27 救出
国王の執務室の中、 アンジェリーナはその場に立ち尽くす。
足元には婚約者の第二王子。
周りには複数の近衛兵に、暗部の人間三人。
ただの一学生にすぎないアンジェリーナに、どこまで抵抗できるだろうか。
(無理ですわね。殺されることはないでしょうから、ここは耐えるしか……)
願わくば自白剤辺りで済ませてほしい。しかし、アンジェリーナにかけられている謎の闇魔法は、自白剤の効果を打ち消してしまわないだろうか。もしそうなったら、アンジェリーナが最も危惧する拷問コース一直線である。
蒼白になるアンジェリーナに、無情にも近衛兵達が近づいてくる。
「さあ、アンジェリーナ嬢。こちらへ」
首を振るアンジェリーナに、赤い髪の近衛兵がため息をついた。
必死に目だけで周りを見渡すけれども、武器になりそうなものも役に立ちそうなものも、何も見当たらない。
国王の執務室にある物など限られている。
長いソファが二対、重厚でとても持ち上げられない接客机、実務机に椅子、そして書類棚……。
けれども、アンジェリーナは目に飛び込んできたそれに、思わず涙が出そうになった。
部屋の隅で、見覚えのある黒い小さな妖精が、旗をふりふり揺らしながら歩いていたのだ。
旗には『アンジェリーナちゃん、やっほー』という文字が書かれている。
妖精がその場に旗を立てると、旗の上に書かれた文字がふわりと切り替わった。
旗の上に新たに浮かび上がった文字は――。
****
目の前のホワイトブロンドの令嬢を見て、マックスは大きくため息をついた。
赤毛の近衛兵、名はマックス=マクファーレン。このライトフット王国において国王の近衛兵隊長を務めており、伯爵位を賜っている。
マックスの任務はライトフット国王の身辺警護である。
国政は綺麗事ばかりではない。
近衛兵隊長として国王の傍近くに常に侍っていれば、このような公にできないような光景を目にすることもままある。それについては当初から分かっていたことで、マックスは既に覚悟を決めていた。
こういったことを呑み込めないような者は、まずもって近衛兵として選抜されることはない。そして、マックスはその選ばれた人員の中でも、上手くやってきた方だと自負している。
しかし、覚悟しているからといって、不快な気持ちが消えるわけではない。
マックスは別に、悪人でも、特別倫理観が壊れている人間という訳でもないのだ。
ただ、自分で決めているというだけだ。
国王や政治家達に口を出さないこと。彼らがやり遂げたいと思っていることを実現させるため、必要な処置を行うこと。それを、近衛兵という仕事についている間の自分に課している。
国王の傍に侍り、それまで培った倫理観に反する光景を目にしたとき、当然ながら、最初は抵抗があった。
しかし、次第に気がつき始めたのだ。
過去、マックスごとき一個人の培ってきた倫理観で、物事の正義を問うことなど本当にできるのだろうか、と。
税を払わなかった者への刑罰の軽重。
襲撃犯を追い詰めるときの対応。
政治犯に対する情報収集の方法。
どこからどこまでがやりすぎなのか。
それとも、当然受けるべき報いであり、正しい処罰なのか。当事者の気持ち、人々の感情、目的の達成率――様々な要素を考えた時、どういう手段を取ることが国のためになるのか。
(私には、分からない)
マックスに分からないそれらを考えるのが、国王であり、政治家である。
そのことに気がついたマックスは、全てを割り切った。割り切って、国王の道具に徹することにしたのだ。隊長まで昇り詰めることができたのも、きっとマックスのこの覚悟が国王に気に入られたということなのだろう。
マックスは、個人的に気が乗らないこの案件に着手すべく、心を凍らせる。
目の前の怯える令嬢を捕らえ、場合によっては情報を吐かせるために手を下さねばならない。
きっとこれは、国のことを考えるならば仕方のないことなのだ。
(時を遡る魔術……そのような物の、あるべき取扱い方。それは、私の判断する問題ではない……)
マックスは、目の前の令嬢に手を伸ばす。
そうしてふと、彼女の目の色が変わったように感じた。
先ほどまでの、毅然と振る舞いつつも怯えが隠せないでいた様子とは違う。
まるで何か、希望を見つけたかのような……。
そう思った瞬間、彼女が勢いよく床に伏せた。
マックスは瞬時に警戒を最大限に引上げ、無詠唱で魔法返しの防御魔法を発動させる。
暗部の者達や他の近衛兵達も、同様の魔法を展開させていた。国の兵士として上位にいるのだから、このぐらいのことはできて当然である。
防御魔法を張った後、瞬きする間も無く、室内に大量の煙が舞った。
それとともに、ちょうどのマックスの肩程の高さ、全員の上半身を横薙ぎにするように、紫色の魔法陣が展開され、弾けた――それが、目にも止まらぬ早さで、三連続で重ねがけされたものだから、マックスは舌打ちした。
通常、一人が同時に展開できる魔法は一つ。二つの魔法陣を同時展開できる者は相当に訓練を積んでいる。
それが、同時に三つ。
その技術、強度を考えると、おそらく――マックス以外の近衛兵の防御魔法では、全ては防げないだろう。
案の定、マックス以外の近衛兵達は次々に魔法の効果を受け、意識を失って倒れていった。
(昏睡魔法か。首を狙わないあたり、分かっているな――いやそれとも、ただの小心者か)
斬撃系の魔法であれば、近衛兵達の鎧に付与された防御魔法が展開され、このような事態にはならなかったであろう。わざとこのような魔法を使ったのか、人を手にかけることに怯んだのか。
理由はさておき、マックスは周囲を見渡す。しかし、室内は白い煙で覆われており、ごく近い範囲しか見ることはできない。
しかし……。
「敵襲! ……くそっ、近衛兵達! 起きないか!」
「な、なんだこれは。昏睡魔法を、三枚重ねだと……!?」
「まずいぞ、アンジェリーナ嬢を探せ!」
どうやら暗部の三人は無事のようだ。この事態に際して、口々に騒ぎ立てている。
(先程の昏睡魔法、あの三人の実力では全て防ぎきれていないはずだが……闇魔法耐性で凌ぎ切ったか)
暗部に所属する者は、闇魔法に特化して訓練を重ねており、強い闇魔法耐性を得ている。
だからこそ、今回の『時を遡っている』という事態にも気がつき、国王にそのことを進言したのだ。国王が未来に起こった出来事を知っているのは、彼らの情報によるものである。
(近衛兵で残っているのは私だけか。暗部の三人は無事。敵は何人だ? アンジェリーナ嬢は……)
「いたぞ! さあ、こちらへ来るんだ!」
「きゃっ!? あっ、ラインハルト殿下!」
「逃げろ、アンジェリーナ!」
「そんな、一緒に……!」
「いいから行け!」
どうやら、マックスの見えないところで、暗部の一人がアンジェリーナを見つけ、捕獲しようとしたところでラインハルト第二王子に邪魔されているらしい。
(あの第二王子、アンジェリーナ嬢と共謀しているのか?)
普段は対立している様子の二人がお互いを庇いあっている状況に、マックスは眉を顰める。
そんな中、別の一角から別の声がした。
「何だこの煙は、魔法で消せないぞ……ぐあ!」
「リオン! 相手は闇魔法を使うぞ、全方位警戒しろ!」
煙の向こうからは、暗部の二人が誰かと争う声が聞こえる。どうやら、敵の一人と交戦中らしい。
暗部の二人はどうなっても構わないので、マックスはアンジェリーナのいる方に向かうことにする。
ただし、相手はこの煙に乗じて、音を立てずにマックス達を攻撃している。暗部の二人と戦っている者の他に、アンジェリーナの近くにも敵が潜んでいると考えるべきだ。
(何か、手がかりになるものは……)
マックスは神経を研ぎ澄まし、きっかけとなるものを探る。
そんなマックスの耳に、小さな声が届いた。
「お願い、殿下も一緒に……!」
「――そこか」
マックスは、腰に携えていた短剣を三本、投擲した。
もちろん、マックスの得意魔法である炎の魔法を纏わせることも忘れない。
壁に当たった音は二本のみ、手応えを感じつつマックスは声のする方にじりじりと近づく。
そうして用心しながら近づいたところ、次第に煙が晴れてきて、室内の状況が見えるようになってきた。
開けた視界で確認したところ、執務室に残されているのは、暗部の一人に押さえつけられたラインハルト第二王子。そして、若干傷を負っている暗部の二人。
アンジェリーナも侵入者もそこにはいなかった。
しかし、床に血痕があることをマックスは確認する。
どうやら、侵入者かアンジェリーナ、どちらかが軽くはない怪我を負ったようだ。
あれだけの手際の侵入者だ、おそらくアンジェリーナに致命傷を負わせるようなヘマはしないだろう。だとすれば。
マックスは部屋を出て、廊下に向かって叫び、指示を出した。
「侵入者だ! 最低でも二名、侯爵令嬢を誘拐している! すぐに王宮を封鎖しろ、逃すな!」
足音を立てて集まってくる兵士達の様子を見ながら、マックスは呟く。
「手負いでこの王宮から逃げられると思うなよ」
マックスの暗い瞳に、集まってきた兵士の一人が、ごくりと息を呑んだ。




