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画匠

作者: 吾妻栄子

「こちらが先日お話しました『罪の女』でございます」

 男は慎重な手付きで持参した絵を掲げた。

 さっと前に立つ人々に緊張が走る。

 絵を示す画商の目にもどこか思い詰めた光が宿った。

「素晴らしい!」

 張り詰めた空気をがねのような声が打ち破った。

「今まで目にしたどのフェルメールよりも傑出している」

 鉤十字の軍服を纏った客は縦にも横にも巨大な体を震わせて笑った。

 周囲の部下たちも一心に絵に見入っている。

 画商は安堵した風な笑顔で語った。

「閣下のような芸術を深く理解され評価する目をお持ちの方にこそ渡すべき絵だと信じて本日はお持ちしました」

 肥ったヘリング元帥は鷹揚に顎の二重になった顔を頷かせる。

「このオランダの至宝をわしのコレクションに加える」

 絵を眺める征服者の目が希望そのもののように輝いた。

独逸くにに戻ったら総統フューラーにもお目にかけよう!」


 *****

「今日はイネスの好きな林檎りんご、沢山買ってきたよ」

 父親の言葉に幼い息子はパッと顔を輝かせてとこから身を起こす。

「ゲホッゲホッ」

 体を動かしたことで肺や気管支が耐えかねたように酷く咳き込んだ。

「無理しちゃ駄目だ」

 息子の小さな痩せた背を優しく擦る父親の目にふと刺されたような痛みが走った。


 *****

「おいしいかい?」

 父親の問い掛けに真っ赤な林檎を齧っていた少年は笑顔で頷く。

「いっぱい食べて早く元気になるんだ」

 画商の父は語りながらズボンの膝の上で握り締めた拳を震わせた。

「今日はどうしてこんなに林檎をいっぱい買えたの?」

 幼い息子は父親の足元に置かれた袋いっぱいの赤い果実を不思議そうに見詰める。

 絵の具の汚れを微かに残す父親の手が我が子の小さな頭を撫ぜた。

「パパの絵が売れたからだよ」


 *****

「被告人、貴方はナチス占領下の時期において我が国の貴重な文化財であるフェルメールの真筆を画商として敵に売り渡しましたね?」

「いいえ」

 被告席に立つ髪も白くなりやつれ切った男はそれでも顔を上げて誇らかに続けた。

「あれはフェルメールではなく他ならぬ私が描いた絵です」


 *****

 法廷中に驚愕とも讃嘆ともつかない溜息が漏れる。

 被告席の男は粛々とカンヴァスに向かって筆を動かし続けた。


 *****

 独房の中、完成した幼いキリストの絵を傍らに置いた画匠は自分の頭よりもずっと高い位置に設けられた格子窓から漏れてくる陽の光を見上げて寂しく笑った。

「パパの絵が今度は本当に認められたよ」

(了)

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