31 卒業パーティー会場
卒業パーティーの会場ホール。
学園の全生徒が入ることのできるその広間は、今日は最終学年の生徒だけのものだ。
会場全体は煌びやかな装飾に彩られ、立食用の丸テーブルの上には、偏光パールが使用された真っ白なクロスがかけられている。美しい食器やツヤツヤに磨かれたワイングラスは、照明の光を照り返して輝いている。
舞台から遠い位置には休憩用の椅子も並べられており、壁際には今日のために訓練された侍従侍女たちが控え、パーティーを長く楽しめるような配慮が尽くされている。
そして、輝くような、希望にあふれた表情をしている卒業生達が、そこにいるはずだった。
しかし、その予定は、この国の第二王子によって崩される。
「アンジェリーナ! 逃げたのか、アンジェリーナ!」
ラインハルト第二王子の叫びに、会場中の者達は息を潜め、彼の方を見た。
ラインハルトの傍には、彼が入場の際にエスコートをした令嬢が寄り添っている。
それは、彼の婚約者の侯爵令嬢ではなく、学園生活の中、彼がずっと懇意にしていた男爵令嬢であった。
下位クラスに配属されていたチャールズは、あまりの光景に唖然とする。
第二王子が普段から、婚約者がいるにも関わらず下位貴族の令嬢と仲睦まじくしているというのは、プリムローズ学園では有名な話だ。だから、チャールズも当然ながらそのことを知っていた。
しかし、今日の第二王子の行動は、チャールズを含む生徒達の想像を超えるものだった。
(王子がここまで愚かなことをするなんて……うちの国は大丈夫なのか……?)
下位貴族のチャールズでさえも――いや、平民だって、こんなバカな真似はしないだろう。
婚約は家同士で決めるものであり、当人の独断で破棄してよいものではない。しかも、婚約の解消や破棄といった家や当人の名誉に関わる案件は、通常、内々に行うものだ。それを、あろうことか公衆の面前、しかも祝いの場で宣言するとは。さらにいえば、婚約破棄を叫んだ第二王子自身が不貞を働いているであろうことは、その腕にしなだれかかる男爵令嬢を見れば一目瞭然だ。
(相手はアンジェリーナ=アンダーソン侯爵令嬢だよな? お気の毒に……)
チャールズは、このような相手と婚約を結ばされている令嬢に思いを馳せる。
かの令嬢のことは、チャールズも何度か見かけたことがあった。
アンジェリーナ=アンダーソン侯爵令嬢。
彼女は、ホワイトブロンドの艶やかな髪に、透き通る水晶のような薄い空色の瞳が魅力的な、美しい令嬢である。
彼女はよく、深みのある茶色の髪をした公爵令嬢と共にいて、二人の令嬢は下位貴族の令息たちによって密かに注目されていた。
吊り目がちの華やかな顔つきに、凛とした立ち姿のアンジェリーナ嬢。
深い二重の色香漂う柔らかな面立ちに、優しげな雰囲気のテレーザ嬢。
どちらの美女が好みだなんだと、下世話な噂話の種になっていたのだ。
(アンジェリーナ嬢の何が不満なんだと思っていたが……これは王子の方が、どこかおかしい奴だったんだな)
納得すると同時に、チャールズはそれとなく周りを見渡す。
アンジェリーナ嬢と思しきホワイトブロンドの影は見当たらない。
(今日、彼女はこの場に来ない方がいいのではないだろうか……)
とはいえ、今日は卒業パーティーなので、卒業生である彼女は、体調不良にでもならない限り、出席するのだろうけれども……。
「アンジェリーナ様、今日は来られないんじゃないかしら」
「この一週間、お休みされていますものね。殿下もご存じのはずですのに」
「こんな事態ですもの、アンジェリーナ様はこのまま欠席された方がよろしいですわね。せっかくの卒業パーティーですけれど……」
「わたくし、アンジェリーナ様が会場に入ってこないように、入り口に立っていようかしら」
特進クラスの令嬢と思しき女性たちの声が聞こえて、チャールズはホッと一息つく。
アンジェリーナ嬢はこの場に来ないらしい。
では、あとは誰か特進クラスの令息が、この第二王子を止めてくれさえすれば、ひとまず事態は収まるだろう。
そう思ったチャールズの横を、とある令嬢が横切った。
艶やかな黒髪に、薄紫色の煌めくドレスに身を包んだ令嬢だった。
その佇まいは、間違いなく高位貴族の令嬢であろう。彼女は優雅な動きで、迷いなく第二王子の方へと進んでいく。
その美しさに目を奪われたチャールズは、その令嬢の瞳が、透き通るような薄い空色をしていることに気がついた。
それは、第二王子の婚約者と、同じ――。
「わたくしは、ここにいます!」
その瞬間、会場中の人間の動きが止まった。
全員が、息を呑んで、声の主を見つめる。
真っ直ぐに伸びた艶やかな黒髪は、第二王子の婚約者の髪の色とは異なるはず。
祈るようにそう思ったみなの前で、彼女はその黒い髪に手をかけ、バサリとその黒髪を取り払った。
中から現れた美しいホワイトブロンドの髪に、一部の生徒から悲鳴のような声が上がる。
チャールズは、その声の主と同じ気持ちで一杯だった。
(アンジェリーナ嬢、何故ここに……!)
真っ直ぐに第二王子を見つめる侯爵令嬢に、男爵令嬢と共に立つ第二王子は向かい合う。
心なしか、第二王子の方が、打ちひしがれているような表情を見せた気がして、チャールズは違和感を覚えた。
「――ア、アンジェリーナ……!」
「アンダーソン侯爵家が長女、アンジェリーナ。御身の前に参上いたしました」
その美しいカーテシーに、誰もが、この場の状況を忘れ、目を奪われた。
彼女はそんな衆目に構わず、ゆっくりと、再び第二王子を見据える。
その有無を言わせない空気に、誰も口を挟むことができない。
「アンジェリーナ、何故……」
「――わたくしは、ここにいます。逃げも隠れも致しません」
あからさまに狼狽えている第二王子に、アンジェリーナ嬢は、チャールズにはよく分からない言葉を続けた。
「決して、わたくしを見失うことがないように。わたくしは、この場から離れません!」