さな頃から天才ともてはやされ、王家の色である金色の髪と深緑色の瞳を持ち、意中の女性を婚約者に据えている。

 顔立ちはニコラスと似ているのに、ニコラスと違い、何の苦労もない恵まれた人生を歩んでいる。


 なんとなく、ニコラスはこの従兄弟を避けていた。

 

 この従兄弟と向き合うことは、なんとなく自分の中で上手く受け入れられなかった。よく分からないけれども、不用意に近づくと、格好良い自分でいられなくなるような、そんな感覚がある。


 それを突き崩したのは、従兄弟の婚約者であり、後に聖女となったフィルシェリー=ブランシェール公爵令嬢だ。


 彼女と居るのは楽しかった。

 不思議と、ニコラスはいつも、彼女の前では格好良い自分でいられた。


 ニコラスは、自分について、国内でよくない噂が流れていることを知っていた。

 落ちこぼれの王弟の息子。王家の色を継がない王族。闇魔法を得意とする根暗な家系、放置されて育った公爵家の長男。


 けれどもフィルシェリーは、ニコラスをそういった色眼鏡で見なかった。最上位貴族である公爵の娘であり、第一王子の婚約者である彼女には、そういった忖度(そんたく)をする必要がなかったのだろう。彼女はいつだってニコラス本人と共に居ることを楽しんでいて、そのことが、貴族から避けられてきたニコラスには非常に新鮮で、得難いものだった。

 色眼鏡で見ない。

 奇しくもそれは、ニコラスの父ナサニエルが恋に落ちた理由であったことを、ニコラスは知らない。


 一方、従兄弟のラファエルは、彼女の前ではクズもいいところだった。ニコラスの目には隙がないように見えていた従兄弟は、彼女が絡むと独占欲むき出しの一人の若造に成り下がった。警戒していた自分がバカらしくなるほど残念な性格で、優秀ではあるけれども、ただの人間だった。


 それを見たニコラスは、なにやら憑き物が落ちたように、気持ちが軽くなった。


 そして、その吹っ切れた気持ちの赴くまま、留学に出ることにしたのだ。



「何故ですか!?」

「フィリー」

「第三学年――最終学年で、各国への留学に行くって聞きました」


 ニコラスが第三学年に上がる前、ニコラスはフィルシェリーに捕まってしまった。

 フィルシェリーに引き留められると心が鈍る気がして、割と本気で逃げ回っていたので、ニコラスはバツが悪い顔をして、肩をすくめる。


「なあ、フィリー。俺を捕まえるためだけに、世界樹の精霊を頼るのはどうかと思う」


 空き教室の中、世界樹の精霊により世界樹の枝でぐるぐる巻きに拘束されたニコラスは、椅子に座ったままため息をついた。

 ため息をつかれたフィルシェリーは、動揺を隠せない様子で、けれども必死に胸を張った。


「だ、だって、全然顔を見せないから……! ニコラス卿が闇魔法を使って本気で隠れたら、全然見つからないんですよ!」

「ハハハ、フィリーはそんなに俺に会いたかったのか?」

「からかわないでください! なんで急に、留学だなんて……いつ戻ってくるんですか」

「……とりあえず卒業式には戻るよ」

「卒業式だけ!?」


 不満そうにするフィルシェリーに、ニコラスは笑う。


「フィリーは前に、俺にはいろんな選択肢があるって言ったろ?」

「……言いました、けど」

「それもそうだと思ってさ。色々見てみたくなったんだ」


 ニコラスは知っている。ビルはよく外国まで足を伸ばしていた。

 けれども、ニコラスはビルのようになりたいと思いつつも、この年齢まで、ほとんどの時間を自国で過ごしていた。

 なんだかんだ、彼はビル達に甘えていたのだ。ビル達がいるこの国で、暗部の仕事を手伝いながら、()()()()()()立場に甘んじてきた。

 それは、ニコラスの心の奥底にある自尊心の低さの表れだった。兄に劣る弟であった父、優秀な従兄弟、放置されて育った自分、自分のせいで亡くなった実母、辛く当たってくる継母と妹、長男でありながらも自分はニューウェル公爵家を継ぐことはなく、そのことに対する周りの評価。それらはニコラスの心に傷を残していて、その弱くて脆くなった部分はずっと、誰かを、何かを求めていた。その隙間を埋めるように、ビル達に甘えていた。


 けれども、今ならそれも、きっと。


「これからどこで生きていきたいのか。何をしたいのか。世界にはどんな場所があって、どんな奴らがいるのか、知りたいって思ったんだ」

「……世界……」

「フィリーのおかげだ」


 ニコラスの言葉に、フィルシェリーは目を瞬く。


「フィリーはいつだって、俺を強い奴だって信じてくれるから。フィリーが信じてくれる俺なら、どこに行っても、一人でも、きっと大丈夫だって思ったんだ」


 ビルが、ニコラスを育てた。

 ジェフリーが、ニコラスを見守っていた。

 そして、フィルシェリーが、ニコラスを信頼した。母ニーナが父ナサニエルに対してそうであったように、彼女はいつだって、ニコラス自身だけをまっすぐに見て、共に居たいとそう願ってくれた。


 ニコラスにとって、フィルシェリーは初めて好きになった女性であり、本当に良い友人だったのだ。


 ニコラスの、いつもと違う背伸びしない笑顔に、フィルシェリーは悶えるような顔をしてプルプル震えていた。


「そんなこと言われたら、引き留められないじゃないですか」

「フィリーは可愛い奴だよなぁ」

「もう! ニコラス卿のばか!」


「――もういいだろう。これで会話は終了だ」


 フィルシェリーの腰を引き寄せ、会話を邪魔したのは、ニコラスの従兄弟のラファエルだ。ニコラスが縛り上げられているとはいえ、ラファエルはフィルシェリーとニコラスを空き教室に二人きりにさせるような余裕のある男ではない。

 今もラファエルは、全身から不満そうな空気を出しながら、ニコラスを深緑の瞳でジトリと睨んでいる。


「もうお前、さっさと留学に行けよ」

「それさ、縛り上げられてる俺に言うことか?」

「シェリーもシェリーだ。こんな奴に弄ばれるなんて時間の無駄だ」


 嫉妬の塊となっているラファエルを、フィルシェリーは困った顔で見つめている。

 そんなフィルシェリーの腰をガッチリ掴んだまま、ラファエルは思い出したようにニコラスの方を向いた。


「ああ、そうだ。ニコラスお前さ、ライトフットにも行ってみないか」


 急な話に、ニコラスは目を瞬く。


「……ライトフット? 東の小さい王国だよな」

「そうだ。あの国はどこかおかしい」

「おかしい?」

「精霊がいないらしい」


 自然界に満ちた魔力の塊。上位になるほど意思を持ち、大精霊になると言葉を話す。

 魔力に満ちたこの世界にいて然るべき存在が、ライトフット王国では見かけることができない。


「あそこは魔法の知識に乏しくて軍事力がやたら低い国だったよな。王族しか扱えない王家の秘宝とやらを盾に、独立国家を維持してる」

「……ニコラス、お前それ、一応国家上層部だけが知る秘密なんだけど」

「このくらいのことは知ってると踏んで、さらに頼み事をしたかったんだろう?」


 なんでもないことのように返すニコラスに、ラファエルはため息をつき、フィルシェリーは「やっぱりニコラス卿はすごいわ」と瞳をキラキラさせている。


「世界樹の精霊が、珍しく口を出してきたんだ。あの国は建国時に、ごっそり世界の魔力(資源)を削るようなことをして、たいそう迷惑だったらしい。いつまた同じことをするか分からないからなんとかしておいてくれ、だそうだ」

「迷惑ねぇ」

「あと、癒しの魔女の縄張りだったらしいが、ここのところ姿を見ないんだとか。だからまあ、様子を見てきて欲しいんだ」


 ニコラスは、ライトフット王国についての情報を思い起こす。

 じーさんはあの国に出かけると帰りが遅くて、ニコラスはライトフット王国が嫌いだった……。


「いいぜ。貸し一つにしておこう」

「助かる。向こうでよほどのことが起こったら呼んでくれて構わない。周りには隠してるけど、世界樹の力を使えば、僕とシェリーだけなら瞬時に世界のどこにでも行けるからな」

「……そんな国際問題になりそうな真似はしねーぞ。それに、来年は卒業式前一ヶ月しか空いてないから、先の話だ」

「えっ!? ニコラス卿、卒業式には帰ってくるって……」

「セイントルキアの卒業式は時期が遅い方だからまあ……間に合うかっていうと、ギリギリだなあ」

「ちょっとエル!」


 そんなこんなで、ニコラスはライトフット王国に留学することとなったのだ。


 春、夏、秋から冬にかけて各国に留学した後、卒業式一ヶ月前からの短期留学生として、ライトフット王国の地を踏んだ。


 そこで、彼女を見つけたのだ。


 ホワイトブロンドに空色の瞳の、勝ち気でお高く止まった侯爵令嬢。

 初恋の彼女と同じく、吊り目がちな美人であったその人は、何故か卒業パーティーで断罪されていた――。




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