21 犯人はあなた
――精神魔法をかけた者と、術を展開する核となった者。そういった位置の者であれば、耐性がなくとも、精神魔法の効果を受けずにすむのかもしれませんね。
頭からその言葉がこびりついて離れない。
アンジェリーナは、血の気がひいたまま、ふらふらと廊下を歩き、思考にふける。
(今までのループでハッキリと記憶が残っているのは、わたくしと――彼だけ……)
そして、アンジェリーナは時戻りの魔術の術者ではない。
魔法や魔術というのは、呪文を唱えなくても、感情が高ぶったり、条件が整えば発動する。
しかし、アンジェリーナは心の底からループを抜け出したいと思っている。それになにより、時戻りは彼女が死んでいても発動しているのだ。これだけの大きな魔法を、死亡している状態で、無意識に狙いを定めて起動できるものだろうか。
彼女が術者である可能性はほとんどない。
――では、彼はどうなのか?
魔法耐性だけで、ああもハッキリ、記憶を残していることができるものだろうか。
「よう、リーナ。今いいか?」
神出鬼没な彼は、今日もまた突然、空き教室の扉からひょこっと姿を現した。
その姿に、アンジェリーナは胸元をギュッと掴む。
(だから! 何故! いつもこういうタイミングなの!)
アンジェリーナは、自分の心が弱った時に現れる怪しい男を睨めつけた。
「なんで、いつも現れ方が違うのよ」
だから避けることができなかったではないかと、アンジェリーナに恨みがましい目で見られて、ニコラスは目を瞬く。
(大体、今まで1週間以上わたくしを放置しておいて! 今この瞬間、一番タイミングが悪い時になんなの!)
アンジェリーナは、ニコラスに会って不埒に喜ぶ己の心臓を抑えながら、必死に虚勢を張る。
マルセルの言葉に動揺し、全く心の整理ができていない今、アンジェリーナは彼に会いたくなかった。
――ないよりマシ、彼が裏切ろうとも利用してみせる。
そう思っていたけれども、実際に裏切りの可能性を突きつけられると、震える手を止めることができない。
(く、悔しいけど認めますわ。わたくし、この人をズブズブに信用してしまっていますわ……)
それだけではない。アンジェリーナは、この無邪気に彼女に絡んでくる男を、これまでだけでなく、これからも信じたいと思っているのだ。
何しろ、今まで孤立無縁でもがいていたアンジェリーナに差し伸べられた唯一の救いの手だ。
彼女の欲しかった情報を持ち、第二王子の婚約者として教育された彼女の隣にいて遜色のない教養があり、そのくせ箱入りな彼女をからかう妙な距離感の近さであっという間にアンジェリーナの懐に入ってきてしまった人物。
そんな彼が犯人かもしれないと突きつけられて、アンジェリーナは全てを投げ出したい気持ちだった。
そして、アンジェリーナの心境を知らないニコラスは、首を傾げつつも、いつもと変わらぬ様子で彼女に話しかける。
「同じことの繰り返しに飽きてるだろうと思ってな。ちょっとした優しさだよ」
「全然優しくないですわ!」
「うん? どうした、何かあったのか」
「何もありませんわよ! 今は時間がないから放っておいてくださいまし!」
「えーと、まずは落ち着け」
「わたくしは世界で一番落ち着いてますわ!!」
「お、おう、そうだな……」
「なんで納得するのよ!」
「……。どうして取り乱しているんだ?」
「取り乱してなんかないもの! ばか!」
涙目で震えるアンジェリーナに、ニコラスは困ったような顔をしている。
この顔は見たことがある。
ニコラスがアンジェリーナに夜襲をかけてきたあの時、わんわん泣いている彼女を見ていた時の顔だ。
その顔に――いつでも彼女の味方だと言わんばかりの表情に、アンジェリーナは無性に腹が立って仕方がない。
「そんな心配そうな顔しないでよ!」
本当であれば、ちゃんと取り繕わないといけない。
裏切り者かもしれない彼と、距離をとり、用心しながら接しないといけなかった。
なのに、ニコラスがいつでもアンジェリーナの味方でいてくれるから、それをすることができないのだ。
彼はいつだって、アンジェリーナの気持ちを救ってくれた。解決の糸口を見つけ、繰り返される時戻りの中で追い詰められていく彼女を助けてくれた。
(そんなふうに優しくされたら、チョロいわたくしは甘えてしまうではないの!!!)
憤る彼女に、ニコラスは目を丸くする。
「おいおい、どうした」
「……え?」
「泣いてるんだけど」
言われて初めて、アンジェリーナは自分が泣いていることに気がついた。
そして、気がついてしまったらもうだめだった。
ボロボロと涙をこぼしながら、彼をキッと睨みつける。
彼はそんなアンジェリーナに、ただただ驚いた顔をしている。
「……あなたが、犯人だったの」
「ん?」
「こういう魔法や魔術で記憶が残るのは、術者かその中心人物だけだって」
彼は大きな紫の目を見開いて、アンジェリーナを見ている。
「どうしてこんなことするの! わたくしになんの恨みがあるの!」
「待てよ。俺は犯人じゃないぞ」
「嘘よ! 証拠に、全部ハッキリ覚えてるじゃないの!」
「それはそうだけど……いや、とにかく落ち着け」
「落ち着ける訳ないでしょう! 嘘つき! 鬼畜!」
「ははは、鬼畜は初めて言われたなぁ」
彼はクハッと笑いながら、アンジェリーナの言葉なんて何でもないことのように受け流している。
そのまま、ふとしゃがんだかと思うと、アンジェリーナを足から掬い上げて、横抱きにしてしまった。
「ちょっ、何をするのよ!」
「んー? 貴族らしくない駄々っ子を目立たない場所に運んでる」
「離して!」
「いくらやり直せると言ってもさ、廊下で言い争いは悪目立ちするし、後々良くないんじゃないか」
それはそうかもしれないが、もはやアンジェリーナはニコラスに何を言われても素直に受け止めることができなかった。
心の糸がブッツリ切れてしまったアンジェリーナは、完全に駄々っ子モードである。
「全部ニコラス卿がやったんだわ……」
「そうかそうか」
「何なの? どうしてわたくしなの? わたくし、何かしたの?」
「うんうん、悪いことは何もしてないよな」
「酷いわ。謝って。心の底から謝って。絶対に許さないんだから!」
「謝っても許してもらえないよな、そうだよな」
ニコラスはけらけら笑いながら、えぐえぐ泣いているアンジェリーナを裏庭のベンチに連れて行く。
そうして、彼女をベンチに座らせると、ハンカチを差し出した。
「ほら、とりあえず顔を拭えよ。可愛い顔が大変なことになってるぞ」
「……! レディに向かって失礼よ!」
「そうだな、俺が悪いよな」
「そうよ! 犯人のくせにそうやって優しくして……大体、ここだって人目があるじゃないの!」
「姿くらませの魔法をかけてるから大丈夫だぞ」
「学園は魔法禁止よ!」
「うんうん、今まで一緒に使ってたリーナも共犯だな」
「勝手にリーナって呼ばないでよ!」
何を言っても噛み付くアンジェリーナに、ニコラス卿は優しい顔をして全部受け流している。
なんでも分かってるみたいな顔をして彼女の方を見る瞳に、アンジェリーナは乙女心が爆発状態だった。
「ニコラス卿のばか」
「うん」
「もうこんなの嫌なの。死んじゃいたい」
「うん」
「……ニコラス卿は、わたくしが死んでもいいの?」
「うん?」
貸してもらったハンカチで涙を拭いながら、私はジロリと彼を睨みつける。
そうしたら、彼は肩をすくめながら答えてくれた。
「俺は困るけど、リーナの気持ちも分かるからなぁ」
「……困るの?」
「そりゃあ困るさ。俺はリーナを助けたいと思ってるからな」
アンジェリーナのぐちゃぐちゃの頭の中に、ニコラスのその言葉がじわじわと染み込んでくる。
「なんで?」
「ん?」
「なんで、私を助けてくれるの」
アンジェリーナの疑問に、ニコラスは少し考えた後、からりとした笑顔になった。
「俺がカッコつけたいから」
「カッコつけたい」
「そう。……俺の師匠がさ、そういう人なんだ。さらっと人のこと助けておいて、なんでもないような顔をして生きてる人」
彼は、大切なものをそっと見せてくれたみたいな、どことなく恥ずかしそうな、嬉しそうな顔をしていた。
それはなんだかとても心惹かれる情景で、アンジェリーナはただ、彼の言葉に聞き入ってしまう。
「こっちは色々と辛いこともあった訳でさ。そこから掬い上げてくれたんだから、感謝とか憧れとか、色々思うところもあるだろ? あのじーさんはそういうのを、『大したことはしてませんよ、坊ちゃん?』とか言いながら躱してくるんだよ」
「それは……なんだか、悔しいわね」
「だろ? 凄く腹が立つし――俺は、格好良いと思った」
最後の言葉は、呟くように小さい声で紡がれた。
けれども、彼の顔を見れば、そこに彼の強い思いが込められていることが嫌でも分かる。
「だからさ、リーナを助けるのは、俺のためなんだ。俺がリーナを助けたら、リーナは俺のこと、凄い奴だって思うだろう?」
「……それはそうね」
「そうやって、リーナが俺に感謝したところで、『大したことはしてねーし』って言いながら、俺は何食わぬ顔で国に帰る予定なんだ」
「それは……ちょっと格好良すぎない?」
アンジェリーナの言葉に、ニコラスは嬉しそうにクハッと笑う。
「そう! そうなったら俺は最高に良い男だ。そのためには、リーナにくじけられちゃ困るんだ。なぁ、リーナ」
自信満々な彼の顔から、アンジェリーナは目が離せない。
「俺のためにあと一踏ん張りして、俺を良い男にしてくれよ」
楽しそうに笑う彼に、アンジェリーナは胸がいっぱいだった。
心臓はうるさいぐらいに高鳴っているし、顔だって何故かすごく熱い。
なんだかとてもいたたまれないけれども、これ以上なく満ち足りた気持ちもあって、この気持ちをうまく言葉にすることができなかった。
「わ、わたくし……」
「うん」
「……いいわ。分かったわよ、小説のヒロインみたいに、助けられてやるわよ! それでいいんでしょう!?」
「ああ。それでこそ誇り高い侯爵令嬢だ。あんたやっぱり、良い女だな」
「……!? ……!!」
その言葉に、アンジェリーナは全身が熱くなるのを感じる。
それは、以前にも言われたものだ。
そして、今はそれがどうしようもなく、以前よりももっとずっと嬉しい。
「ん? どうしたリーナ。まさか照れてるのか?」
「なんでもないわ! もう、ばか!」
分かっていて意地悪な発言をしてくる憎らしい彼に、アンジェリーナは咄嗟にそう叫んで、ぷいとそっぽを向いた。
だけど、自分でも分かっている。
(わたくし、きっと、耳まで赤くなっていますわ……)
悔しさとともに溢れ出る気持ちを持て余しているアンジェリーナ。
そんな彼女の胸に響くのは、彼が最後に言った内容。
――俺は何食わぬ顔で国に帰る予定なんだ。
(……そうだわ。この人は――)
「それで、リーナ。その、犯人と術者しか覚えてないはずって情報、どこから手に入れたんだ?」
きょとんと目を瞬くアンジェリーナの目には、ニヤリと笑うニコラスの顔だけが映っていた。




