17 謎解きの天才
「相変わらず、熱心なのね」
「アンジェリーナ様」
プリムローズ学園の図書室の一角。
俯いていた彼が顔を上げると、メガネの奥のラピスラズリが顔を覗かせる。
アンジェリーナは、変わらぬその色に、にこりと微笑んだ。
****
「王家の秘宝」
アンジェリーナの言葉に、ニコラスは頷く。
「そうだ。《時戻り》の魔法。これは大変な武器だ。意図的に時を戻し、そのことを覚えていられるなら、政治的にも武力的にも最強だろう」
「そうね……」
「時間遡行に関する魔法研究者は多いだろうが、未だに実現できた者はいない。王家の秘宝や魔女の霊薬――この世の理の境界に挑むとされる魔道具が絡んでいると考える方が自然だな」
アンジェリーナは、逡巡した後、ニコラスを見た。
「……王家の秘宝。わたくしは、そのありかを知らないわ」
「そうか」
「誰も知らないの」
真っ直ぐに見つめてくるアンジェリーナに、ニコラスは背筋を伸ばす。
「わたくし、あなたを信じることにするわ。だから、わたくしを裏切らないで」
「口約束でいいのか?」
「裏切ったら地の果てまで追いかけて、あなたを殺して私も死んでやる」
「とんだ爆弾令嬢じゃねーか」
「誓って」
アンジェリーナは腹をきめた。
王子妃教育で習ったこと。未だ王族に加わっていないアンジェリーナが知ることができる程度のもので、決定的な情報とまではいえないが、それをニコラスに話すことで、アンジェリーナは何かしらの罰を受けるかもしれない。
けれども、彼女はやる気だった。
――いいだろう。一つだけこの私が恵んでやる。感謝することだな。
――だが、決して食べるなよ。
今のアンジェリーナには分かる。
ラインハルト第二王子は、アンジェリーナを守ろうとしていた。
あの魅了魔術の支配下では、マリアンヌの邪魔になるような行動を起こすことはできない。
だから、ラインハルト第二王子は、アンジェリーナへの嫌悪を示した。他の女に攻撃的になること自体は、魅了魔術に阻害されないから。
お前は邪魔なのだと。
だからマリアンヌに近づくなと、第二王子は三年間、アンジェリーナに牽制してくれていたのだ。
そして前回、飴玉を渡す時も、食べてはならないと注意喚起してくれた。
卒業パーティーであのような行動に出たのは、やり過ぎだったように思うが……。
(婚約者であるわたくし以外に、誰が今の彼を助けられるというの!)
「へえ。腹を割って話をしてから一日と経ってないが、もう俺を信用するのか?」
「そうよ」
「不用心だな」
「分かった上で言っているのよ」
目の前に解決の糸口がぶら下がっている。
それをぶらさげたのが、この男だ。
時戻りの魔法によって繰り返されるこの世界を正しく認識している、隣国からの留学生。
「あなたが信用できるのかどうか、わたくしには分からない。昨日はナイフを突きつけられたし。それに、今までの猫被りがひどすぎて、双子の兄弟がいるんじゃないかと疑ってるくらいよ」
「そこまで言うか?」
「だけど、信じるわ。全部承知の上で、わたくしはあなたを信じる」
「ふぅん?」
「わたくしには、あなたの力が必要なの」
昨日の夜からたった半日ではあったが、アンジェリーナは、自分の力不足を痛感していた。
この事態の解決にあたり、アンジェリーナには、魔法の知識も行動力も足りなさすぎる。
そして、目の前の男には、それを補う力がある。
「多少怪しいのがなによ。全部呑み込んで、なんとかしてみせるわよ。なにもないより百倍マシでしょ!」
「……」
「ニコラス=ニューウェル!」
ビシッと彼を指差しながら、アンジェリーナは仁王立ちし、踏ん反り返った。
「あなたがなにを企んでいても、わたくしはわたくしの目的を遂げてみせるわ。わたくしはこの時戻りから抜け出して、魔女の魅了を解く。あなたの力を借りるからには、あなたを信じるわ! 毒を喰らわば皿までよ!」
アンジェリーナは立ったまま息を切らしている。
アンジェリーナの決意は、目の前の男に伝わったのだろうか。
ニコラスはこれ以上ないほど楽しそうに、クハッと笑った。
「そういうのを俺に直接言っちまうところが、甘ちゃんだよ」
「好きに言いなさいよ!」
「能天気にも程がある」
「そうよ、悪い!?」
「あんた、いい女だな。さすがは侯爵令嬢だ」
彼のいたずらめいた声に、一瞬、アンジェリーナは頭が真っ白になる。
「いいだろう、誓おう」
ベンチから腰を上げ、アンジェリーナの前で跪いたニコラスは、彼女の手を取り、そっと口付けるふりをした。
それは、騎士が生涯の主人を決めるときにする動作だ。
「俺は俺の矜恃にかけて、アンジェリーナ、あんたを裏切らない」
「……か、家名にではないの」
「俺は家を捨てる予定だからな」
「えっ?」
「家のためでも、金のためでもない。俺はいつだって、俺がなりたいものに近づくためだけに生きてる。だから、その矜恃にかけて誓う。俺はリーナを、この時戻り魔法から連れ出してやる。この時戻りから抜け出すまで、俺はリーナの味方でいるよ」
期待した以上のものを受け取ったアンジェリーナは、ぐっと歯を食いしばる。
そして、胸にこみ上げてきたその気持ちを振り払うように、彼女は言葉を紡いだ。
「王家の秘宝。この国には、確かにそういったものが存在するわ」
「そうか」
「どういう秘宝なのか知っているのは、歴代国王だけ。だから、わたくしだけでなく、ラインハルト殿下も知らないはずよ」
「それで、そのありかは」
「初代国王が隠してしまったの」
アンジェリーナは目を伏せる。
「秘宝の持つ力の大きさ、そして自分の子どもたちの争いを見た初代国王は、この世をさるときに秘宝を持っていってしまったと言われているわ」
「それ、初代国王の墓の中に入ってるんじゃ?」
「墓ごと行方不明よ」
口笛をふくニコラスに、アンジェリーナは息を吐く。
「しかもね、地図があるのよ」
「はあ?」
「墓場の在り方を示した地図」
「……もしかして、400年以上解読されていない?」
「よく分かったわね」
アンジェリーナは、気のない上目遣いをする。ニコラスは顎に手を当てて考え込んでいた。
「ライトフット歴が続く497年間、解読されていない地図ねぇ……それ、地図の機能果たしてなくないか」
「そうよ。だから王家は、魔法教育水準を下げたの」
「へ?」
「偶然見つかったら困るでしょ。だから、色々理屈をつけて、国民の知識の範囲を狭めているの。あなたみたいなのが墓を見つけたらと思うと、心配でしょうがないでしょう?」
絶句するニコラスに、アンジェリーナは何故だか恥ずかしい気持ちになる。
自国の恥部を知られてしまったような、そんな気持ち。
国中の教育機関の魔法教育水準を下げ、一定以上の高度な魔法理論を学ぶ場合は認可制とし、国家魔術師には国を裏切らないという国家制約を結ばせる。
市井にいる魔術師は一定以下の魔法知識しかないヤブ魔術師か、一時滞在許可を有する外国から来た魔術師のみ。
この国で魔術師とは、そんな限られた存在だった。
だから、彼らに不用意に接触すると、すぐに噂が流れてしまう。
「しかもね、わたくし、その謎を解けそうな人物に心当たりがあるの」
「オーケー分かった。実は俺のことからかってるんだな」
「だって、仕方ないじゃない! 有志500年来の天才って評判なのよ!」
ニコラスは、誰のことを言っているのかピンときたのか、目を見開く。
「謎解きの天才オルトヴィーン=オルクス。彼が国立研究所に入って、国家制約を結ぶ日を、王家は手ぐすねひいて待っているのよ……」
****
「ご体調はいかがですか」
「ええ、もうすっかり。ありがとう」
学園の図書室の中、アンジェリーナはオルトヴィーンの向かいの席に座る。
オルトヴィーンは、辛うじてアンジェリーナにだけ分かるくらい微かに微笑むと、手元の本に再び目を落とした。
オールドブルーの彼と、アンジェリーナは久しぶりに話をしたような気がする。
(それもそうよね。最近のループは引きこもりと殿下達の追っかけばかりで、まともにヴィーと話してなかったもの)
アンジェリーナがまじまじと彼を見ていると、ラピスラズリの瞳が不思議そうにアンジェリーナを見返してきた。
「……何か気になることが?」
「いいえ。なんだか、こうして一緒にいるのも久しぶりだなって嬉しくなってしまって」
「3週間と4日前にもこうして図書室でご一緒しました」
「もう、浸ってるんだから合わせてよ」
「殿下と最後に一緒にいらしたのは2年9ヶ月2週間3日前なので、そこを起点にすれば久しぶりの部類でしょうね」
「……」
涙目でジトリと睨むアンジェリーナに、オルトヴィーンは目を逸らす。
「すみません……」
「本当よ。ヴィーだから許すけど、傷ついたわ。気をつけて」
「はい……」
素直なオルトヴィーンに、アンジェリーナはふふっと微笑む。
「ヴィーは本当に、人の機微には興味がないのね」
「はい」
「いまは何かあるの?」
アンジェリーナの問いかけに、オルトヴィーンは真顔で目を瞬く。
そうして、少し思案するように間をあけた後、オルトヴィーンは今度こそはっきりと微笑んだ。
「はい」
アンジェリーナはその返答に、心の中でぎくりとする。
「あら。いつだって謎を探しているあなたが夢中になるものがあるだなんて。それってなんなの?」
「お教えできません」
「わたくしとあなたの仲なのに?」
けんもほろろな態度の彼に、アンジェリーナは不服そうな顔をする。
「わたくしいつも、あなたの謎探しに協力してきたのに」
オルトヴィーンは、国際謎解き大会の優勝者だ。
しかも、初出場の8歳の時から連勝記録を続けている。
世界各国のクイズ大会や謎解き大会を総なめにしている彼は、魔術、医療、錬金のあらゆる分野で既にいくつもの偉業をなしてきた。
そんな彼は、国際謎解き大会の初出場をした8歳の時から、その才能を認められ、王宮図書館に自由に出入りしていた。つまり、8歳の頃から王子妃教育のため王宮に出入りしていたアンジェリーナ、それに王宮に住んでいるラインハルト第二王子とは幼馴染だった。
なにしろ、王宮内では、子どもがいること自体が珍しい。
だから、アンジェリーナとラインハルト第二王子は、図書館で勉強する同年代の子どもを見つけて喜んだ。いつも物欲しげに色々な謎を探し、勉強を重ねるオルトヴィーンを、ラインハルト第二王子とアンジェリーナは二人で囲み、本を読んだり雑談をしたりしていた。そこに、たまに宰相の息子のカルロスや近衛兵の息子のマルクスが加わることもあったが、基本的にはアンジェリーナ達は三人で仲良くしていたのだ。
だというのに、つれない幼馴染に、アンジェリーナは不満でいっぱいだった。
「最近はずっと、謎を探してばかりで、解いてる様子なんてなかったじゃない」
「二週間前に、いい素材を入荷したんですよ」
「入荷先との約束なのね?」
「話が早くて助かります」
珍しく楽しそうな表情のオルトヴィーンに、アンジェリーナは内心冷や汗をかく。
「オルトヴィーンはその入荷先の今後に期待しているのね」
「それは、どうでしょう」
「……違うの? なら、わたくしに教えてくれてもいいのに」
頬を膨らませるアンジェリーナに、オルトヴィーンは珍しく、満面の笑みで答えた。
「私はアンジェリーナ様には甘いと思いますよ」
「えぇ……?」
「もう少し、頑張ってください」
それだけ言うと、オルトヴィーンは手元の本に目を落とした。
これは、今日はこれ以上話すつもりがないという、彼の合図だ。
アンジェリーナは肩を落として図書室を去った。
そんなアンジェリーナの後ろ姿を、オルトヴィーンはこっそり目線を上げて見つめる。
「さて、どうなるかな」
そのラピスラズリの瞳は、普段の彼からは想像もつかないほど、爛々と輝いていた。