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28 そこに現れたのは




『アンジェリーナちゃん、伏せて〜!』




 アンジェリーナは、妖精の持つ旗の上の文字がこのように変わったのを見て、即座に指示どおりに床に伏せた。


 その後、すぐに室内に煙が充満し、ニコラスが展開したと思しき昏睡魔法により、次々に近衛兵達が倒れていく。

 残った暗部の三人のうち、一人に見つかったけれども、ラインハルト第二王子が縄で拘束されたまま、アンジェリーナを捕まえようとした暗部の者に体当たりしたため、なんとかその手から逃げ出すことができた。


 そして、よろめきながらも逃げようとしているアンジェリーナをふわりと――()()()()()()()軽々と持ち上げた者がいて、アンジェリーナは油断してしまったのだ。


 彼がいるなら安心だと、心を弛緩させてしまった。


 小声でなら大丈夫だろうと、彼ならば第二王子をも助けてくれるのではないかと――。


「お願い、殿下も一緒に……!」

「――そこか」


 揺れが伝わってきて、一瞬動きの止まった彼に、アンジェリーナはハッと顔を上げる。

 今の声は、先ほどの赤い髪の近衛兵のものだ。

 煙で状況はよく見えない。自分を抱き上げている彼の表情すら見えない。けれども、心に浮かぶ予感があって、アンジェリーナは思わず叫びそうになった自分の口を手で塞ぐ。


 彼は、アンジェリーナを抱き上げる手に力を入れると、矢のような速さで駆けて行った。

 アンジェリーナは、彼に必死にしがみついていた。





****




「――ニコラス卿!」

「しくったな。悪ぃ、あんまり格好つかなかった」

「そんなこといいのよ! 早く止血を……!」


 アンジェリーナとニコラスは、ラインハルト第二王子の私室にいた。

 王族の私室であれば、追手も探しにくいだろうと思い、アンジェリーナがニコラスを誘導したのだ。


 アンジェリーナは、長椅子に倒れ込んだニコラスの脇腹に手を差し伸べる。

 しかし、他ならぬニコラスがそれを止めた。


「だめだ、抜くな」

「で、でも……」

「逆に抜けないように固定してくれ」


 ニコラスの脇腹には、あの赤い髪の近衛兵が投擲したナイフが深々と刺さっていた。


 いつも憎らしいくらい軽口を叩いている彼が、蒼白な顔をしてぐったりと力なく横になっている。黒いシャツなので見えづらいけれども、じっとりと血がシャツを濡らしているのが分かって、アンジェリーナは血の気が引く思いで、こくりと頷いた。


 ナイフが投擲されたとき、不意のことながら、ニコラスは防御魔法を展開していた。

 しかし、ナイフが炎の魔法をまとっていたことにより、ニコラスの咄嗟の防御魔法では弾き返すことができなかったのだ。

 ただし、その炎によって傷口が若干焼けたため、出血が多少なりとも抑えられている。

 しかし、刺さり方がまずい。おそらく内蔵を傷つけており、命の危険があるのはアンジェリーナの目にも明らかだった。


 アンジェリーナは室内に長いロープや布がないか必死に探し、思い切ってベッドのシーツを剥ぎ取った。震える手を叱咤し、四苦八苦してシーツを破ったところで、開いていた窓から侵入して来た者がいて、アンジェリーナは声にならない悲鳴を上げる。


「――ニコ!」

「……おっさん」

「その呼び方で呼ぶってことは、相当やばいな。見せてみろ」


 身を固くしたアンジェリーナは、ニコラスの様子に、息を吐く。


 その男は、今のニコラスと同じく黒いシャツにスラックスを穿いていた。ニコラスの様子を見るに、多分味方なのだろう。年はおそらく30代くらいだろうか。焦茶色の髪に青い瞳をしており、細身で背丈がある。

 先ほど、ニコラス以外にも助けに来てくれた誰かがいたのは気配でなんとなく察していた。おそらく、彼がその協力者なのだろう。


 現れた男が応急処置ができそうな素振りを見せているため、アンジェリーナは安堵の息を漏らしたが、男の言葉に現実に引き戻された。


「……これは、無理だ」

「……だろうな」

「とりあえず止血する。嬢ちゃん、そのシーツの切れ端を寄越してくれ」

「は、はい……!」


 シーツを渡したアンジェリーナは、震えながら胸元で祈るように手を握り締める。


「あ、の……無理って」

「これは致命傷だ。道具が足りない、輸血がいる、なにより……もう、時間がない」

「待って、そんな、だって……」


 思考が鈍る。

 アンジェリーナは、自分のしてしまったことを思い返し、心の髄から冷えるようだった。


 このループの中でアンジェリーナは一度殺された。

 しかし、マリアンヌに近づかなければ大丈夫だろうと楽観視していたのだ。そして何より、ニコラスがいるなら大丈夫だと、彼に完全に依存していた。

 その結果がこれだ。

 国王に《時戻り》を把握され、自分の身が危ないだけでなく、ニコラスの命を危うくしている。


(せめてあの時、わたくしが声を出さなければ……!)


「おっさんが……ジェフリーがこの国についてきていて……助かったな。後は頼む……」

「馬鹿言うな! もう悩んでる場合じゃないだろうが。フィリーちゃんを呼ぼう」

「それはだめだ」

「ニコ!」


 ジェフリーと呼ばれた男の言葉を、ニコラスはハッキリ拒絶する。

 そんなニコラスに、ジェフリーはもどかしそうに叫んだ。


「もう国際問題がどうとか言ってる場合じゃないだろう! お前のフィリーちゃんならその辺も上手くやってくれるさ」

「――リーナが、死ぬ」


 その言葉に、アンジェリーナはギクリと身をこわばらせる。なぜそこで、自分の名前が出てくるのだろうか。

 ジェフリーは「くそっ」と吐き捨てる。彼には、ニコラスの言ったことの意味が通じたらしい。


「聖女の力で、今この瞬間、無理矢理この国に割って入る……確かにフィリーならそれも、……でき、る……ッ」

「ニ、ニコラス卿!」


 こふ、と血を吐いたニコラスに、アンジェリーナは思わず駆け寄る。

 アンジェリーナはもう話すのをやめて欲しかったが、ニコラスは構わず続けた。


「……《時戻り》の魔術が起動している中心地に、()()()強い力で干渉したら、多分、魔術が壊れる」

「壊れる……!? 《時戻り》が終わるなら、都合がいいじゃない!」

「そう簡単にはいかないんだ、嬢ちゃん」

「どうして!?」


 深刻な顔つきで話すジェフリーに、アンジェリーナは食ってかかる。


「さっきのでほぼ確定だ。術の核になっている嬢ちゃんは、おそらく常に《時戻り》の魔術の支配下にある。無理に《時戻り》の魔術を破壊すると、嬢ちゃんも道連れになる」

「さっきのって……」

「さっき、嬢ちゃんには自白魔法が効かなかった――というか、弾かれた。低位の魔法では、嬢ちゃんにかけられた《時戻り》の魔術の作用を邪魔することができない。毎回必ず魔法陣の中心にいる、耐性に関係なく記憶がハッキリ残っている、強い精神魔法が弾かれる――嬢ちゃんが《時戻り》の魔術に縛られていると考えるのが自然だな」


 アンジェリーナは、まさかの事態に、これ以上ないほど強く自分の手を握り込む。

 ニコラスが助かる手段がある。

 なのに、アンジェリーナのために、それを捨てるというのか。


 アンジェリーナは、先程の執務室での暗部の者達の話を思い出して、ハッと顔を上げる。


「わ、わたくし、テレーザの精神魔法はちゃんとかかりましたわ! 自白魔法だけ効果がなかったのは、何か理由が……!」

「《時戻り》の魔術が嬢ちゃんに与える作用を邪魔しなければ問題ないんだろう。そのテレーザ嬢とやらがかけたのは、大した効果の魔法ではなかったんだろう?」

「……! わ、わたくしが死んでも、問題なかったのに……」

「遺体を消滅させようとしたら、弾かれたかもな」

「――じゃあ、どうしたらいいんですの!?」


 ボロりと涙がこぼれ落ちて、アンジェリーナは邪魔だとばかりに手で涙を拭う。しかし、涙は次から次へとこぼれ落ちてきて、アンジェリーナの邪魔をして仕方がない。

 そんな彼女を見て、クハッと笑ったのは、命に危機にさらされている本人だった。


「リーナは本当に泣き虫だよなあ」

「うぅ……っ、こんな、ときに、ばか!」

「俺は大丈夫だ」

「そんな訳ないでしょう!?」

「リーナがいるから」


 真っ青な顔で、脂汗をかきながらも、黒い彼は笑っている。

 どうしてこんなときに、笑っていられるのだろうか。アンジェリーナは、あの魔女に命を刈り取られた時、頭の中は恐怖と絶望で一杯だった。誰かを思って笑顔をみせるなんて、とてもできなかった。なぜ、この人は……。


 ――俺がカッコつけたいから。


 あの時の彼の返事が脳裏に浮かんで、アンジェリーナは心臓が締め付けられるようだった。

 熱くて、ねじあげられるように苦しい。


「今回俺は死ぬ。けど、リーナが残れば、次があるだろう?」

「時を、戻る、から……?」

「そうだ」


 目を閉じたニコラスは、自分に言い聞かせるように、アンジェリーナとジェフリーに向かって言う。


「ここでフィリーを呼べば、俺は助かる。《時戻り》の魔術は破損し、道連れでリーナと術師が死んで、この1ヶ月のループは終わる。――けど、そんなのはだめだ」

「……ニコ」

「だって、そんなの、じーさんだったらやらないだろ」


 目を開けて、ニコラスはジェフリーの方を見る。

 その心からの笑顔に、ジェフリーは目を赤くして、「ばかやろう!」と叫んだ。

 そんなジェフリーを見て安心したように笑ったニコラスは、そっとアンジェリーナの手をとる。


「だから、リーナ。あとはお前に任せた」

「わ、わたくし……」

「リーナならできる。大丈夫だ。アンジェリーナは、誇り高い王国民なんだろう?」


 アンジェリーナは、右手を強く強く握り締められて、その手が震えていることにようやく気がついた。


 この人だって、死が怖くない訳じゃないのだ。


 怖いに決まっている。


(わたくしは、大バカだわ……)


 アンジェリーナは、左手で涙を拭って、ニコラスに向き直った。


「そうよ! わたくしを何者だと思っているの?」

「……うーん、何者だろうな」

「誇り高い王国民なだけじゃなくて、侯爵令嬢なんだから!」

「おお、そうだったそうだった」

「大丈夫よ」


 アンジェリーナは、ニコラスの手を握り返した。

 ニコラスは、額から汗をかきながらも、重たそうに瞼を上げて、アンジェリーナを見上げる。

 アンジェリーナは、その澄んだ紫色を、まっすぐに見据えた。


「わたくしを信じて。絶対に大丈夫。わたくしが、あなたを助けてみせる」


 真っ赤な目で、涙をボロボロこぼしながら自分を見つめるアンジェリーナを、ニコラスは何を思ったのか、しばらく見つめていた。

 そうして、ニコラスは俯くと、「うん」と小さく呟いた。


 そんな二人を見ながら、ジェフリーはため息をついた。


「しかし状況が悪いぞ。……仮にニコをここに置いて行ったとして、逃げられるかどうか」

「ちょっと、置いていく気なの!?」

「仕方ないだろう。なにしろ俺も嬢ちゃんも、このまま捕まれば拷問は免れない。《時戻り》で記憶が飛ばない上に、精神魔法も効きづらい嬢ちゃんとしては、覚えていたくない記憶を刻み付けたくはないだろう?」


 ギクリと体を固くしたアンジェリーナに、ジェフリーは同情の目を向ける。

 どうやら、アンジェリーナは何がなんでも国王一味に捕まる訳にはいかないらしい。王族である第二王子ですらあの状態まで追い込まれていた。彼らにとって欲しい情報の塊である彼女は、捕まれば何をされるか分からない。


「……それ、なんだが」

「ニコ」

「まだ不確定要素も多いし、あまり使いたくなかったんだが……虎の子を使おう」

「おいおい、マジか……」


「虎の子?」


 濡れた目を瞬くアンジェリーナに、ジェフリーは「あー……」と言葉を濁し、ニコラスはポケットから飴玉のカケラを取り出した。


 飴玉のカケラだ。


 紫色の。


 飴玉?



「――ちょっと!!」

「おっさん、じゃあ後は任せた」

「無茶ばっかり言いやがって、このバカ息子が」


 ジェフリーの言葉に、ニコラスは心底驚いたように目を丸くした後、真っ赤な顔をしてモゴモゴ何か呟いた。果たしてそれは本人以外の耳に届いたのか。

 憤ったアンジェリーナは、そんなニコラスの様子を見て、一瞬毒気を抜かれる。


 ジェフリーはニコラスの頭をぐりぐり撫でた後、室内に紫色の結界を張ると、飴玉のカケラにニコラスの血を垂らした。


 血を、垂らした!!


「ちょっとそれ本当に使うんですの!?」

「嬢ちゃん、覚悟が足りねえなぁ」

「ことこの事に至っては覚悟する暇なんてあったかしら!?」



 凄まじい勢いで紫の光を放つそれに、アンジェリーナは訳が分からず呆然とする。



 そして当然のように、空間に亀裂が入り、ピンクブロンドの魔女が姿を現した。


 


「……生意気な小僧。相応の覚悟があってのことでしょうね」




 ふわりと長いまつ毛がゆらめいて、海色の瞳がアンジェリーナ達三人を睨め付ける。


 怒りを孕んだその声に、アンジェリーナは息が止まるかと思った。




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