10 侯爵令嬢アンジェリーナ
そこからアンジェリーナは一週間、やはり寝台にへばりついていた。
「やだやだやだやだ」と呟きながら、毛布にくるまっていた。
割とこの自堕落生活が好きになってきた自分もちょっといやだった。
美味しいものはやっぱり食べた。
もはや両親や兄と口を利かないアンジェリーナに、両親や兄が罪悪感からか、美味しいものを貢いでくれるのだ。
普段見ないような高級な珍味を食べて、アンジェリーナは一時的な幸せに浸った。
太ったと思う。
今回、時戻りがないとしたら、大変なことだ……。
そして、カルロスとテレーザがまたしてもそれぞれ面会に来た。
けれども、アンジェリーナは面会しなかった。
何かよろしくないことを口走る危険も怖かったが、実は、太った自分を見られるのも恥ずかしかったというのが主な理由だった。
カルロスは卒業パーティーのエスコートも申し込んでくれらたらしいけれども、もちろん顔もみずに断った。
(ドレス入らないもん……)
子ども返りしたアンジェリーナは、本を読みながら、さまざまなことに思いを巡らせた。
幸せだった家族との時間、学園に入学する前のワクワク感、そして――。
『一緒に国のために、兄様の役に立てるように頑張ろうね』
ハニーブロンドの髪が春風に揺れていたあの日。
8歳のあのとき、アンジェリーナは初めてラインハルト第二王子に会った。
彼の持つハニーブロンドと、透けるような淡い水色の瞳は王家の色らしい。
第一王子と違って顔の造形は凡庸だけれども、笑顔が魅力的な人だった。
『兄上は正妃様の子で、僕は第二王妃の子なんだ』
第二王子は、出会ってから半年後、アンジェリーナにそう呟いた。
第二王子とアンジェリーナは、出会ってから半年以上、たいした話をしていなかった。
彼は引っ込み思案なのに、王子として頑張らねばと常々無理をしていたらしい。
その結果、社交辞令で固めた上っ面だけの王子ができあがっていた。
そんなガワだけの婚約者と仲良くなれるはずもなく、半年間、二人の仲は全く縮まっていなかった。
そんな第二王子が、半年経ってようやく、アンジェリーナに心を開いてくれたのだ。
アンジェリーナはこっそり、針を立てていたペットのハリネズミが警戒を解いたときのような、達成感とほのかな喜びに包まれていた。
『だから、第一王子派の家臣達は僕に冷たくてね』
『そうなんですの?』
『第二王妃の母上も僕に、がんばれ、がんばれって。第一王子を追い越せって、いつも厳しい。第二王子派の家臣達も、そう』
『……』
『だけど、兄様だけは違ったんだ』
嬉しそうに話す婚約者に、アンジェリーナは耳を傾ける。
『兄様は、いつだって僕のことを弟として見てくれている。僕はそれが何より嬉しくて』
『……殿下』
『アンジェリーナ。初めて会った時にも言ったけど、僕は兄様の力になりたいんだ。絶対に裏切ったりしない。だから、アンジェリーナが僕の婚約者でいる間は、この国の王の正妃になることはできない』
アンジェリーナは、静かにその声を聞いていた。
ラインハルト第二王子はアンジェリーナをまっすぐに見据える。
『それでも、僕の婚約者でいてくれる?』
怯えの見えるその瞳に、アンジェリーナは思った。
そして、思ったことを、そのまま口に出した――。
「…………ラインハルト、殿下……」
ベッドに仰向けになりながら、アンジェリーナは思う。
(分かってます。分かっているのです、わたくしだって!)
何度も時戻りを繰り返す中、どう考えても卒業パーティーでのラインハルト第二王子の様子はおかしかった。
3年間、彼が毎日ゆっくりとマリアンヌに寄り添っていくときには気がつかなかった違和感。
何度も同じ場面を見せつけられて、ようやくアンジェリーナは、傷ついた心という色眼鏡なしに、彼を見ることができていた。
(あのラインハルト殿下が、あのようなことをしでかすなんてあり得ない。あの、穏やかな人が……)
優しくて穏やかで、弱くて、だけど芯のある人。
確かに、彼は強くはなかったけれども、ああいう、激情に駆られておかしな真似をするような弱さのある人ではなかった。
あきらかに、様子がおかしい。
(マリアンヌ。あなたは一体、殿下に何をしたの)
殿下だけでなく、卒業パーティーにいた取り巻きの男性陣もきっとそうだ。
冷静な人間が、第二王子の婚約者である侯爵令嬢を、あのような場で追い詰めようなどと思うものか。
マリアンヌ=マーブル男爵令嬢。
あのストロベリーブロンドの彼女が、きっと何かをしているに違いない。
(それが手がかりだわ。時戻りもきっと、彼女が……)
しかしだ。
普段から魔法的に防御されている王族への魅力魔法。そして、時戻り。
そのようなことができる存在がいるとしたら、それはもう、魔女と呼ばれる存在なのではなかろうか。
そんな相手に、これからアンジェリーナは立ち向かわなければならない。
それも、たった一人で。
今までアンジェリーナの行く道は、全て用意されたものだった。
未来の王子妃という舗装された細い道を、アンジェリーナは、こけないよう、踏み外さないよう、慎重に進んでいくだけ。
けれども、こと今回については、自分一人で道を探していかなければならない。
――今までのように、子どものままではいられない。
「もういやですわいやですわいやですわ〜〜〜!!!」
アンジェリーナは、枕で自分の口を塞いだ。
そして、寝台の上、毛布の中で転げ回りながら叫んだ。
とにかく叫んだ。
叫んで叫んで叫んだ。
「アーッ!!」とか「ヴォーっ!?」とか、今までの人生で出したことのない声も出した。
ぐるぐる回転した。
「なんでわたくしがッ!!!」
その言葉を最後に、アンジェリーナは力尽きた。
しーんと静まり返った部屋の中、アンジェリーナは、毛布から這い出る。
そして、涎だらけになった枕をポイッと床に投げ捨てた。
そこにいるのは、息を切らす、侯爵令嬢。
その様子は、何か大事なものを捨て去った淑女のよう。
髪の毛が口に挟まっているけれども、キリッとした顔で闘士に燃える、アンジェリーナ。
「わたくしは侯爵令嬢アンジェリーナ! こんなところで、めげてなるものですか!」
それに、ラインハルト第二王子に、言わなければならないことがあるのだ。
それは、出会って半年後に、彼の問いかけに対して答えたときと、同じ言葉。
マリアンヌによって異常な状況に追い込まれていると思しき彼。
アンジェリーナに、何も言ってくれなかった婚約者――!
「『こういう大事な話は、もっと早く言ってくださいませ!』!!!」
そう叫んだところで、アンジェリーナを中心に、紫色の多重魔法陣が展開された。
――時が、戻る。
このときアンジェリーナは、心からの思いを呟いた。
「あ、よかった。ダイエット成功ですわ」
【獲得情報】
家族はアンジェリーナの言葉を信じない。