婚約破棄の女神様
居酒屋の『はい、喜んで!』のノリの婚約破棄が書きたかっただけです。
2022/1に説明不足だった箇所を加筆修正しました。
「リーゼ・シュバリエ、今日をもって、私は貴様との婚約を破棄する」
卒業パーティーの会場で、可愛らしい令嬢を隣に侍らせてそう断言したのは、リーゼの婚約者であり、この国の第二王子であるエルンスト殿下であった。
まるで台本でもあるかのように、威風堂々とした佇まいでリーゼを睨みつけるエルンスト。
その瞬間、リーゼの頭の中で天使が舞い飛び、荘厳な福音の音が鳴り響いた。
「こ、婚約破棄とは真ですか?」
「ああ、そうだ!私は真実の愛に目覚めた!貴様のような女との婚姻など絶対にするものか!」
「では今日、この時をもって婚約破棄ですわね?」
「そうだ!今更貴様のような女が縋ったところで…」
「ありがとうございます、殿下!婚約破棄、謹んでお受け致します!」
縋ったところでみっともないだけだと言おうとしたエルンストの言葉を、大きな感謝の言葉で遮るリーゼ。
そしてリーゼは、心底幸せそうな顔をしたまま、エルンストの隣にいる令嬢へと視線を向けた。
「殿下の真実の愛様。是非ともお名前をお聞かせ下さい」
「何を今更知らない振りをしている?!お前がシリルを虐めていたという……」
「シリル様と仰るのですね!」
虐めがどうとか、身に覚えのない話を語りそうなエルンストを無視し、リーゼはゆっくりとシリルへと近付いた。
途端に警戒を深めた殿下の側近達が彼女を守るように動くが知ったことではない。
リーゼはシリルへお礼をしなければいけないのだから。
「シリル様、貴女は天使、いや女神様でしょうか?」
「…は?」
「殿下と真実の愛で結ばれるなど、どれだけの慈悲をその身にお持ちなのでしょう!ああ!慈悲深きシリル様の行動に、わたくしは一生祈りを捧げたいほどに感動しております」
「……何を言ってらっしゃるんですかぁ……?」
舌っ足らずな物言いも女神なら可愛いと感心しながら、リーゼは更にシリルへと賛辞を送る。
彼女の献身と慈悲を、パーティー会場にいるみんなにも知って貰わなくてはいけないのだ。
「謙遜されるなんて流石は女神様のようにお優しいですわね!わたくし、シリル様の御屋敷へは足を向けて絶対に寝ないと誓いますわ!」
「……おい、リーゼ。貴様は先ほどから何を言っている?」
「何をって、シリル様の女神のように慈悲深いお心に感謝を述べているのですが?」
「貴様は自分の立場を分かっているのか?お前は私に婚約破棄されたんだぞ?」
「当然分かっております。殿下の婚約者に選ばれて苦節八年。本当に長く苦しい八年でしたわ」
「……苦節?……長く苦しい……?」
「はい。ですが、そんな苦しい日々も今日限り。全てはシリル様のお陰です。本当にありがとうございます!あぁ!こうしては居られません!この喜びを友人達と分かち合わなくては!」
「ちょっと待て!」
納得のいかない表情をするエルンストを無視して、リーゼは遠巻きに成り行きを見守っていた友人達の下へと駆け寄った。
「皆様、お聞きになりましたか?!ついに!ついに殿下より婚約破棄を承りました!」
「おめでとうございます、リーゼ様!」
「本当におめでとうございます!」
「長かったですわね~、でもついに念願が叶いましたわね!」
そこからは一斉に友人やクラスメイトから祝福の声が上がった。
まるで結婚祝いのような祝福がリーゼの周りに木霊する。
だが、それに納得行かないのは当然エルンストだ。
嫉妬でシリルを虐めるリーゼを断罪した後、このように祝福されるのはエルンストのはずだった。
それなのに、何故か会場中がエルンストとリーゼの婚約破棄を祝っているのだ。
そのせいでエルンストとシリルは放置されたまま、空気のような扱いになっている。
「ちょっと待て貴様ら!婚約破棄を祝うとはどういう事だ!そもそもその女は、私の可愛いシリルを虐めた大罪人だぞ!」
「殿下、わたくしはシリル様を虐めてなどおりませんわ。どうして今日お名前を知ったばかりのわたくしが女神の如きシリル様を虐めなくてはいけませんの?」
「もちろん嫉妬からに決まっているだろ!お前は私の寵愛が得られないからと言ってシリルを虐めたんだろうが!」
「わたくしがですか?それは何かの間違いですわ。そもそもどうしてわたくしが嫉妬などしなければいけないのでしょう?殿下とわたくしの婚約は王命ですわよ?つまり完全に政略的な婚約ですわ。嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で、本当に嫌でしたが、王命でしたので仕方なく、本当に仕方なく受けた婚約ですわよ?」
鬱憤が溜まっていたのか、気付けば十四回も嫌だと呟いたリーゼは、心底疲れたようにため息を漏らした。
「そんなわたくしが嫉妬でシリル様を害そうなどと恐れ多いことですわ。むしろ殿下に懇意にしているご令嬢がいると聞いてからは、陰ながら応援させて頂いていた程でございます」
「応援だと?嘘をつくな!」
「本当ですわよ?殿下とご令嬢の仲を邪魔せぬよう、殿下の政務をひたすら代行する毎日でしたわ。次から次へとやってくる書類、本当に大変でしたわよねぇ、アーカス様?」
三人から少し離れた場所で、死んだ目で成り行きを見守っている壮年の男性がいた。
王宮から派遣されている殿下付きの文官アーカスだ。
本来ならエルンストが片付けなければいけない書類が溜まってきた為、最初にリーゼを頼ったのは彼だった。
「リーゼ様が仰るように、殿下の代わりに執務を代行して頂いたのは間違いございません。学園に入ってからというもの、殿下の決裁が必要な書類は日々溜まっていくばかり。それをリーゼ様が不憫に思い、婚約者権限で決裁出来るものには全て目を通して頂きました」
学院関連の決裁は、在学中の王族に委ねられる事が多い。
特に留学生絡みの決裁は、国際問題の関係上、学院長では処理出来ない事があるのだ。
その為、エルンストの代わりにそれらの書類を決裁していたのがリーゼだった。
「……エルンスト殿下、リーゼ様は日々放課後は執務に追われ、とてもそちらのご令嬢を虐めるような時間はなかったと存じます。それについては王家の影や護衛もリーゼ様に付いておりましたので確かかと」
「……しかし実際シリルの教科書が破られたり…」
「別の犯人がいたのかもしれませんわね」
根本的な問題として、クラスの違うリーゼがシリルを虐めるなど不可能なのだ。
ようやくエルンストもその事に気が付いたようだった。
「だが、私との婚約破棄を喜ぶとは、不敬が過ぎるのではないか?」
「それについては申し訳ございません殿下。ですが、王宮での王子妃教育は本当に大変で、殿下と違って馬鹿なわたくしには苦痛だったのです。そんな辛い日々から解放されると知り、不肖のわたくしはついつい舞い上がってしまいました。お許し下さいませ」
「そ、そうか…」
「無能なわたくしにとっては地獄のような教育でしたが、女神のようなシリル様なら楽々こなせるかと存じますわ。ねぇ、皆様、そう思わなくて?」
かなり大げさに言ったリーゼの言葉を誇張するように、友人達が口々にシリルを褒め称える。
「そうですわね。シリル様の頭脳なら片手間でしょう」
「頭脳明晰な殿下とシリル様なら五ヶ国語も簡単に操れると思いますわ」
「仮に出来ずとも、周りの男性方が助けてくれるので問題ないでしょう」
最後は明らかに問題ありそうだったが、煽てられたエルンストは気付かない。
現実に気付き始めたシリルだけが、一人青い顔をしている。
王子の婚約者が、笑って着飾ればいいだけの存在ではないと気付いたのだろう。
そう、幾らエルンストが第二王子だからと言っても公務はそれなりに存在するし、王子妃教育もかなり厳しい。
特にリーゼは幼少期から王子の婚約者だったため、王子妃教育がかなり大変だった。
第二王子は王太子に何かあった場合の予備。
将来臣籍に降下するからと言って教育に手を抜かれる事はない。
とは言っても、既に王太子殿下に子どもが出来た今、予備としての御役も御免となっている。
鬱憤ゆえに大げさに言ってしまったが、臣籍降下が決定している現状ならば、エルンストと結婚してもシリルならば問題なくやっていけるだろう。
では何故リーゼがここまで誇張した表現で大げさにシリルを煽っているのかと言えば、このままでは彼女の命が危ないからである。
折角王家がエルンストを想って公爵家と結んだ婚約。それを破棄させたシリルを、王家が黙って見逃すとは思えない。
だからと言ってここで婚約破棄を撤回されても困るリーゼとしては、シリルには自主的に逃げて貰うしかない。
だからこそ、大げさに婚約破棄を喜び、シリルに現実を突きつける。
「そうだわ!折角ですし、殿下とシリル様の婚約祝いも一緒に致しましょう!確か、貴賓者様用のお花が余っていたわよね?誰か持ってきてくれる?」
リーゼがそう言うと、在校生達が卒業パーティー用に用意された花から、慌てて花束を作ってくれた。
急遽作ったとは思えない二つの花束に満足しながら、リーゼは極上の笑みをエルンストとシリルに向ける。
「殿下、この度は婚約を破棄して頂き、本当に、本当にありがとうございます。王命ゆえ、我が家から破棄出来ぬと人生を諦めていたのですが、ここに来てこの幸運!女神のようなシリル様には、足を向けて眠れないほど感謝しております」
「そ、そうか……」
「ですので、御二人の今後の門出を祝い、僭越ながらわたくしが代表して祝辞を述べさせて頂きます」
そう言って持っていた豪華な花束を二人に渡したリーゼは、卒業パーティーに参列していた人々に向けて声を張り上げた。
淑女らしからぬ行為だったが、この祝辞は来賓席に聞こえなくては意味がない。
「皆様がお聞きになった通り、わたくしと殿下の婚約は無事に破棄され、殿下は真実愛するご令嬢シリル様と結ばれる事となりました。この輝かしい二人の門出を是非皆様もお祝いして下さいませ。おめでとうございます、エルンスト殿下、シリル様!」
リーゼの声に合わせ、会場中から一斉に祝いの言葉と拍手が二人へと贈られた。
それに気を良くした殿下が、満足した表情でみんなに手を振っている。
その横では、震えながら花束を抱えているシリル。
馬鹿な振りをしても、シリルは頭が悪い訳ではない。
リーゼによるこの茶番劇が、自分を追い詰めるものであると気付いているだろう。
学園内の閉鎖された空間とはいえ、貴賓席には外国からの客も数人交じっている。
ここまでお膳立てされた祝いと婚約破棄を今更なかったことには出来ない。
昨日まで、いや、つい先ほどまで幸せな未来しか見ていなかったシリルは、今漸く自分が危険な薄氷の上に立っている事を自覚したはずだ。
「え、エルンスト様ぁ…、わ、私、ちょっとぉ化粧室へ行って参りますぅ…」
「うむ。では誰か付き添いを…」
「ひ、一人で大丈夫ですぅ!」
言いながら花束を近くの男性に押し付けたシリルは、青い顔のまま素早い動作で化粧室の方へ行くと見せかけて出口に向かっていく。
それを横目に見ながら、リーゼは小さく口角を上げた。
今更シリルが逃げ出したところで、リーゼとエルンストの婚約破棄が覆ることはない。
だから、逃げる彼女を追いかけるような事はしなかった。
むしろシリルには、無事に逃げて欲しいとさえ思っている。
だって彼女はリーゼを解放してくれた立役者なのだから。
「頑張ってね、シリルさん。応援してるわ……」
誰にも聞こえないほどの小さな声援を送ると、未だに状況を呑み込めない殿下をひたすら煽て続ける。
シリルが逃げるために、少しでも時間が稼げればいいと思ったのだ。
ああ見えて頭の回転の速いシリルなら、上手く行けば王家の追及もかわせるだろう。
その後、予想通りシリルは逃げた。
体調不良を言い訳に会場を辞した後は、追及してくる貴族院の使いには仮病を使って寝込んだと言う。
エルンストが医師を派遣するも、ガタガタと青い顔で震えていたと医師が言った為、正式にシリルは病気だと証明された。
多分、シリルを王家に迎えたくない王妃辺りが手を回したのだろう。
むしろ、ほとぼりが冷めるまでエルンストに会うなと言わんばかりの圧力に、シリルは即行で領地へと逃げ帰ったと聞く。
ある意味、絶妙なタイミングで逃げ果せたシリルだ。
あのまま頭がお花畑の状態で城に来ていたら、間違いなく命はなかっただろう。
そして逃げたシリルとは反対に、逃げられなかったのがエルンストだ。
いや、逃げる逃げない以前に、一人だけ明らかに状況が分かっていない。
「エルンスト、お前は自分が何をしたか分かっておるか?」
「学生達に祝福されながら、リーゼとの婚約を破棄しました」
疲れたように問いかけた陛下とは反対に、エルンストはどこか誇らしげにそう答える。
そんな息子を見ながら、陛下は頭を抱えてため息を吐き出した。
「こちらが強引に頼み込んでやっと整えたリーゼ嬢との婚約を破棄して、お前は一体どうするつもりなんだ?お前はシュバリエ公爵家に婿入りする予定だったんだぞ?分かっておるのか?」
「あ…」
そこまで言われて漸く卒業後の進路が決まっていない事を自覚したエルンスト。
第一王子である兄は既に結婚して男児もいる為、予備としての役目も既にエルンストにはない。
本来であればシュバリエ公爵家に婿入りして兄の治世を支えていく予定だったが、それも昨日の婚約破棄でなくなったのだ。
「父上、新たな公爵位をお願いします」
「ダメだ」
「何故ですか?!」
「治める領地はどうするのだ?王子領は既に孫へ分配済みだ」
王家直轄領は存在するが、王都を除けばそこまで広い訳ではない。
王子の人数が増えれば増える分だけ、直轄領地は目減りする。
だからこそ、婚約により臣籍降下する事が決まっているエルンストは、王子領を十五歳の時に返領しているのだ。
「で、では、ガボード男爵家に婿入りします。シリルなら喜んで私を迎えてくれるはずです」
「シリル嬢の上には立派な嫡男がいる。お前の出る幕などない」
「で、では宮廷貴族で構わないので侯爵辺りの地位をお願いします」
それが一番の落としどころだとは思うが、元王子の侯爵なんか誰も部下に欲しがらないだろう。
だからと言って野に放り出せば、馬鹿ゆえにどんな火種を撒き散らすか分かったものではない。
「頼みに頼み込んでやっと漕ぎ着けた婚約を簡単に破棄してくれおって……」
今更愚痴っても仕方ないが、リーゼと婚約出来たことで教育に手を抜いてしまったのは事実だ。
聡明なリーゼに任せれば安心だと思ったのだ。
しかし、彼女にまで見捨てられる程馬鹿だったのは予想外だった。
「まぁいい。お前には子爵位をやる。図書館で本の虫干しでもしていろ」
陛下の一言により、エルンストはその後の一生を図書館の勤務に費やした。
思いのほか勤務態度は真面目で、どうにも彼の性に合っていたようだ。
黙々と古い本の修理をする彼は、いつしか『図書館の虫干し殿下』と呼ばれるようになっていた。
そんな彼の話を聞き、シリルがエルンストに会いに王都へやってくるのはもう少し後の話だ。
「リーゼ様、慰謝料など、本当に請求しなくて宜しかったのですか?」
「もちろんよ。何度も言うけど、シリル様は私にとっても殿下にとっても女神様なのよ」
リーゼにとっては、不本意な婚約を破棄するための女神様。
エルンストにとっては、真実の愛を教えてくれた女神様。
周りの皆はシリルに慰謝料を請求するべきだと言ったが、そういう助言をしてくる人物の多くは、シリルを虐めてはリーゼの所為にしていた者達だ。
あれから色々調べれば、シリルが虐められていた証拠は沢山出て来た。
目の前で我関せずとばかりにお茶を飲んでいる令嬢も、シリルを虐めていた内の一人だ。
彼女の婚約者とシリルが立ち話をしていたのが気に入らないという理由からだった。
何とも浅慮な思考だ。
しかもその虐めをリーゼの為だと言っていたそうで、呆れるしかない。
「そういえばリーゼ様はもうお聞きになりまして?何でも最近、シリル様が王都へ戻ってきたらしいですわよ」
「あらっ、体調はもう宜しいのでしょうか」
「すっかり元気になって足繁く図書館に通ってるそうですわ」
「それは良かったですわね」
王都に戻ってきたという事は、王妃殿下の怒りが無事に解けたという事でもある。
本当に素晴らしい事だ。
だが、その真意に気付かない令嬢達は、何が楽しいのか、意地の悪い笑みを浮かべながら図書館へ行こうと誘ってくる。
「虫干し殿下との真実の愛なんて滑稽ですわね」
「男爵家の小娘のくせに王家に近付くなんて図々しい話ですわ」
「殿下はお顔だけはよろしいですからね」
「では、皆で近いうちに図書館に行きませんこと?」
煩い蝶たちが嬉しそうに悪意を囁きあっている。
図書館に行くのだって、どうせ二人を笑い者にでもする為だろう。
なんて醜悪なのだろう。
「リーゼ様もご一緒しましょうよ」
「遠慮しておくわ。わたくし、これから結婚式の準備で忙しくなるので」
「ご結婚ですか?」
「ええ。隣国の大公殿下との結婚が決まりましたので……」
隣国の王弟である大公殿下は、王位争いが嫌で臣籍に降下した。だと言うのに、彼を王にしようという輩が多くて辟易していたのだ。
お蔭で、喜んで我が家に婿入りしてくれるという。
エルンストよりも優秀な大公との結婚が決まってからというもの、父も母もかなりご機嫌だ。
「そういえば、皆様のご結婚はその後いかがです?学園を卒業したので、それなりにお話は進まれてるのですわよね?」
「……それが、今は仕事が忙しいらしく、婚約者からはもう少し待って欲しいと言われてますの」
「あらっ、貴女もなの?」
「わたくしもですわ。最近は仕事が忙しいらしく中々構ってくれませんのよ…」
口々に愚痴を漏らし始めた友人達を、いや、元友人達の顔をリーゼはゆっくりと見渡した。
学園時代からリーゼの陰に隠れてシリルを虐めていた連中は、未だにその事がバレていないと思っている。
だが、罪とは必ずバレるものである。
シリルを虐めた犯人に対して王妃が怒っていると聞いた。
おそらくこの話は彼女達の婚約者にも伝わっている事だろう。
王妃はそういう人だ。
そして彼女達は、シリルが王都に戻ってきたという事の意味をもっと深く考えるべきなのだ。
「では皆様、この後予定がありますので今日はお先に失礼させて頂きますわね。……あ~、そうそう、皆様もこんな所でのんびりお茶をしておられずに、早々にお帰りになった方が宜しいですわよ。シリル様への虐めの件、貴女方の婚約者様達が知ったとお聞きしましたわ」
サー…と彼女達の顔色が変わった。
虐めなど、貴族社会においては大した罪にはならない。
だが、罪にはならずとも、自分の婚約者が虐めを率先していたと知った男性はどう思うだろう。
ましてやそれを教えてくれたのが王妃であるなら尚更だ。
それが意味するのは、彼女達が王妃に目を付けられたという事である。
故に、余程の事がなければ、婚約の解消を求められる事になるだろう。
「王妃様はね、意外とシリル様の事を気に入ったそうよ。逃げ際の見極めが抜群なのですって。彼女ならエルンスト殿下を任せてもいいと思っているそうですわ」
王妃様は非常に苛烈な方だ。
一時はエルンストを誑かしたシリルの命を取るかという程に怒り狂っていたが、シリルから届いたという手紙を読んでからは一気に大人しくなられた。
彼女の飾らない詫び状が大層気に入ったという事だった。
『なんかね、手紙の向こうで彼女が土下座している姿が目に浮かんだのよ』
そう言って機嫌よく笑った王妃は、シリルを強引に王都へと呼び寄せ、人となりを見極めたと言っていた。
そしてシリルの気持ちを聞いた上でエルンストと会わせたところ、王妃の思惑以上に二人の関係は上手くいったそうだ。
シリルが王妃とどのような話をしたかは分からないが、あの王妃にあそこまで気に入られるなんて凄いと純粋に思った。
「やっぱり、シリル様は女神様ですわね」
敢えて名前をつけるなら、婚約破棄の女神と言うところだろうか。
まぁ、その恩恵の婚約破棄を喜べるかどうかは別の問題だが、間違いなくリーゼにとっては喜ばしい恩恵だった。
しかし、顔を青くしながら一斉に帰り支度を始めた元友人の令嬢達にとっては、恩恵ではなく天罰になったことだろう。
婚約破棄の女神様の天罰は、中々に厳しいものになりそうだ。