19 囮エスコート
「お前との婚約は破棄する! そして私はこの場をもって、心優しいマリアンヌと婚約する!」
卒業パーティー会場にて。
アンジェリーナに対峙したのは、いつもどおり、ラインハルト第二王子と男爵令嬢マリアンヌだ。
しかし、アンジェリーナの方は、いつもどおりではなかった。
彼女は今回、一人ではない。隣には、黒髪の留学生が立っている。
マリアンヌを見て震えるアンジェリーナだったが、エスコート相手に安心しろとばかりに微笑みかけられ、ふわっと舞い上がるような気持ちになってしまう。
「なっ、なんだその態度は! ニューウェル卿、人の婚約者だぞ、距離感がおかしいだろう!」
ラインハルト第二王子は、アンジェリーナとニコラスの様子を見て、顔を赤くして憤慨している。
(すみません殿下すみません! マリアンヌが怖すぎて、殿下に根回しする勇気がありませんでしたの〜〜〜!!)
アンジェリーナは、ラインハルト第二王子に対して、こっそり事前に、ニコラスのエスコートについて話をしようか迷っていた。
しかし、下手にラインハルト第二王子に近づいて魔女マリアンヌに気づかれたらと思うと、怖くてニコラスに根回しを提案することすらできなかったのだ。
そして案の定、ラインハルト第二王子はアンジェリーナとニコラスに対して怒っている。
(殿下のこの態度……やはりこの婚約破棄は、わざと人前でやっているのね。でも、一体なぜ……)
アンジェリーナが目を白黒させている横で、ニコラスが平然と対応する。
「お二人の婚約でしたら、たった今、殿下のお言葉によって破棄されたのでは?」
「う、うるさい! アンジェリーナ、お前はマリアンヌを貶めただけでなく、浮気までしていたのか!」
「なんのことだか分かりませんわね。本日のエスコートのことをおっしゃっているのであれば、短期留学生である彼が、案内役のわたくしにエスコート相手がいないと知って気を遣ってくださっただけですわ。浮気というなら、殿下の方が当てはまると思いますが」
「私とマリアンヌは真実の愛で結ばれているのだ! お前とニューウェル卿との爛れた関係とは違う、離れろ!」
あまりの言いようにアンジェリーナは閉口する。
チラリと隣を見ると、ニコラスが頷いた。
しかし、ニコラスが口を開く前に、意外なことにマリアンヌが口を挟んできた。
「もうやめましょう、殿下ぁ。良いではありませんか。アンジェリーナ様が浮気されているなら、それはそれでぇ」
今のアンジェリーナには分かる。
可愛く健気にあざとくラインハルト第二王子を諭すマリアンヌだが、実際にはこの言葉は、第二王子を脅すものである。
実際に、マリアンヌの言葉を受けた第二王子は蒼白な顔をして歯噛みしている。
(あああ殿下〜! 申し訳ございません、わたくしでは今回はお助けできません! そんな訳でわたくし早くマリアンヌの視界から消えたいですわー!!)
アンジェリーナがブルブル震えていると、本日アンジェリーナをエスコートしている黒い男に、グイッと腰を引き寄せられた。
驚いて左上を見上げると、相変わらず隣の男は悪い顔をしている。
「ニッ……!?」
「おや、アンジェリーナ嬢は顔色が悪いようですね。先生方もまだご来場されていませんし、一度控え室に下がりましょうか」
「えっ!? あ、は、はい……ッ!?」
間近に宣言されて、アンジェリーナは動揺しながらガクガク頷く。
(唐突に何事!? そして、顔が近いですわよ!?)
アンジェリーナは、8歳の頃から婚約者がいたので、こんなふうに異性に近づかれたのは初めてだ。全く耐性がない。あからさまに真っ赤になって慌てている。
彼女のその様は、意図せずして、本日のエスコート相手との仲睦まじさをアピールするものとなっていた。結果だけは当初の計画どおりだ。
そんな限界状態のアンジェリーナに、黒い男は「顔真っ赤じゃん。煽るにしてもちょっとやりすぎ」と耳元で囁くものだから、彼女はますます真っ赤になって「あなたのせいでしょうこの女たらし!」と小声で抗議する。
側から見たら完全に、ただの仲睦まじいカップルである。
そんな二人を見たラインハルト第二王子は、マリアンヌの言葉に冷や汗をかいていたのはなんだったのか、急にニコラスにくってかかった。
「ちょっと待った! アンジェリーナをどこへ連れて行くつもりだ!」
「ですから控え室に。なあ、アンジェリーナ」
「呼び捨てにするな!」
「元婚約者に言われる筋合いはありませんね」
「まだ元婚約者ではない!」
「まあまあ殿下。落ち着いてください。今この場で、こんな争いをすべきでないことは分かってるでしょう? ほら、マリアンヌ嬢も困っていますよ」
ぎくりと体をこわばらせたラインハルト第二王子。
そんな彼を見てニコラスは余裕綽々に笑う。
そして、そのニコラスを、マリアンヌは底冷えするような瞳で見ている。
もちろん、アンジェリーナは……。
(この場にいるの、本当に無理……)
という本心を包み隠して、真っ白な笑顔で固まっている。
その表情はさながらメジェド様である。
「それに……これについても、話し合いをしたいでしょう?」
ニコラスが、胸元にチラリと、ある物をチラつかせる。
それは、アンジェリーナが隠し撮りをしたラインハルト第二王子とマリアンヌの写真である。
ラインハルト第二王子とマリアンヌは、彼らにだけ見えるように見せつけられたそれに顔色を悪くする。
「ほら、卒業パーティーの邪魔になってはいけません。四人で控え室に行きましょうか」
「……ッ、ニューウェル卿……」
「――ラインハルト=ザルツ=ライトフット第二王子殿下。今この時は、引いていただけけませんか」
ニコラスの視線に、第二王子は息を呑む。
そうしてしばらく思案した後、第二王子は肩を落として「いいだろう」と呟いた。
そんな二人のやり取りを、マリアンヌはじっと見つめている。
「では皆様、お騒がせいたしました」
ニコラスの笑顔に、アンジェリーナ達の様子を窺って固まっていた周囲の生徒達もざわめき始める。
そして、急に静かになったラインハルト第二王子はマリアンヌを連れて、控え室に行こうとしているニコラスとアンジェリーナについてきた。
マリアンヌも生徒達も、ほっとした表情である。
そして、もちろんアンジェリーナは……。
(だからなぜ。何故マリアンヌも一緒に! 連れて行こうというの!! なんなの!)
涙目で睨みつけてくるアンジェリーナを、ニコラスはどこ吹く風で相手にしない。
アンジェリーナ達四人を避けるように人垣が割れていく中、外へつながる扉へ向かって、アンジェリーナを連れてスタスタ歩いている。
「ちょっ、ちょ、ちょっとニコラス卿……!」
「うーん、ちょっと遅いな」
「えっ!?」
「例のやつ。そろそろ時間なんだが……リーナが安全そうだからか?」
密やかに話されるその内容に、アンジェリーナは目を瞬く。
確かに、いつもであれば時戻りの魔法陣が起動している時間だ。しかし、まだ何も起こっていない。
(もしかして、このまま時戻りのループから抜け出せる……!?)
ほのかに期待を浮かべたアンジェリーナの瞳に、ニコラスは「切りつけられてない分、もう少し煽りがいるのかもなぁ」と小さく呟く。
「煽り?」
「だからさ」
ひょいっと足を引っ掛けられて、体勢を崩したアンジェリーナはニコラスの胸に倒れ込む。
「何するのよ!」
「おやおや、アンジェリーナ嬢は立っているのも辛いようだ。それでは失礼して、私が控え室までお運びしましょう」
「!?」
そう言うやいなや、アンジェリーナをひょいと横抱きにしたニコラスに、会場からワッと黄色い声が上がる。
後ろでラインハルト第二王子が「ニューウェル卿、いい加減にしろ!」と叫んでいるし、アンジェリーナは顔を真っ赤にして池の鯉のように口をぱくぱくさせている。
「ニコラス卿!」
「私のことは愛称で呼んでもいいんですよ? アンジェリーナ嬢」
「いい加減、やりすぎ――」
抗議するアンジェリーナの声を遮るように、彼女を中心に、紫色の多重魔法陣が展開された。
時戻りの魔法陣が起動しない可能性に期待をかけていたアンジェリーナは、口笛を吹くニコラスの胸をぽかぽか殴る。
「ばか! もう、最低! こんなことしなかったら……!」
「いつもと違うタイミングだと逆に困るだろう?」
「それはそうかもしれないけど!」
「リーナ」
急に優しく呼ばれて、アンジェリーナは彼の顔を見上げる。
「その紫の耳飾り、似合ってる」
「……ッ!」
「また後でな」
その言葉を聞き取ったのを最後に、アンジェリーナの意識は途絶えた。
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自室のベッドの上。
アンジェリーナは、見慣れた天井を見上げながら、耳元に手を当てる。
そこには、彼から贈られた紫の――彼の瞳の色の耳飾りは、存在していなかった。
けれども、触れた耳が熱い。
バクバクと心臓の音がうるさくて、目も潤んでくる。
「なによ。なんなのよ、もう……」
アンジェリーナは、アンジェリーナからチョロリーナに改名するかどうか、本気で悩んだ。
【獲得情報】
卒業パーティーでの公開婚約破棄は、ラインハルト第二王子が自分の意思で行っている。
アンジェリーナは素直でチョロい。




