24 今後の方針
アンジェリーナは、自宅の寝台の中で、数日前にニコラスに言われたことを考えていた。
――マリアンヌがラインハルト第二王子に近づき、その結果傷ついたリーナを慰めてくれていた人物。
「……カルロス様、マルセル様。それに、テレーザ……」
宰相の息子カルロス。
近衛兵の息子マルセル。
公爵令嬢テレーザ。
この三人は、アンジェリーナがラインハルト第二王子達に傷つけられるたびに、アンジェリーナのことを慰めてくれた。
特に、カルロスはアンジェリーナに、卒業パーティーのエスコートを申し込んでくれた。アンジェリーナは、断ってしまったが。
素直に考えるのであれば、最も怪しいのはカルロスである。
しかし、カルロスからは魔法の話が出たことが一切ない。
むしろ、魔法に詳しそうなのは、近衛兵の息子のマルセルの方だった。
とはいえ、先日教えてくれた精神魔法も、父親から教えてもらったという、知っていても不思議のない内容のものだった。
テレーザはどうだろうか。
精神魔法の話を持ち出してきたのはテレーザだ。彼女が何かを企んでいるなら、そんなふうに魔法の知識がある姿をアンジェリーナに見せるだろうか。
アンジェリーナがうんうん唸って悩んでいると、声をかけてきた者がいた。
弟のエリックだ。
「姉様、どうしたの」
エリックはホワイトブロンドの髪を揺らしながら、こてんと首を傾げている。
(可愛い……あざとい……)
天使降臨のようなその絵面に、アンジェリーナは身を震わせる。
「エリック、あなたそれ普段からやってるの」
「なんのこと?」
「いいえ、なんでもないわ。そのままのエリックでいてちょうだい」
アンジェリーナは眼福にホクホクしながら、何かを理解したような顔をして頷く。
「別に何でもないのよ」
「姉様は長く悩むのやめた方がいいよ。姉様は吊り目で、黙っていれば賢そうに見えるけど、本当はノリと勢いで生きてる脳筋令嬢なんだから」
「エリック!?」
天使からの唐突な罵倒に、アンジェリーナは愕然とする。
「脳筋姉様は、もっと早くに殿下との婚約を解消すると思ってたよ」
「えっ」
「もうすぐ卒業パーティーだけど、どうするつもりなの?」
「わたくしには、決定権はないもの」
「つまり、なんだかんだ婚約は解消されるだろうなーと思いながら、流れに身を任せるつもりなんだ?」
「……」
「ふーん。王都近くの領地持ちの家の嫡子達はみんな婚約者がいるから、姉様は田舎領主に嫁ぐつもりなのかな」
(!?)
唖然とした顔をしたアンジェリーナ。
そんな彼女を見て、「やっぱり無策か」と呟いたエリックは淡々と告げる。
「姉様レベルの教育を受けた令嬢を娶る力のある王都周りの領地持ちは大人気だから、だいたい売約済だよ。8歳で婚約した姉様はさすがに早い方だけど、普通の嫡子は僕ぐらいの歳で婚約するものだし。兄様だってそうでしょう」
「後妻とか、その……」
「領地持ちの貴族に嫁ぐ妻って、『領地を共に治める能力のある配偶者』として、家同士の関係性も基盤にして嫁ぐよね?」
「それはそうね」
「だから、仮面夫婦になることはあっても、基本的に離婚はしないよね。まともな理由で後妻を求めるのは死別くらいかな。夫が戦や職場の事故で先に亡くなるならともかく、妻だけ先に亡くなってるってのは……出産で亡くなるくらいかな。そういう高位貴族の男はもう少し年上の女性に絶大な人気があるよね」
「……」
「辺境近くの田舎領地方面なら、いくつか候補の伯爵家もなくはないと思うし、父様たちもその辺りをみつくろってくると思うけど」
「ならそれで」
「王子妃教育を受けてきた都会育ちの侯爵令嬢を受け入れる田舎領主……?」
「……」
「自分より洗練されていて高い教育を受けた都会育ちの妻。受け入れる夫にも度量が必要だし、姉様は自分よりもやる気や能力の低い夫はアリなの?」
「能力が低いだなんて、そんな」
「姉様の言うことに、『うんうん』『君はすごいなぁ』しか言わない男。毎年の自領のやりくりができれば満足。流行を生み出したりする野心家だったら田舎領地に収まってないからね。姉様のように3ヶ国語を話せるどころか、自国語で女性を褒める語彙力も少ないと思うし、だいぶ無骨で価値観も違うと思うよ。学園の中級クラスってそんな感じでしょう?」
「なんでエリックはそんなこと知ってるのよ!」
「僕は爵位を継がない貴族の子だから」
なんでもないことのように言う弟に、アンジェリーナは驚きを隠せない。
「姉様は小さい頃から貴族としての教育を受けてきているけど、僕は爵位を継がない侯爵家の子としての教育を受けているんだよ」
「……エリック」
「でも、姉様が大した覚悟もなくこっち側に来そうな気配だから心配でさ」
アンジェリーナの隣、長椅子タイプのソファにストンと座った。
「姉様。学園の特進クラスのメンバーは、高位貴族の嫡子か官僚候補ばかりだ。彼らは王都の近くで国を支えるための人材で、田舎の領主や平民になる貴族とは違うんだよ」
「そ、そんなこと分かってるわ!」
「そっか。じゃあ分かるよね。ラインハルト殿下との婚約を解消した姉様は、爵位を継がない貴族の子で、行く先は平民だ。貴族でいたいなら貴族の婚約者を見繕わないといけない。どうするの?」
上手く言葉を返せないでいるアンジェリーナに、エリックがため息をつく。
「姉様が貴族でいるためには、領主の妻になるか、一代限りの爵位を持つ官僚の妻になるかだね。この国で女性が爵位を持つのは、王族とその配偶者、あとは女領主くらいだし。女性官僚が少ないのはうちの国の欠点なんだろうなあ」
「……そうね」
「僕はさ、姉様は王都近くに領地を持つ高位貴族の妻になるのが一番いいと思う。だけどそういう人は人気だから、フリーの男は少ない。だから、もしもそういった相手が見つからないなら、姉様は田舎領主に嫁ぐよりは、高位貴族の二男以下――官僚候補とくっついて、王都で富裕層になるのが向いてると思うんだ」
「エリック。あなた本当にエリックなの?」
「え?」
「私の弟は、13歳の天使なのよ! こんな世間擦れしたこと、考えつくはずないわ!」
涙目のアンジェリーナに、エリックは呆れた顔でため息をつく。
「姉様。爵位を継がない貴族の子には今しか選択肢がないんだよ。領主の嫡子は、12歳から学園生活中盤くらいまでには婚約者を見繕うからね。姉様がもし領地持ちの貴族になりたいなら、かなり頑張らないと」
「そ、そんな……わ、わたくしのクラスメートだって、婚約者がいない子は沢山」
「それって領地持ちの家の嫡子じゃない人ばかりでしょう? 彼らはあくまで官僚候補で、仕事に着くまでは平民ルートだからね。仕事について爵位を得た後の夜会やお見合いが本番って感じかな」
アンジェリーナは思いを馳せる。
婚約者のいないクラスメートの令息達。
侯爵家の二男、伯爵家の三男、他には……。
(……た、確かに、婚約者がいないのは、嫡子でない方ばかり……)
アンジェリーナは思い出す。
以前彼女はニコラスのことを、『珍しく婚約者のいない嫡子』だと思っていた。
つまり、そういうことなのだ。アンジェリーナだって分かっている。婚約者のいない高位貴族の嫡子は珍しい。
けれども彼女は、それが自分の将来と関係があるとは、つゆほども思っていなかったのだ。
ラインハルト第二王子との婚約解消のことばかり考えており、その後のことは父が何とかするだろうと思っていた。
段々青くなっていくアンジェリーナに、エリックはため息をつく。
「エリックはどうするつもりなの?」
「僕? 僕は大して貴族であることにこだわりもないしね。父様達は王都で官僚になってほしいみたいだけど、侯爵領で領主一族の一人として兄さんを支える平民になってもいいと思ってるよ。ただ僕、モテるからなぁ……」
「!?」
天使の口からあまりに俗な発言が出てきたので、アンジェリーナは震える。
「仲のいい伯爵家の令嬢が数人いるんだ。王都から侯爵領への往復のついでに毎回挨拶してたら、仲良くなったんだけどね。王都流の簡単なエスコートをするだけで王子扱いされてるよ」
「そうなの!?」
「うん。田舎の令息達は、女性の扱いに慣れてない初心な人が多いみたいでさ。僕と同い年ぐらいだと、まだ令嬢達に子どもっぽく絡んだり、思春期を拗らせて冷たい態度をとる子が多いみたい」
「あなたも思春期よね!?」
「アハハ、姉様のおかげだよ。僕は姉様をダシに、頻繁に王都に来て王都のマナー講師をつけてもらってるからね」
からりと笑うエリックに、アンジェリーナは目を丸くする。
貴族の子女は基本的に、学園入学までは自領に滞在する。
けれども、アンジェリーナは8歳の頃からラインハルト第二王子の婚約者だ。学園入学前から、王子妃教育を受けるため、夏の間自領に戻るとき以外はずっと王都に滞在していた。
そして、その際は弟のエリックがくっついてくるときが多かった。
何故かと思っていたら、こんな思惑があったとは……。
「女の子には優しくした方が楽しいのに、田舎の令息達は不思議だよね。それでさ、今僕と仲のいい令嬢の中に、男兄弟がいない子もいるから、そういう家に領主代理となるべく婿に行くのもいいかなって思ってて」
「あ、あなたは田舎に行くのは嫌じゃないの!?」
「嫌じゃないよ」
エリックはあっけらかんと答える。
「田舎の女の子達って、すごく可愛いんだ。都会の令嬢とはまた違った魅力があって……レディとして丁寧に扱うだけでものすごく喜んでくれるし、僕のことを『侯爵家の洗練された御令息』ってキラキラした目で見てくれるし。ああいう子が奥さんになってくれるなら、僕は喜んで王都を離れるよ」
「……領主代理」
「僕は兄様のスペアだから、領地経営も学んでるよ?」
弟の隙のない人生設計に、姉は愕然とする。
「それで、姉様の話なんだけどさ」
「……はい」
「姉様が自分の思うとおりに領地経営をしたいのなら田舎領主に行くのもアリだけど、姉様はそうじゃないからなあ」
「そうね」
「姉様は多分、こんなふうにポンポン言い合える相手にやり込められながら生活するのが幸せだと思うんだよね」
「どういう評価なの!」
「姉様は賢い相手と喋ってるときが一番楽しそうだから」
呆気に取られている姉に、弟は容赦のない評価を語る。
「姉様は自分より優れた相手から新しいことを学んでいる時が一番楽しそうだ。王子妃教育、なんだかんだ楽しかったんでしょう」
「……それは、まあ、そうよ」
「逆にさ、お茶会で令嬢達と話をしているときや――ああ、そうそう。父様や兄様と話をするときも、物足りなそうな顔をしてる」
「エリック」
驚くアンジェリーナを見て、エリックはクスクス笑っている。
「父様も兄様に関しては、能力的な問題じゃなくて、志向が合わないんだろうね。二人とも保守的だからなぁ。姉様と本当に気が合ったのは、テレーザ様。カルロス様のことは怖がってるけど……、あとは及第点でラインハルト殿下ぐらいかな」
「なんで」
「弟は兄や姉の様子をよく見てるものだよ?」
エリックはテーブルの上にあるクッキーをパクリと口に放り込み、「うん、姉様の甘味の嗜好は僕と合うんだよね」と満足そうに呟いた。
「まあそんな訳で、姉様もこっち側にくるなら覚悟がいるからね。あと数ヶ月後にはデビュタントだろう? 夜会でいい男を見つけなよ」
それだけ言うと、エリックはアンジェリーナのいたカフェルームを去っていった。
(なんだったの。今のは、本当にエリックなの?)
アンジェリーナは、節穴だった自分の目を疑いながら、初めてみる可愛い弟の本性に震える。
震えつつも、とりあえず大好きなクッキーを頬張って精神安定に努めていたところ、廊下からバタバタと大きな足音が聞こえた。
何事かと思って音のする方に顔を向けると、大きな音を立ててカフェルームの扉が開いた。
そこにいるのは、父だった。
おっとり事なかれ主義な父としてはなかなかしないような蒼白な顔をしている。
「アンジェリーナ、お前は一体何をしたんだ?」
青い顔をした父が片手に握っているもの。
それは、ライトフット国王からの呼び出し状であった。




